第24話 n回目の節分の日(2)
「さて。顔合わせも済んだところで、乾杯しよ、乾杯!」
実璃はそう言って、みんなのぶんのコップとグラスを持ってくる。
子供たちにはジュースを、大人はほんのちょっとのアルコールを注いで、乾杯した。
今日は金曜日だから、珍しく、ある程度遅くまでゆっくりできる。
まるで昔の、昔から知っている親戚同士の集まりみたいに、リラックスした雰囲気で。
ご馳走を食べて、大人はほろ酔いになった頃、三人組は純花の部屋で流行りの携帯ゲームを始めた。流行りと言っても、私や実璃が子供の頃からあるゲームの続編の続編の続編の……って、もううん十年と続いてるシリーズらしいから、私もちょっと気になる。
子供たちに『裏技おしえてよー』なんて言われて、樹さんが子供部屋に連行されてからは、女五人で、さらにおしゃべりに花が咲く。
実は、杏奈と、真雪さんと美冬さんは、同じ高校の同級生らしくて。近所にある、なかなかに偏差値の高い学校だったから、驚いた。
「そっかー、だから氷菜ちゃんは頭いいんだね」
「おかしいなー? 仁も私の子のはずですけど……?」
「いやそれは、杏奈の子だからでしょー」
「失礼な!」
そんなふうに続くおしゃべりは、まるで昔からお友達だったみたいで。女友達が少なかった私は本当に嬉しくて、実璃や純花には感謝しないとなーと思う。
「しかしな、仁って絶対、純花ちゃんのこと好きだと思うんだよね」
「いやいや、まだ小学生だよー?」
「わかんないよ? 最近の子は進んでいるというし……」
「えっダメ! 純花は誰にもやらん!!」
「みーちゃん、酔っ払いすぎ……」
そうそう、私に不合格を出されたみーちゃんの煮豆は大人達に絶賛されていて、真雪さんなんて、カフェのメニューに欲しい、とまで言い始めていた。
楽しく時間は過ぎて。子供たちもすっかりおねむな時間になってきたようだったから、名残惜しいけど、お開きにすることにした。
帰り際に、今度みんなでキャンプに行こうね!なんて話も出たりして、今からわくわくしてしまう。
パーティーの後片付けをしながら純花を先にお風呂に入らせて、おやすみをして。
そのあとは、ふうふ二人だけの時間になった。
他のふうふ達のお話を聞いたせいなのか、今夜は無性に実璃への愛が溢れてきてしまう。
わがままを言って今日は二人一緒にお風呂に入って、一緒のベッドに入る。
「節分、終わっちゃったね」
「うん。楽しかったね」
「いろんなご家庭があるってわかって面白かったよね」
そう言って、ベッドに寝転んだまま、小さな声でおしゃべりする。この時間が、私の一日で一番幸せな時間。純花が子供部屋で一人で寝るようになってから、私たちはまたこうして、一つのベッドで眠れるようになった。
いつになっても、いくつになっても、私はこうしていたい。
実璃の隣で。
「菜瑠ー」
「えっ、なに……? ……んっ」
私の返事も待たずに、実璃は私に重なってくる。
「こっちの豆も食べたい」
そんなことを言って。私の太ももなんか触ってきて。……もう!
せっかく私がいいこと考えてたのに、最後のシメがそれ……って! もう!
