第30話 あの人が来た
人違い騒動の翌日。
朝食の時間を終えたばかりの野営地内は、昨日よりもさらに賑やかと言うか、騒々しいことになっていた。
団長の執務室を兼ねている大きなテントの周りで、見たことがないほどの人だかりができていた。
騎士以外の者の姿が目立つけど、商人とも違うようだ。
一体、何があったのだろうと遠くから眺めていると、その中に信じられない人の姿を見つけた。
あの人がいたのだ。
王太子妃アリーヤ。
何でここに。
逃げてきたの?
王太子も一緒?
バージルのあの冷えきった視線と投獄された時のことを思い出し、身震いしていた。
「シャーロット、どうした?顔色が悪いぞ」
目敏いレオンが心配そうに駆け寄ってきてくれるけど、事情なんか話せるはずはない。
「ううん、何でもないです。ただ、また今日も人が多いなって、驚いただけです」
「ああ。あの集団は、ドールドランからの使者だ。妙な事を話す人がいて、ちょっとした騒ぎになっているんだ」
「妙なこと?」
「ロズワンド王国から正式な使者としてここに訪れているんだが、エルナトは生きていると。自分達が処刑した挙句に死体を野晒しにしておいて、何を言っているんだと思うが、エルナトは生きているから、彼女の後を追って、精霊がこちらの大陸に移動してきたと。だから探すのに協力してくれって、意味がわからないだろ?」
一体、何を言っているのだろう。
何がしたいのだろうか。
「その使者達は、もし聖女エルナトが生きていたとして、彼女に何と言うつもりでしょうか。処刑は間違いだった。だから大陸を救ってくれと、言うつもりでしょうか」
「そのつもりなら、狂っているな」
眉間に深い皺を刻んでいるレオンに、同意する。
何を考えてここに来ているのか、全く理解できなかった。
遠くからまた集団を眺めていると、使者達はとうとう追い返されるようだ。
「私は、エルナト様に謝らなければならないのです。償わなければ」
あの人が必死になって叫んでいるのが聞こえてきたけど、今さら謝るとか償うとか、処刑しておいて取り返しがつくものではない。
そんな事よりも、王太子妃としてもっとしなければならないことがあるんじゃないかな。
民の避難を誘導してあげたり、食料を配給制にしたり。
低地に住む人は、もう住む所を失っているはずだ。
使われていない貴族の屋敷の一部を、救護所として開放してあげてもいいと思う。
ああ、でも、いくら使わないといっても、あの貴族達が許さないか。
それを説得してまとめあげるのも、役割の一つではないのかな。
貴族からの信頼が厚い聖女様なのだから。
自分が望んでその地位に就いたのだから、ちゃんとその役割を果たせばいいのに。
私にとって、あの人の存在はあの大陸に住まうその他大勢と同じで、どうでもいいものだ。
早くドールドランに戻って、あの大陸と運命を共にすればいい。
もう興味がないと、調理場へ戻りかけた時だった。
「イリーナ!イリーナ、貴女、無事だったのね!?」
突然、あの人が私を見て叫んだ。
何?
あの人は、この体の持ち主さんと知り合いなの?
「お願い、向こうに行かせて。あの子は、私の妹なの」
はい……?
「シャーロット。あの女性は、君の姉君か?」
レオンが向こうを警戒するように尋ねてきたから、
「ううん。会ったことはない。知らない人」
そう答えたし、そう答えるしかない。
あの人が制止を振り切ってここまで駆けて来たから、反射的に身構えていた。
「イリーナ」
「王太子妃殿。彼女は昨日もそのイリーナに間違えられていたが、赤の他人だ」
レオンが私を背に庇って言ってくれた。
「そんな、私が妹を間違えるはずがありません」
アリーヤは焦燥を滲ませレオンに詰め寄るけど、焦るのは私も同じだ。
「私は、貴女の事を知りません。私に家族はいません」
赤の他人だとはっきりと宣言したのに、アリーヤは諦めなかった。
「きっと、記憶の混乱がおきているのよ。原因は分からないけど、背中を、背中の“民”の証を見れば。それに、貴女の周りにどうしてそんなに精霊がいるの?その事に関係があるの?」
内心で最早怒りを覚えていた。
この人はどこまで私を追い詰めるつもりなのか。
この人のせいで、また私がどんな窮地に立たされるか、想像することもできないのだろう。
余計な事を言うなと怒鳴りつけたくなる衝動を、手を握りしめることで抑える。
「これ以上ここで騒ぎを起こすようなら、強制的に排除する」
「形見を、母から預かった形見のナイフは持っていないの?イリーナ、何か脅されているの?貴女がこんな所にいるだなんて、ずっと貴女のことを探していたのよ?」
私を捕らえるように腕が伸ばされたから、思わずレオンの背中にしがみつく。
その手から、何かを奪われそうで恐怖した。
「いい加減にしろ!この子が怯えているのが、分からないのか!」
レオンが怒鳴り声を上げた事により、間に入ってきた別の人物がいた。
「アリーヤ、落ち着くんだ!その子は関係の無い子だ。これ以上のここでの騒ぎはマズイ!」
昨日のあの商人が、アリーヤの腕を引いた。
「エンリケ、でも」
「少なくとも今、この子が俺達を見て怯えているのは確かだ。行こう。王太子殿下がお待ちだ」
アリーヤは渋々ながらも、エンリケと呼ばれた商人と共に向こうに戻って行ったけど、何度も私の方を振り向いていた。
その視線を受けて、無意識のうちに体が震えていた。
まだ、レオンの背中にしがみついたままだった。
「シャーロット、もう大丈夫だ」
私を宥めるように声をかけてくれるけど、その背中から、なかなか離れることができなかった。
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