懺悔
もう陽も暮れてきて遅い時間になるというのに、フェスティバルはかなり賑わっていた。とは言え、初日のあの歩くことすらままならない混雑ではなく、夕方という時間なりに子供たちなどはあまり居らず、少し落ち着いた雰囲気だった。
……何がどうしてこうなったのか。ケヴィンは今、レナードと二人で出店や催しで賑わう大通りを歩いている。レナードはいつまでも掴んだ腕を放してはくれなくて、ケヴィンは引っ張られてついて行っているような状態だ。
「なあ、君」
「あ! そうだ」
ケヴィンがかけた声を無視して彼は急に振り向いた。ケヴィンはびくりとして言葉の続きを失ってしまう。
「名前。名前で呼んでもいい? いつまでもキミやアンタじゃなんか嫌でしょ」
「あ、私は……」
「ケヴィン、でしょ。そういえばあのとき名乗ってなかったよね。団長から初めて聞いて、笑っちゃった」
「ああ、レナード」
「よし、じゃあ張り切っていこうか、ケヴィン!」
どこへ、とは聞けなかった。レナードはそのまま次から次へと出店をまわり、食べ物やら酒やらを買い込んだ。これ美味そう、あれもいいな、ところころ表情を変えて楽しんでいる彼は、なんだか子供のようで、騒がしいところや賑やかなところは苦手なケヴィンも、少し微笑ましく思ってしまった。
「さあ、食べよう!」
ずらりと並んだ料理は壮観だった。フェスティバルは秋の収穫祭として行われているもので、国の様々な土地から名産品を使ったものや郷土ならではの料理が売られていた。
「こんなに食べきれるのか? レナード」
「大丈夫! ケヴィンが残しても、俺めちゃ食べるから」
いただきます、と手を合わせる彼はどれから食べるか迷うな~、と言いながら目をキラキラさせている。ケヴィンはさほど量を食べるほうではないので、本当に大丈夫だろうか、と不安が先走ったが、料理はどれも美味しそうなものばかりで、目移りしてしまうのはよくわかる。
それから二人はたくさんの料理をつまみながら何でもない、普通のことを話した。所謂、ただの世間話というやつだ。つまらないわけではなかったが、レナードはこんな話がしたくてわざわざケヴィンの店まで来たというのだろうか。そのことが気になった。
「あんたって面白いな~マジで!」
「何が面白いんだ……」
「いやあ、ケヴィンみたいな人、俺会ったことないよ、いやほんと」
あれだけあった料理も食べ尽くして、席の横を通った煌びやかなパレードも見て、ほどほどに酒も入って、もともと明るいがさらに陽気な表情を見せるようになった。ケヴィンはといえば、酒にはあまり酔わない体質だったため、二人の温度差は開くばかりだった。それすらも、レナードは気にする様子はなかった。
けれど、ふと視線を落として、どこか寂しげな目をするときがある。ケヴィンは、その表情の意味がわかりそうで、わからなかった。
「前世の記憶、ってあんだろ」
「……ああ」
レナードが、またふと見せた寂しげな顔のまま、ケヴィンが最もして欲しくない話題を持ち出した。やはり、この話は避けられないというのか。そしてやはり、彼はこのことが気になっていたのか。
「俺あんなの、信じてなかった。本当だって、だからなんだって思ってた。……ケヴィンがあれを、『痛み』って言って……俺ちょっとさ、感動したんだ」
彼はその寂しさの中に、ほんの少しの喜びを混ぜて、ケヴィンに微笑んだ。その表情は、ただ寂しいばかりの顔よりも、もっと苦しげで見ていられない気持ちになった。
「あんたには、『当たり前』のことを痛む気持ちがあったんだ。それってさ、なんか嬉しかった」
「……私は、臆病なだけだ」
そうだ。私は逃げたいだけだ。ケヴィンはそう思い、自らの腕をぎゅっと握る。誰もいない店から連れ出されたときに掴まれた、あたたかい手を感じた自らの腕を。
「俺はさ、ずいぶんはやくに殺されたんだ」
「私は、罪を犯した」
まるで懺悔のようだ。しかし、許しを乞うことなどできない。だから、ただそう告げるしかなかった。
「……きっついよな。きついもんばっかり、見えてくる」
それでも彼は、そのケヴィンの言葉さえも慰むように頷いた。ケヴィンには、それが耐えられなかった。
「……君は、責めないのか」
「どうして?」
それが失言だとわかりながら、言葉をぽつりとこぼす。何故自分があんたを責めるんだと、至極当然の疑問。しかしそれには、ケヴィンは答えられない。
「罪を犯したのはケヴィンじゃない。ケヴィンは、じゅうぶん苦しんでるじゃないか」
ああ、私は卑怯者だ。これではレナードから、彼自身の口から、その言葉が聞きたかっただけのようではないか。そうケヴィンは自分を責めた。
