第50話 約束を守るために
兵士が目前にまで迫り、立ち竦み、腕の中のモフーを思わず抱きしめる。
痛みが訪れる瞬間を覚悟していると、切っ先は私の脇を素通りし、直後にすぐ背後から呻き声が聞こえた。
振り向くと、真後ろに迫っていた男が胸を貫かれて地面に倒れているところだった。
「シャーロット、無事で良かった。このままついて来てくれ」
兜で顔を隠している目の前にいる人の声を聞いて、体から力が抜けそうだった。
レオンは、被っていた兜を脱ぎ捨てると、襲いかかってくる兵士に応戦しながら、私を城外に誘導していく。
その途中で一度私の姿を確認するように見て、また走り出す。
「レオン、どうして……ダイアナは無事なのですよね?」
レオンの顔を見て安堵しつつも、こんな所まで来てしまって大丈夫なのかと不安もあった。
「大聖堂に、王都の外からつながる地下通路がある。俺はその道を知っていたから、そこを通って来た。ダイアナ様は、レインが護衛して他の騎士の所に合流しているはずだ。こっちだ。家に帰ろう」
レオンの後ろについて走りながら、家に帰ろうと言ってくれた言葉に、胸がいっぱいになっていた。
私の家は、レオンがいて、レインさんがいて、ダイアナがいる、あの帝都の部屋だ。
帰りたいと、思えた場所。
家に帰ろうと言われて、初めて意識したものだった。
城と大聖堂の距離は近い。
でも、炎と煙がもう城近くまで迫っている。
煙を吸わないようにモフーを服の中に押し込め、炎と煙が行手を阻まないように、今だけは雨を降らしてと願った。
瞬く間に王都上空を覆った雲は、ポツリポツリと降り出し、勢いを増して、炎の勢いを和らげてくれる。
これ以上、炎が広がることはないはずだ。
人々はどこに逃げたのか、他国の兵士とすら遭遇せずに目的地まで辿り着けていた。
別の区画にある貴族の住宅密集地で、略奪などが行われているのかもしれない。
大聖堂は荒された様子はなく、物音がしなかったから、正面の入口から礼拝室に入った。
「大丈夫そうだ。こっちに」
レオンの声に導かれ、奥の部屋へと進もうとしたところ、今入って来たばかりの扉が大きな音とともに勢いよく開け放たれた。
そこから大勢の兵士が踏み込んで来る。
十数人はいる兵士は、私達の姿を認めると、各々に武器を構えてこちらに向けていた。
「シャーロット、俺の後ろに」
武器を構えた集団を前にしても、レオンは落ち着いている。
祭壇の横にある小さなドアの奥、狭い通路の方へと、少しずつ私を下がらせる。
ジリジリと兵士達も迫って来る中、互いの緊張が増し、ピリピリとした空気に包まれ、それがピークに達した瞬間、
「退がれ」
一人の女性騎士が私達の間に立った。
「余計な戦闘で時間をかけるな」
彼女が上官なのか、武器を下ろすように他の兵士達に指示をしている。
「我々の目的は、バージルだ。貴様達が無関係だと言うのなら、早くここから去れ」
どこか、遠い記憶の中の母に似ている気がする女性騎士が、私達に言った。
レオンが見極めるように、騎士を注視していると、
「オリビア様、王太子バージルを捕らえたそうです」
聖堂の出入り口から一人の兵士が叫んだ。
「退くぞ。もう、ここでの目的は達成した」
女性騎士が命令を下す。
「同じ名前なのだな……」
そして私達を一瞥し、そんな呟きを残すと、兵を率いて聖堂から出て行った。
シンっと静まり返った聖堂で、衝突が避けられた事にホッと息を吐く。
「シャーロット、こっちだ」
立ち止まっていたのも束の間、中庭を通り抜けて、地下通路への入り口を目指す。
「あまり時間がないかも」
「時間、が、ない?」
ずっと走っていたから息があがっていた。
呼吸が苦しくて、喋るのが辛い。
平然としているレオンはさすがだ。
「船は沖合いに停めているけど、港が争乱に巻き込まれたら、小船が動かせなくなる。ダイアナ様はすでに本船に乗船しているとは思うけど」
私達がこの大陸に取り残されてしまうかもしれないってことだ。
燻る不安を煽るような薄暗い安置室に入ると、レオンは石造りの台座の一つを押す。
重々しい音がして、地下への階段が姿を表していた。
「下に降りるとハンドルがあるから、それで開閉が可能なんだ」
説明しながらも、すでに下の方へと降りて行っている。
「危険はないようだから降りてきて」
滑らないように慎重に足を運びながらも、気持ちは急く。
地下水路を抜け道として利用したようで、所々に灯された灯りで足下を確認しながら進む。
人が二人並んで歩いても余裕があるくらいのスペースがある広さで、しっかりとした造りに、地下にこんな設備があったのは知らなかった。
何年も過ごしていたのに、知らない事ばかりだ。
感覚がおかしくなるくらい進んだ頃、
「誰か来る。シャーロット、先に行くんだ」
ピリッとした警戒の声がかけられた。
耳をすますと、複数の足音が後方から聞こえる。
レオンはすでに小剣を抜いている。
また、緊張が一気に増す。
一人で逃げるような行為に抵抗もあるけど、こんな狭い場所に私がいつまでもいたら、レオンの邪魔になる。
「外で待っているので、早く来てください」
「わかった」
疲労で足をもつれさせながらも、なんとか動かして、暗くて狭い道を一人で走る。
