第6話 n
階段を上りきり、しばらく一階と同じような見た目の廊下を歩いていると、前からコツコツとヒールの音が聞こえてきた。足を止め顔を上げれば少し先にピンク色のドレスを着た金髪の女が立っていた。その両側には人形を大事そうに抱えたメイド服の少女と執事のようにタキシードを着た少年が控えていた。
「あら、あなたがジュールが連れて来た『救世主様』よね?」
そう尋ねられて「まあ、そうみたいだな」と曖昧な返事を返す。
「あんたは?」
そう尋ねると彼女がくすりと笑った。
「私の名前はワット。ジュールの双子の姉よ」
(あいつの姉か)とジュールの顔を頭に思い浮かべる。弟と違って姉の方は口下手ではなく快活でしっかりしていそうだ。
(どことなくボルトの面影があるな)と思って彼女を見ていると、ワットが少年と少女を見下ろした。
「それで、こっちにいるのがダイオード。お父様とジュールの身の回りのことをしてくれているの。反対にこっちはトランジスタで、私とお母様の身の回りの世話をしてくれているのよ」
紹介を受けてタキシード姿のダイオードがぺこりと会釈をし、メイド姿のトランジスタが恥ずかしそうにワットの後ろに隠れた。
ワットはそんなトランジスタを見てから俺のことを見た。
「それで、その救世主様がこんなところで何をしていらっしゃるのかしら?」
不思議そうに尋ねられ口を開く。
「いや、せっかく理科の国の物理地方に来たんだから、あちこち見ておかないと物理教師の名がすたると思ってな」
そう言うとワットがくすりと笑った。
「そう、さすがね。それくらい物理に興味があるのなら大丈夫かしら。……まあ、頑張って公式を取り戻して頂戴。期待してるわよ」
そう完全に人任せのように言われて俺は頬を掻きつつ頷いた。
そんな俺を見ながらワットが再び口を開いた。
「そうだ、あなた、お母様にはお会いになったかしら?」
彼女に思いついたように言われ首を振る。
「いや、まだだけど」
そう答えるとワットが真剣な顔をした。
「そう、それなら今から会ってきてくださらないかしら」
そう言う彼女に首をひねる。
「あんたの母親って、確かアンペア……だったか?」
そう尋ねるとワットが頷いた。
「ええ。お母様、公式がなくなり始めてから心労で倒れてしまったの」
彼女の言葉に、この城に入る前に盗み聞いた老婆と門番の男の話を思いだした。
「ああ。人づてに聞いたがそうらしいな。それなのに俺が会って大丈夫なのか?」
そう尋ねるとワットが頷いた。
「ええ。お母様が倒れるのはいつものことだもの。そんなに心配することではないわ」
そうあっけらかんと答える彼女に「なんだそりゃ……」と思わず呆れた顔をする。それを受けてワットもやれやれといったようにため息をついた。
「お母様って昔からとっても心配性なのよ。私がちょっと怪我をしただけでも、ジュールが遊び回って門限を少し過ぎただけでも心配で倒れてしまうくらいなのよ」
常に悠然としたボルトと違って、母親のアンペアはかなり線が細いらしい。
(二人を足して二で割ればちょうどいいだろうにな)と思って俺はため息をついた。
「で?俺が王妃様に会って何をすればいいんだ?」
俺の質問にワットが真剣な顔で答える。
「あなたが公式を取り戻しに来た救世主だってことを伝えて欲しいの。そうしたら、お母様は少しは安心して気分が良くなると思うわ」
「そんなもんか?」と尋ねると力強く頷かれた。まあ、娘のワットが言っているのならそうなのだろう。
俺が公式を取り戻すということはもう既に決まったことなのだ。そのことを伝えてアンペアを少しでも安心させてやろう。
俺が頷くのを見るとワットが満足そうに微笑んだ。
「頼んだわよ。トランジスタ、救世主様をお母様のところに案内して差し上げて」
ワットの言葉に、恥ずかしそうに後ろに隠れていたトランジスタがびくりと体を震わせた。そして困ったようにワットをおずおずと見上げる。
躊躇ったように動かないトランジスタにダイオードが
「トランジスタ、僕と一緒に案内しよう」と声をかけた。その言葉にトランジスタがもじもじしながら頷いた。
それを見てワットが困ったように笑う。
「トランジスタは極度の怖がりなの。その上人見知りだから初めて会った人とはまともに話せなくて」
ふうんと納得しながらトランジスタが大事そうに抱えた三つの人形を見る。おままごとに使うようなそれらの人形は、トランジスタに強く抱かれすぎて少し形が変わってしまっていた。
「ほら、トランジスタ。一緒にこの人を王妃様のところに案内しよう」
ダイオードがトランジスタに向かって手を伸ばす。トランジスタが頷き、おずおずとその手をとった。
彼女が隣に並んだのを見届けてからダイオードが口を開いた。
「王妃様はこちらにいらっしゃいます。どうぞ」
トランジスタと違ってダイオードはかなりしっかりしているようだ。利発そうな顔をして俺のことを見ている。
俺が頷くのを見届けると回れ右をしてゆっくりと歩き出した。俺はその後を続く。ワットの横を通り過ぎようとしたとき、彼女が小声で俺に耳打ちした。
「救世主様。ジュールのこと、よろしく頼むわね」
彼女の言葉に怪訝に思い振り返る。しかし、ワットは俺の方に見向きもせずにそのまま去っていってしまった。
(ジュールをよろしくって……なんのことだ?)