本当は、そんな言葉よりも、酷く責め立てて欲しかった。口汚く罵られたほうが、よほどマシだったはずだ。けれど、彼はそれをしない。ケヴィンだけが、本当のことを知っているからだ。
そしてそれを知りながら、ケヴィンは彼に、私を責めないのかと、そう尋ねた。これが卑怯者でなくて、何だと言うのか。ケヴィンは自分が醜くて、おぞましくてたまらなかった。
「……もう遅い、送ろう」
「いいよ、ひとりで」
「送らせてくれ」
「……うん、わかった」
それ以上、話をすることは難しかった。すっかり夜も更けた。満天の星たちが、白けた二人の空気に、気まずそうに輝いていた。
「!」
しばらく黙って歩いていると、コートのポケットに突っ込んだケヴィンの手を、レナードがこそりと繋いできた。誰もいない夜道とは言え、夜更けに中年と青年がふたり恋人のような真似をするのは、異様だとケヴィンは思う。それに、二人はまったく恋人などではない。
それでもその手を振りほどけなかったのは、彼の手がほんの少し震えていて、それを誤魔化すようにぎゅっと力をこめてきたからだ。力で敵わない相手ではない。外へ連れ出されたのも、こうして手を繋ぐことも、ケヴィンが少し力を入れれば、すぐにやめさせることはできた。
できたのにしなかったのは、一体、何故だろうか。それはどこかで、彼を哀れむ気持ちがあるからだろうか。
「怖いのか?」
「あんたが?」
レナードの見透かすようなまっすぐな目は、どこまで感じ取っているのだろう。ケヴィンは、怖くて聞けなかった。
「夜だったんだ、もう少し寒くなった頃かな、雪も降ってた」
「……ああ」
何の話なのかは、聞かずともわかる。その日のことは、ケヴィンも脳裏に焼きついたように離れないからだ。
「大事なクマのぬいぐるみ抱いてさ、すごく寒かった。腹が減ってて、何か食べるものとかあたたかいところとか、なんでもいいから探してたんだ。そんなだから、なんも起きなくても、きっと死んじまったんだろうなあ」
何でもないことのように話す彼が悲しかった。私はその光景を知っている。彼女の死を、私は忘れた日などなかった。そうケヴィンは目を閉じる。そうすれば、幻影のようにうつるその光景が、見えなくなると思っているかのように。
「……すまない」
「……なんでケヴィンが謝るの」
「……すまない、私は、きみを」
「なんで、ケヴィンが泣くの」
涙は、気づけば溢れていた。頬を伝う雫が、夜の空気に晒されてすぐに冷たくなる。そしてレナードも泣いていた。
戦争で疲弊した兵士たちによる、民衆への虐殺。
対象は主に女性や子ども、徴兵により男性のいない家庭。
ストレス解消、ゲーム感覚、征服欲。
どれもこれも、寒気のする言い分だ。
笑っていた。泣いていた。狂っていた。
あの時代を生きた兵士たちは皆、狂っていた。
そうでなければ、きっと生きてはいけなかったのだろう。
狂わせたのは、誰だ?
「……あんたも、狂っちまってたっていうのかよ」
ケヴィンは最早、すまない、すまないと呟き泣くことしかできなかった。自分に泣く権利などないと、そう思いながらも、長年溜め込んだものはちょっとやそっとでは止まってくれるものではなかった。その姿を見て、レナードはどうしようもなく憤る。
「そんなの、信じらんねえ。それに、罪を犯したのが事実だって……それはあんた、ケヴィンじゃあないだろ」
レナードがいくら言っても、その想いは罪に塗りつぶされたケヴィンには届かなかった。終いには冷たい地面に膝をついてもなお謝り続けるケヴィンのことを見ていられなくて、レナードはついにそこから走って逃げ出してしまったのだった。
あれから数日間ずっと、レナードはケヴィンと過ごしたあの夜を思い出していた。結局、肝心なことは聞くことができなかった。けれど、あの泣いて縋るように謝り続けるケヴィンの姿が、答えのような気もする。
一緒にいるのが怖いと感じた。それは今もだ。
それは前世での記憶が邪魔をしているからで、きっとケヴィン自身に何かがあるわけではない。
「……あんなに謝りながらも、許してくれとは、一度も言わなかったな、ケヴィン」
レナードは、人を見る目はあるほうだと自負している。だからこそ、あんな姿を信じたくない気持ちが強くあるのだ。あれではまるで、ケヴィン自身の罪で、ケヴィン自身もそれを認めているみたいで、自分までそう思ってしまいそうだ。
「はあ……せっかく友達になれたとおもったのに」
でも、繋いでくれた手はあったかくて、すごく心強くて。不思議と、触れている部分は怖いと思わなかった。それが、レナードの心にいつまでも引っかかっていた。
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