でも、そうやってちょっと憤ったのも一瞬で。
私は実璃の腕に抱きすくめられて、とろんとした頭のまま、しっかりいただかれてしまったのだった。
***
「あ、ママ、笑ってる」
「本当だ。なに、考えてるんだろうね」
とても幸せそうな菜瑠の寝顔を見て、私はほっと胸を撫で下ろす。
よかった。苦しいの、少し楽になったかな。
「今のうちに、ご飯、食べておこうか。食べたら、純花は寝ておきなさい」
「でも、みーちゃ……」
心配そうな声で言いかけた純花を制して、言う。
「これはね、私の最後の仕事だから」
*
私の二月は忙しい。純平の命日に、バレンタインデーに。私と菜瑠が付き合い出した記念日まであって。それに加えて、節分の日に向けて、菜瑠の好みの煮豆を作れるように準備しなきゃならないんだから。
私が節分の日に、菜瑠のおばあちゃんの話を聞いてから、何年経っただろう。
菜瑠のお母さんのお誕生日が節分の日で、誕生日兼豆まきパーティーなんてものを、昔はよくやっていたらしくて。
そのときにいつも食べていた煮豆が食べたいと菜瑠が言うので、私はそれから毎年節分に煮豆を作るはめになった。
純花がまだ節分の豆を食べれないときにも、煮豆は重宝した。偏食だった純花も、豆類だけは好物だったから、柔らかく煮た豆を歳の数だけあげて。それを美味しい美味しいと言って食べてくれたのだけど。
私の作る煮豆に菜瑠から合格がもらえたのは、そのあとずいぶん経ってからだった。
その間には、純花は結婚して子供を産み、菜瑠のお母さんも私の母も亡くなった。
親を看取り、孫が産まれて、私も菜瑠もすっかりシワシワになって。
純花が出て行って、少しだけ広く感じるようになった部屋で、私と菜瑠は二人きりで生活していた。
朝はゆっくり起きて、老人らしくないね、なんて言いながら、午後から手を繋いでお散歩をした。それじゃ、どっちかが転んだら二人とも怪我するじゃない、なんて、純花には笑われていた。
夜になれば、もう若い時みたいなことなんてできないけれど、同じベッドで眠りにつくまでずっと、やっぱり手をつないで。
いつまでもこうしていたい、なんて、思ってしまうけど。
そんなの、ダメだよね。だって私たちは、生き物なのだ。
いつかは、終わりが来る。
去年の秋頃に、珍しく風邪をこじらせて入院した菜瑠は、癌のステージⅣだと診断された。余命はもう半年もなかった。今まで何の症状もなかったのが不思議なくらいだったそうだ。
年齢や体力を考えると、もう手術も投薬治療もできなかったから、菜瑠は訪問看護を利用して、やがてやってくる死までの時間を自宅で過ごすことになった。
告知を受けて菜瑠はボロボロ泣いた。純花も、私も。年甲斐もなく、みんなで。
しばらくは夜になると、二人で抱き合って泣きながら眠った。
こんなに長く一緒にいても、それでもまだ離れるのは嫌だった。
一秒でも、一瞬でも、長く一緒にいたかったのだ。
だけどある時から菜瑠は泣かなくなった。
私や純花に心配をかけないようにしているんだということはわかった。
痛いのも怖いのも寂しいのも苦手な菜瑠が、迫り来る死の恐怖に耐えられるわけがないのに。
だけどそんな菜瑠の想いを無駄にしないためにも、私も頑張って泣かないようにした。
菜瑠がしたいこと、行きたいところ、できる限りの楽しいことをした。
孫達も含めてみんなで近場で旅行にも行った。
だけど年が明けてからは、菜瑠の容体はどんどん悪くなっていった。
菜瑠の意識は日ごとにぼんやりとしたものになり、眠っている時間が増えて。
少しずつ、会話ができる時間はなくなっていった。
夜になると身体に痛みが出て、苦しくて暴れてベッドから落ちてしまったから、居間に、落下防止用の柵のついた介護用のベッドを置いた。
私は朝も夜も居間で過ごした。寝不足になっても構わず、菜瑠が夜中に苦しそうに呻けば起きて声をかけ続け、ヘルパーさんや純花がいない間のお世話は全て私が行った。
さっきお医者様が来て様子をみてくれて、それで疲れたのか、菜瑠は急に静かになった。
純花が職場からの呼び出しを受けて部屋を出ると、部屋には菜瑠と私の二人きりになった。
「菜瑠」
私は言葉をかける。
菜瑠は聞いてるのか聞いていないのかわからないけれど、頬が少し緩んだ。
呼吸は安定していて、苦しがっている様子もない。
だから私は、彼女の手を握って、そのまま話しかける。
懐かしい思い出が蘇ってくる。きっと私は、同じ話ばかりしていたと思う。何度も何度も、同じことばかり。
「愛してる」
私は気づいていた。握っていた菜瑠の手の先が、少しずつ、本当に気づかないくらいに少しずつ、冷えていっていることに。
医者には、言われていた。
『そのときがきたら、119番じゃなくて、僕を呼んでね』と。
最後のその瞬間まで、私たちが一緒に過ごせるように。
そういう優しい配慮だった。
立ち上がって、菜瑠の頬に触れると、そこはもう冷たくなっていて。
「ありがとう」
少し紫がかった唇に口付ける。ぽたっと雫がひとつ。
乾き切った彼女の肌に落ちていった。
私たちがふうふになってから、約五十年。
少しだけ寒さのゆるんだ二月三日の午後。
私が、この世界で一番愛する人をうしなった瞬間だった。
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