橋本桐華は興味を抱く

第8話 悪くない朝のこと

 もう五日も経ってみると、この光景に違和感を覚えなくなってしまった。


 七時よりも十分ほど前にセットした目覚まし時計のアラームで目が覚めると、けだるさを感じながらもベットから降りて、すぐに制服に着替える。そして軽くストレッチしてから階段を下りて一階にあるリビングに向かう。ここまでは何ら変わりはないんだが、ここからが変化している。

 テーブルの周りには椅子が四つ置かれていて、向かい合わせにして二つずつ置かれている。母さんが台所で朝食の用意をしていて、その手伝いをしている彼女の姿があった。


「おはようございます。祐真さん」

「あぁ……おはよう」


 彼女の名は狐村凜。様々な諸事情あって、今は俺の家に住み込んでいる。凜のことについて、周りからは進学の為に田舎のほうから出てきた遠くの親戚。という認識となっているが、もちろんそれは混乱を招かないための建前であり、真実ではない。

 彼女は人間ではない。その正体は九尾という妖怪なのだ。それが知れてみろ。騒ぎどころでは済まないだろう。静かに暮らすためにも、この事実は隠し通さなければならないのだ。



 味噌汁をすすりながら、今日この後のことについてを考える。できることならしばらくは学校に行きたくはない。しかしそういう訳にも行かないのがまた現実。

 俺と凛が同じ屋根の下に暮らしているという話を聞けば、大半の男子は黙っていないと思う。色々訳あってと説明しても、聞く耳すら持たないやつも居そうなもんで、嫌なのだ。既に凛の口からも説明したと言うのに。


「どうかしましたか? なんかそわそわしているみたいで」

「なんかすまんな。落ち着かなくてな」

「落ち着かない……ですか」


 朝食を食べ終わり、軽い支度をしてから家を出る。すぐに那菜は俺たちとは反対の方に歩いていったので、二人きりとなった。


 結局。どう足掻こうが学校に行く他ない。案外着いてしまえばなんともないというのが学校というものだが、今の俺にとっては逆なのだ。着いた後の方が不安要素満載というわけだ。

 大方の理由はそっちだが、もうひとつあるわけで。


「こうして女子と学校に行くってことが今までなかったからな」

「でも那菜さんは妹さんですよね? 一緒に学校に行くというのはなかったのですか?」

「まぁ小学校とか中学校の時は一緒に行ってはいたが、今は中学と高校の方向が違うからな。それに那奈は妹だからその、なんだ。長い付き合いがある分慣れっていうのがあるが、凜とはまだ出会って日が浅いからな。そういう意味で、身内以外のってなるとな」

「まぁ……そうですよね」


 女の子と学校に行くのが、では無い。身内以外の女子とこうして登下校をする。というのが、俺のこれまでの経験上なかったのだ。妹以外の女子と帰ることなんて、小学校の集団下校の時くらいだろう。


「なら私、頑張ります!」


 そう言うと凛は俺の左腕と脇腹のあいだに自分の右腕を通し、がっちりとロック。くっついたまま歩くことになる。


「あの……凛さん?」

「な。なんですか」

「その……そこまでしてくれとは、言ってないから」

「すすすすみません! 仲の良い男女はこうするものだと聞いたので! ご迷惑……でしたか」


 いえ全然。ちょっとばかしか驚いたけど、すごくいいものでした。と、心の中で親指を立てていました。

 でもそういうのは、互いの好感度が相当高くなってからのことだと思います。嬉しいと言いつつもこんなこと言っちゃうのもなんだが、まだ早いと思う。

 凛は顔を赤くしてすぐさま俺の体から離れる。腕に感じた柔らかい感触がなくなってしまったのは少々、いやすごく悲しい。


「嫌とは言わないけどさ、安易にこういうことするもんじゃないと思うんだわ」

「そ、そうですか……距離感って難しいものですね」

「距離感ってかなんて言うか……今の時間、人の目もあるからさ……」


 今の時間帯。この辺りには学校や会社も多いので、人の通りは多い。こうしてイチャイチャ(?)しながら歩いていると、自ずと人の視線が集まってしまう。それがなんとも恥ずかしい。

 まぁそれもあるが、それ以上に。


「俺らってその……なんだ。恋人とかみたいな特別な間柄でもないんだし」

「いえ! 私にとってはそういうものですよ!」


 いやいや。ほんとにどうしたんですか凛さん? なんかすごい積極的ですね今日は?!