聞き返したかったがワットは振り返ることなく歩いていってしまって、すっかり俺から遠く離れたところにいた。わざわざ呼び止めて聞くのもなんだか野暮な話だ。
どういう意味なのかと考えても答えは出そうにない。俺は息をつくと、振り返って俺のことを待っているダイオードたちの方に向かって歩き出した。
洒落た扉の前でダイオードとトランジスタが立ち止まった。そして俺のことを見る。
「ここに王妃様がいらっしゃいます。……どうぞ」
ダイオードが手を伸ばし、扉を開けるよう促した。彼は小学生高学年くらいの見た目であるのに大人顔負けなほどしっかりしていた。
ダイオードの言葉に従って扉の前に立つ。
(さすがにノックしないとまずいよな?)
そう思い、トントンとノックをした。
扉の向こうから「どなた?」と優しく上品な声が返ってくる。
「あー……。この地方を救うために来た『救世主』なんだが」
自分で自分のことを救世主などというのは恥ずかしいことこの上ないが、このように言ったほうが手っ取り早いため仕方がない。
俺が自己紹介をして少し経ってから、ゆっくりと目の前の扉が開いた。
扉の向こうから綺麗な女が顔を出した。頭にティアラをのせ、黒く長い髪を後ろでお団子のように纏めている。ワットと違いおっとりとした黒曜石のような瞳が俺を捉えた。
「まあ、あなたが救世主様……。ようこそ我が地方にいらっしゃいました」
扉を開き、彼女、アンペアが嬉しそうな顔をして俺を見る。
「どうぞお入りになって」
そう言って柔らかい笑みを見せた。
「じゃあ、お邪魔します」
王族特有のオーラのせいなのか、輝くような笑みを向けられて思わず面食らう。
「トランジスタ、救世主様に椅子を用意して差し上げて」
アンペアの言葉にトランジスタがびくりと体を震わせたあと頷いた。そして柔らかそうな椅子をどこからか持ってくるとおどおどと俺の前に置いた。そして俺の顔色を伺うように上目遣いで見た。
「ありがとな」
そう言って笑うと恥ずかしそうにうつむいたあとダイオードの方に駆け寄っていき、彼の後ろに隠れた。
アンペアが天蓋付きのベッドに腰掛けるのを見ながら俺もトランジスタが持ってきた椅子に座る。その椅子はふわふわで座り心地がとても良かった。職員室の椅子もこれくらい心地よかったらテストの採点がもっとはかどりそうなものだ。
一通り椅子の心地よさを堪能したあと、こちらを優しげな顔で見つめるアンペアに声をかける。
「えーっと……。倒れたって聞いていたが、あんた、調子は大丈夫なのか?」
そう尋ねると彼女が恥ずかしそうに頷いた。
「ええ。大分良くなりました。トランジスタたちがとても良くしてくれて」
そう言って扉の近くで控えているダイオードとトランジスタの方を見て微笑む。王妃といえども威張っている感じではなく、むしろ腰が低いようだ。
アンペアは、見た感じ細くてか弱そうで決して体が強そうには見えない。すぐに倒れてしまうというのも頷ける。
「まあ、そんな心配しなくてもいいぞ。俺がなんとかしてくるから安心しろよ」
そう頭を掻きながら言う。優しい言葉をかけるのに慣れていなくてどうしようもなくはずかしく感じる。
素っ気ない言い方になってしまったかもしれないが、アンペアは微笑んでくれた。
「分かりました。……物理の未来をよろしくお願いいたします」
そう言ってアンペアが深々と頭を下げる。
俺は彼女を元気づけるようににっと笑うと、
「おう、任せとけ」とどんと胸を叩いた。
ふと、ベッドの横にあるチェストの上に燭台が置いてあるのが目に入った。それに取り付けられた蝋燭にはあかあかと火が灯っている。……いや、本物の火ではなくどうやらLEDのようだった。
(そうだ、研究所に行くためには灯りになるものが必要だったな)
あの燭台が使えるかもしれない。俺はアンペアに貸してもらえるか頼んでみることにした。
「なあ、王妃様。この燭台、少し借りてもいいか?」
そう尋ねるとアンペアが不思議そうな顔をした。
「ええ、もちろんですが……どうしてですか?」
「この燭台のデザインが結構好きでな。部屋に飾っておきたいんだが、駄目か?」
立ち入り禁止と書いてあった手前、研究所に行くために必要とはとても言えない。適当なことを言うと、アンペアが納得したように頷いた。
「私もこの燭台のデザインは気に入っているんです。ふふ、気が合いますね。救世主様の頼みでしたら喜んでお貸ししますよ」
「ありがとな」とお礼をいい、燭台を拝借した。これで研究所に行けそうだ。
俺がそんな悪巧みをしているとは露知らず、アンペアは上品な佇まいで微笑んでいた。
「じゃあ、王妃様。もう俺は行くぜ」
「ええ。……わざわざ顔を出していただきありがとうございました」
そう言ってお辞儀をする彼女に「気にすんなよ」と声をかける。
「ダイオード、トランジスタ。救世主様がお部屋にお帰りになるまで付き添って差し上げて」
アンペアの言葉にダイオードが頷く。それを見て、俺は慌てて断るように手を振った。
「いや、一人で部屋くらい戻れるよ。そんなに気を遣わないでくれ」
そう言うと「そうですか?」とアンペアが心配そうな顔をした。
「ああ。色々ありがとな」
俺はそうお礼を言うと逃げるようにそそくさと外に出た。
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