後方から響く金属音に動揺する。
レオンが誰かと交戦している。
大丈夫なのかと、後ろ髪を引かれながら光の中に飛び込むと、眩しさに目を細めていた。
湿気を多分に含んだ木々の匂いがする。
目が明るさに慣れると、周りの景色が見えてくる。
森の中に出ていた。
王都周辺のキャンプ地にいた人達は、散り散りに逃げているのか、この辺には人の気配はない。
レオンは無事なのかと後ろを振り返ると、背筋をヒヤリとしたもので撫でられたように感じていた。
今、私が出てきた所から、エンリケが姿を見せたのだ。
「レオンは……」
どうしたのかと、ぽっかりと空いたエンリケの背後の暗がりを見つめる。
「行かせはしないよ。イリーナは、俺のものだ」
エンリケの赤みがかかった瞳に私が映る。
もはや狂気と言ってもいい気配を纏い、私に手を伸ばしてくる。
逃れるように後退るも、足は恐怖でガクガクと震えていた。
指先が触れかけた寸前に、エンリケの動きが止まる。
視線を動かすと、胸からは剣先が突き出ており、彼の目は見開かれ、グフっと吐血しながら倒れ込む姿を、目の前で見ていた。
エンリケの後ろにいたのはレオンだった。
その姿を見て安堵して、駆け寄って無事を確かめたかったのに、
「………………ろせ」
力無く地面に崩れ落ち、血溜まりの中で、うつ伏せに倒れたエンリケが何かを呟いた瞬間だった。
私が突き飛ばされたのは。
そして、すぐ頭上をレオンが振り抜いた剣が掠めていく。
地面に座り込み、何が起きているのか、呆然とレオンを見上げていた。
「逃げろ……シャーロット……」
自らが振う剣から守るために、私を突き飛ばしたのはレオン自身だ。
『言の葉を使い、相手を意のままに操る者』
いつかのダイアナの言葉が蘇る。
「渡さない……誰かに渡すくらいなら……」
血溜まりの中で倒れているエンリケの声が聞こえる。
「シャーロット、逃げろ……」
私の考えを肯定するかのように、レオンの声が絞り出される。
「ふふっ……命令した……俺が死んでも……その騎士は、イリーナを殺すまで、止まらない…………これで永久に俺と同じ場所で…………」
そこで言葉が止まった。
エンリケが息絶えた瞬間を示していた。
薄っすらと開かれた瞳からは、生気を感じられない。
もう、エンリケの言葉を取り消せる者はいない。
私に剣を向けているレオンと、見つめ合う。
顔を強張らせ、必死に抗おうとしている。
ブルブルと震える腕が、彼の意識がせめぎ合っていることを知らしめる。
レオンから距離をとるしかない。
腰を上げて、転がるように離れると、今の今まで私がいた場所に剣が振り下ろされていた。
ドッと、土を叩きつける音が生々しく響く。
どうすればいいのか、頭がまわらない。
ドクンドクンと、痛くなるほどに自分の胸が鳴っている。
空気を震わせながら向けられる剣から逃れ回る。
わずかに感じられる躊躇いがなかったら、今頃とっくに切り裂かれている。
誰かと、願ったところで、
「レオン!シャーロット!」
祈りが通じたかのようにレインさんが木々の間から姿を表していた。
でも、困惑した様子で私達を見比べている。
縋るように、助けを求めるように、レインさんに視線を向けた。
「レオンが、操られて、能力者のエンリケは死んでしまって、止められない。レインさん、レオンを助けてください」
声が詰まりそうになりながらも、それを伝えた。
レインさんならレオンを止めてくれると思ったのに、どうにかしてくれるとわずかな希望を抱いたのに、何を思ったのか、私の前に立つと、迷いもなく剣を抜いてレオンから振り下ろされたものを受け止めていた。
「レインさん、レインさん、やめて!!」
目の前で、何度も剣が交じり合い、火花が散る。
兄弟の剣が
叔父と甥の剣が
家族である二人の剣が
でも、エンリケに操られ、レオン自身も抗おうとしているから、そんな状態でレインさんに敵うはずはない。
ある時を境に、レインさんはレオンを傷つける事を躊躇しなくなった。
体の自由がきかないのに、レオンの意識はある。
一撃ごとに、レオンの肉を切り裂くたびに、顔は苦悶に歪む。
私を殺そうとするレオンの剣が止まらない限り、レインさんも止めない。
斬撃によって、レオンの胸当てが打ち壊され、地面に落ちる。
最悪な事態が頭をよぎる。
「レインさん……レインさん……やめて…………」
レインさんが、それを選択するはずがない。
誰よりもレオンの事を大切に想っている人が。
「私は、どうせ長くは生きられない。レオンが犠牲になる必要はない!!貴方がレオンを傷付ける必要はない!!」
それを伝えたところで、結末が変わる事はなかった。
私の声が空しく響いただけで、覚悟を決めたレインさんには届かない。
振り上げた腕をレインさんが掴むと、剣先はレオンの胸の中心に呑み込まれるように埋もれていく。
その光景は、背後からでは兄が大切な弟を抱きしめているようにしか見えなかったのに、レオンの苦悶に歪む顔と、足下に滴り落ちていく赤い水滴を見て、あの日以上の絶望に襲われていた。
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