第四十四話・三河と絵画

side:今川義元


「織田は安祥城を改築しておるのか」


「民には報酬として米や雑穀に銭まで配っており、飢えなくて済むと喜んでおります」


「奴は器用であったな」


「はっ」


 尾張の虎と言われ華々しい戦の勝利に目を奪われがちだが、さすがは器用の仁と言われておる男でもあるか。


 城を改築するならば民を動員して賦役にすればよいが、それでは領内に不満が出る。まして織田は元々三河の者ではなく、あの辺りは戦続きで荒れておるしの。


 飢えを凌げるだけの僅かな米や雑穀でも、民は涙を流して喜ぶであろう。戦を仕掛けることもなく松平を圧迫しおるとは。


「松平はいかがしておる?」


「不満をぶちまけておりますな。他に出来ることも有りませぬ故に」


「信秀の半分でも頭を使えれば、三河くらいは取り戻せるかもしれぬというのに。いかんともしようもない奴らだ」


 信秀はまことに銭の使い方が上手い。わしも見習いたいくらいじゃ。懸念は松平か。誇りだけが一人前とは。まことに使えぬ連中じゃの。


「金色酒か。まさに信秀には金を生み出す酒よの」


「他にも鮭・椎茸・砂糖・胡椒・絹織物・綿織物。様々な品物が駿河に入ってきており、駿河の商人はこれらを領内や関東に売るなどして、大きな利になっておりまする」


「信秀め。こちらにも利を与えておるのか?」


「恐らくは。織田と今川双方の利になると思われまする」


「怖い男だ。奪うのではなく与えることで大きくなる気か」


 少し前に駿府にも入ってきた金色に澄んだ甘い酒は、たちまち駿府の者たちを虜にした。あれを飲めば濁り酒など飲めたものではない。


 それに酒だけではない。貴重な品物や高価な織物が堺より安く入ってくる。並の者ならば高く売るであろうに。わざわざ敵である今川の利になるように売るとは。


「荷はすべて久遠の南蛮船が運んできておる様子。伊勢の水軍衆も当初は税を取ろうと、小競り合いをしていたようでございますが。久遠が織田に従ったことと、伊勢にも品物を売っていることで、今ではほぼ手を出しておりませぬ」


「いずれにせよ、南蛮船の砲には敵わぬのであろう?」


「それもあると思われまする」


 尾張と伊勢の海が織田に落ちるのは避けられぬか。こちらが三河を抑えても南蛮船を止めぬ限りは、伊勢の海を主とした交易は織田の手中であろう。


 強欲な伊勢の水軍のことだ。強引にでも銭を取ろうとしたのであろうが、南蛮船には勝てぬうえに品物で懐柔されたか。


 数を揃えれば勝てるのやもしれぬが、機嫌を損ねて品物を売らなくなれば困るうえに沈めてしまえば終わりだ。


「困ったの」


「今は三河を取り込みつつ、時勢を見極めるべきかと思いまする」


「待てば織田が大きゅうなるだけではないのか? こうなると竹千代を取られたのは痛いの」


「すべては三河のことでございます。今川家には関わりのないこと」


「ふふふ。素直にわしに臣従しておれば良かったものを」


 考えるべきは今川の今後だ。織田は那古野を奪ったが、わしが家督を継ぐ前の話。松平のために今すぐ織田を叩いてやる理由もない。


「しかし、こうなると久遠とやらが欲しいの」


「近頃は人も配したようで隙はなくなりました。ですが文を送るくらいなら出来るでしょう」


「そうじゃの。釣れなくても織田に不和の種を蒔ければ、儲けものであろう」


「では、そのように」


 それにしても信秀は手強いの。いやそれは北条も武田も同じか。愚か者は三河だけ。上手くいかぬものじゃな。




side:久遠一馬


「これは……凄いな。南蛮の絵か?」


「うふふ。そうよ」


 今日は那古野の屋敷で、ウチの家臣と信長さんの小姓の皆さんの鍛練の日だ。


 ただそんな鍛練をしてる皆さんとは別に、メルティが絵を描いてるのを信長さんが興味深げに見ている。


 カンバスに油絵の具を使った写実的な油絵だ。ちなみにモデルは紅葉をしてる木の下でお昼寝するロボ。


 メルティの趣味なんだよね。油絵って。


「絵師なのか?」


「ううん。ただの素人の趣味よ」


「こんな絵、初めて見た」


「南蛮って凄いな」


 騒ぎを聞き付けて訓練してたみんなも集まってくるけど、まるでその場面を切り取ったようなメルティの絵に、誰もが見入っている。


 この時代に西洋絵画なんてないからなぁ。東洋的な絵とは別物だよね。


「オレにも一枚描いてくれぬか?」


「素人よ。人様に差し上げる物じゃないんだけど」


「構わぬ」


「そこまで言うなら、仕方ないわね」


 新しい物好きな信長さん。さっそく欲しがったけど、下手にあげると未来に残っちゃいそうだな。


 絵自体は上手いよ。素人目で見る限りだと。ただ未来に残るのかと思うと、少しいいのかなって思う。今更かな。


 日本初の西洋絵画は、ロボのお昼寝の絵になるのかもしれない。


「ほう。これは見事な絵ですな」


「そうですか?」


「絵師はおりますが、かような絵は某も初めて見ましたな」


 ちょうどおやつの時間なので、抹茶とカステラでのんびりしていると政秀さんが来た。


 文化人の政秀さんも驚くほどだとは。世の中が平和になったら、メルティを先生にして西洋絵画でも普及させてみるか?


「是非、殿の肖像画を描いていただけぬか?」


「若様にも話したけど素人よ。恐れ多いわ」


「構いませぬ。これほど素晴らしい絵なれば、必ずや殿もお喜びになるでしょう」


 うーん。なんかその前に話題になって、絵を欲しがる人が増えそうな予感。


 文化面のことは正直あんまり考えていなかったけど、先日のフライングディスクといい、文化とか娯楽方面も考えてみるべきか?


 文化とか娯楽を通じた交流とか情報伝達とか、馬鹿に出来ないんだよね。


 考えてみればこの時代の情報伝達って、坊主とか一部の勢力が握っているんだ。全国に繋がりがあるのが宗教だけだし、知識があるのも宗教が中心だ。


 必要だな。領民に的確な情報を伝えるシステムが。一向衆とかが、いかに好き勝手してるか人々は知らないんだから。


 キリスト教と南蛮人の対策にもなるだろうしね。


 エルに相談して考えてもらおう。




◆◆

 『木陰と犬』


 日本初の西洋絵画として知られる一枚である。


 作者は絵師の方こと久遠メルティ。戦国期に活躍した武将である久遠一馬の妻のひとりになる。


 久遠家に当時多数いたとされる西洋人のひとりであり、聡明な人物だと信秀・信長など多くの武将が認めた女性である。


 彼女が描いた絵画は当時の人々を魅了し、後に絵画にて歴史に影響を与えたと言われるほど。


 場所は津島か那古野にあった久遠邸だと思われ、描かれている犬は久遠家で飼っていた犬でロボという名である。


 命名の理由は定かではないが、スペイン語の狼という意味のloboから取ったのではという説が有力視される。


 ただ久遠家の西洋人は、その出身や遙々極東まで流れていった経緯が定かではないので諸説ある。


 この絵画自体は織田宗家が信秀公肖像画などと一緒に代々家宝として受け継いでおり、後に久遠メルティ記念美術館へ寄贈され、久遠メルティ初期の作品として現在でも展示の目玉となっている。


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