「流石に恋人というのは恐れ多いです。でもあの日、あのような形で祐真さんに出会った時は驚きました。でもあの後、出雲様の無理な頼み事を引き受けてくださって、感謝しています」

「そりゃあどうも」


 頼まれたって言うよりはある意味押し付けられた……って、俺からしたらそう言った方がいい気もするが、凛のことを尊重して言わないでおこう。


「あの後、色々お世話になりました。祐真さんの母上様と妹さん。そして祐真さんにも。これから色々迷惑をおかけするかと思いますが、改めてよろしくお願いします」

「あぁ。よろしく、お願いします……」


 急にこう言われるとなんだか困るな。でも言われて悪いもんではないな。嬉しい。


「突然のことだったけど、迷惑なんて思ってないよ。こっちは色々と手助けしてもらってるから。母さんも喜んでたよ。新しい娘が出来たみたいだって」

「何でも言ってください。できる限りお手伝いしますから」

「そりゃあ頼もしい」


 しばらく歩き、信号待ちに。待っている間に今度はこんなことを聞かれた。


「あの……ひとついいでしょうか?」

「ん? どした」

「祐真さんのお父上はいらっしゃらないのですか…? まだお会いしていないので……」

「あぁーそれなんだけど、アメリカの方にいるからしばらくは会えないと思う」

「あめりか……ってなんですか?」


 あぁそうか。聞き馴染み無いか凛には。ちょうど信号が青に変わったので、歩きながら説明した。


「えっと、アメリカってのは日本とは違う……もっと遠いところにある国の名前でな。俺の父さんはそこで働いているんだ」


 父さんは、五年ほど前からニューヨークの方に単身赴任している。なので年末年始を除けば、会えるのはどうしても不定期になってしまう。


 今凛が使っている部屋も、元々は父さんの部屋。赴任する際に「俺の部屋は好きに使ってくれても構わない」とは言っていたけど、まさかこんな形で有効活用されることになっているとは、父さんも思うまい。

 というかこのことを母さんは、凛が居候しているということをどう説明したんだろうか。昨日電話したとは言っていたけど。


「それじゃあ祐真さんのお父さんは外国の人なんですか?」

「違う違う。俺と同じ日本人だよ。あくまで仕事の為にそっちにいるってだけ」

「そうなんですか。でもなかなか会えないというのは、寂しいものでは無いですか?」

「最初はそうだったかな。でも気がついたらそれが当たり前になっていたから、自然と寂しいなんてことは感じなくなったな」

「……」


 凛はそれを聞くと黙り込んでしまった。言い方が不味かったかな。


「で、でも会いたくないだなんては思ってないからな。小さい頃なんかはよく遊んでたし、電話でたまにだけど話もするんだ」

「そうですよね。やっぱりそうですよね!」


 また笑ってくれた。こっちの顔の方が、凛には似合っている。


「時間があったら、今度は凛の家族について聞かせてくれよ」

「はい。分かりました」


 やっぱり。笑っている時の凛は可愛らしい。それ以外の感想なんてない。



「というか思ったんだけどさ……」

「なんでしょうか?」

「なんというか、数日でえらい振る舞いが変わったなぁって思ってさ。出会った当初なんて凄いオドオドしてたってのに、数日で人が変わったみたいに明るくなってるからさ……」

「それは……皆さんのおかげでもあります。最初はもちろん慣れない場所でもあったので不安でしたよ。でもこうして色んな人と知り合えて、仲良くなれたんです。だからこそです」

「そっか」


 なんだかんだと話しながら歩いていたら、あっという間に校門の近くに、当然学園の生徒がチラホラ見られるようになり、同時に視線も集まってくる。

 何とか気を紛らわそうと、凛と会話することに。思い立ったことがあったので聞いてみた。


「ところでさ、もし俺と出会わなかった場合というか、本来の計画通りにこっち来た後はどうするつもりだったんだ?」

「そーですねー。適当に山の中で隠居しながら過ごすつもりでした」

「隠居って……」

「大丈夫です! 里育ちですから」

「いやそこじゃなくてな……」


 随分と狐もワイルドなものになったと思いながら、朝の校門を通り抜けるのであった。

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