第243話 おにいちゃん!

ひとりでも帰れるけど・・・、夕方の熊本駅はちょっと心細かったから

恵さんが来てくれて、良かった。

そう思う真由美ちゃん。


恵は、一旦降りて・・・缶ジュースをふたつ持ってきて。


「ピーチとオレンジ、どっちがエーですかいのー。」と。

顔の前にかざして。おどける。CMのマネして。


真由美ちゃんは「似てる似てる」と言って、物真似の得意な友里絵を思い出す。


・・・もう着いたかな。


そんなことを考えてると、お兄ちゃんが構内を渡って駆けて来て

「ごめん真由美。急に超勤で」と。

まだ制服のまま。


真由美ちゃんは、笑顔に。「おにーちゃん!」と。席を立って

デッキからホームに下りた。


恵は「あらあら・・・・」と、にこにこ。「お兄ちゃんが恋人、か」


・・・・いいなあ、あんなに真っ直ぐに想えて、誰かを。

と。


恵だって、素顔は21歳の女の子、と自ら言うのは憚られるが。

心は、そんなに変わっていない。


誰か、好きな人がいたら、ふにゃ、って。溶けちゃうかもしれない。

そう思う自分を「つんでれって、言われるんだろな」と。ちょっとはにかむ。


「部屋には本が積んどく、だけど」と・・・。つまらない冗談を思いついて

自分で笑った。


真由美ちゃんは、とことこ・・・と。小走りに

お兄ちゃんのとこへ。


ちょっとむくれる「もー。」


お兄ちゃんは「牛かい」と、ふざける。


真由美ちゃんは、お兄ちゃんの胸を

こぶしで叩く。「でも、乗務じゃしょうがないね」



お兄ちゃんは「そろそろ出発だよ、乗ってた方がいい。」



真由美ちゃんは「うん。じゃ、行くね。お兄ちゃん、ゆっくり寝て?」


お兄ちゃんは「わかった」と、だけ言って。


本当は、ゆっくり寝る時間はなかったりする。


若手機関士に、よく、そういう「穴埋め」仕業が来る。

老練の機関士は、無理が利かなくなってくるから

貨物は特に、操作ミスが大事故につながりやすいから・・・である。


寝台特急の仕事を、よく老練機関士が受け持つのは、そんな理由もある。



真由美ちゃんは、とととと・・・こ、ちょこちょこ歩いて。

列車に入った。デッキをとおり、通路ドア・・・は、自動ではなくて

アルミの取っ手が付いている、懐かしいもの。


今は、空いたままになっていて。


客室が見えないように、スモークになっている。


客室に入って、空いている車両・・・恵のいる座席、8番ABへ。

ボックス席なので向かい合わせ。


お兄ちゃんは窓際に居て。

恵に何か話していた。

「妹がご迷惑をお掛け致します」とでも言ったのだろうか。

恵も和やかに、いえいえ、と・・・。



真由美ちゃんが来たので、ふたりはお話を止めて


「じゃ、な」と、お兄ちゃん。


恵は、にこにこ・・・。「温泉、温泉」


真由美ちゃんは、その席の廊下側にちょこん、と座って。


「お兄ちゃん、ちゃんとごはん食べて?」と、にこにこ。


お兄ちゃんは「ははは、寮だもの。大丈夫。お母さんみたいだ」と、笑うと

少年のようだ。



ホームにアナウンスが流れる。


ーーー湯前ゆき、急行球磨川7号、発車ですーーー。


と、駅員さんの声で。太い、丸い、優しいおじさんの声。

ホームにいる出発掛さんだろうか。



車掌さんが、車両最後尾のホームで確認。


笛を吹く。



信号、よし!

安全、よし!

乗降、終了!

ドア、閉!


と、ひとつひとつ、白い手袋で指差確認。


時刻を確認。


乗務員室に入り、ドア・スイッチを下げた。

ドア・エンジンの空気シリンダーに、空気が入って。



ぷしゅー・・・・・。

ドアが、がらりと閉じた。



ごーぉ・・・・と、床下のエンジンはずっと連続音だ。

12気筒タイプなのだろう。


重たい車体が、ゆっくりと動き出す。


お兄ちゃんがにこにこ「じゃな」と、手を振って。


列車は、するすると走り出す。



真由美ちゃんも、恵が居るので

あまり淋しい思いをしないで済んだ。




車掌は、発車している列車の車掌室窓から少し、頭を出して。

帽子が飛ばないようにあごひもをして。

負圧領域に頭を置く。


ホーム安全、よし!

右手は、ドアスイッチに。



編成が、ゆっくりゆっくり八代方面へ進んでいく。


暗くなりかけた熊本の空に、テールランプの赤がすーっと。消えていく。



「行っちゃったか」と、お兄ちゃんはホームで見送り。




お兄ちゃんの側に、小柄なおばあちゃんが、にこにこ。

白髪、銀ふちの眼鏡、着物。地産の藍染めだろうか。



「あのー・・・阿蘇のほうへ行きたいんだけど」と。


お兄ちゃんは制服のまま。「機関士」の腕章は外しているけれど。




「はい。そちらは・・・・じゃあ、ご案内します」と、お兄ちゃんは優しい。



おばあちゃんはにこにこ「ありがとう・・・。」



お兄ちゃんは、ゆっくり歩いてエスカレータの方へ。


豊肥本線は駅舎側である・・・。








高森線の友里絵たちは、そろそろ終点。



♪おてもやーん♪ の、オルゴールが


ワンフレーズだけなので、なんとなくユーモラス。


まもなく、終点、高森です、と、明るい女声でアナウンス。


運賃表示が明るい。


外はだいぶ、暗くなってきた。



さっきのにゃんこ「たま」は、出窓のところで、ころん、と

横になっている。




友里絵は「たーまちゃん」と、にこにこ。

なでなでしてる。



「友里絵がそういうと、タマちゃんに言ってるみたいだな」

と、由香。

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