偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて
奏千歌
【序】
第1話 処刑された日
痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。
爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。
執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。
だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。
何度も顔を殴られたせいで、口の中がたくさん切れていて、倒れた衝撃で、また口の中に血の味が広がっていく。
ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。
広場を埋め尽くす、人。
これだけの集団になると、ただそこにいるだけでも怖い存在だ。
誰が、平民は力の弱き、守るべき存在だと言ったのか。
数の暴力は、何よりも脅威だと言うのに。
収まりきらずに、通りの向こう側まで人が詰めかけている。
王都の殆どの者がここに来ているのではないかと、思われるくらいだ。
その動きは波の畝りの様で、処刑の様子を見ようと、前にいる人を押し除ける様が、台上からはよく見えた。
『殺せ』
『殺せ』
『偽聖女を殺せ』
『我々を欺いた女を、殺せ』
人々が口々に叫ぶ。
その声は怒号となり、地面を揺らす。
最早、狂気と呼んでいい熱気が広場を包んでいく。
群集心理。
集まった周囲の者達に引きずられるように、負の感情は相乗効果で高められていく。
中には、初めて私の姿を見た者もいたはずだ。
どうして、ここまで見ず知らずの他人に対して悪意を向けることができるのか。
だからこそなのか、私を裏切った王太子や貴族達の情報操作のせいなのか。
新たな王太子妃として彼女を推した貴族達も、この処刑場に私の姿を見に来ている。
薄ら笑いを浮かべて、その瞬間を待ち望みながら。
これからこの世界はどうなっていくのか……
案じているわけではない。
どうせそれは、私が死んだ後のことだから。
私が死んだ後、この世界が、この国がどうなろうと、それを目にすることはできない。
私の代わりに聖女と持て囃されている彼女に、聖女としての力はない。
この大陸を、この世界を支える力はない。
今はまだ、私がまだ生きているから何の影響もないだけで、私が死ねば、世界は混乱して、そしてきっと半分は滅んでしまう。
それを想像することは容易く、でも、見届けることは叶わない。
執行官に立てと怒鳴られ、軋む体に耐えながら、よろよろと立ち上がる。
そうして何とか立ち上がった私に、石が投げつけられていた。
飛んできた物を腕で庇うこともできない。
小さなものから、大きなものまで、無数の石が投げられ、それが額や、剥き出しの腕にあたり、肉を裂き、新たな傷を作り、血が流れていく。
そして、痛みを与える。
私は今まで一体、何を守ってきたのか。
祈りを捧げ、自らの時間を、短くとも人生の大半を費やしてきたのが、この、醜く、矮小な者達の為だったのだと思い知らされた。
こんな者達の為に、自分を殺し、努力を重ねてきたのだと。
どうしてこんな事に、こんな光景を見て、こんな状況に身を置かなければならなくなったのか。
聖堂から出ることは叶わず、閉じこめられるように生きてきた私に、これ以上何ができたというのか。
本来の聖女としての役割は、祈りを捧げ、魔力を高め、世界を取り巻く大気と一体となり、二つの大陸のうちの一つを守る事だ。
神の代わりに、この大陸に加護を与える事だ。
それは、聖堂でなくともできることなのに。
私の力が足りないせいで、こんな事になってしまったのか。
過去において聖女が人々から蔑まれ、処刑されたなどと、どこを探してもそんな記録は残っていない。
唯一無二となる、愚かで惨めな存在が私なのだ。
処刑台の上から見える空は、どんよりとした雲が覆っていた。
今にも大粒の雨が降ってきそうな空だ。
これからこの先、この大陸全土に陽が差す日が訪れないことを、私だけが知っている。
陽を浴びることのない地面は、すぐに根を腐らせ、作物は育たなくなる。
人体にも影響を与える。
人は、陽の光を浴びなければ生きてはいけない。
少しずつ、少しずつ、この国は自然に殺されていく。
止むことのない雨は、穏やかな川を荒れ狂うものに変え、小さな村から呑み込んでいく。
住む家を追われ、雨を避ける場所は見つからず、寒さに凍え、わずかな食べ物を巡り、争いは起きる。
乾く時のない大地は、病を蔓延させ、弱きものから命を落とす。
至る所に、死者は放置され、そこからは悪臭と、また、新たな病が生まれる。
略奪行為は当たり前となり、秩序を保とうとする者はいなくなる。
力が全て。
そこは、生きながらに体験する、この世の地獄となるのか。
苦しみ。
悲しみ。
痛み。
生きることへの絶望。
私が経験したものを、貴方達も知ることになる。
長く、長く、味わうことになる。
そんな事を思いもせずに、人々は、上気した顔をこちらに向けて、その時を今か今かと待っている。
ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。
この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。
そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。
わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす、王太子。
この刑場は、城から見える唯一の場所で、年に数回しか使われない。
国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。
今日は、二人の婚姻の日だったはず。
婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。
王太子と彼女の最も幸せな日が、この大陸に破滅を齎す日であり、私が死ぬ日だ。
王太子を、奪われたとは思っていない。
私には必要のない人だったから。
元々望んだものではなかったけど、私がこうなる原因となったあの人の姿を、最後に見たのはいつだったか。
遠くに姿を見ただけで、一度も視線があうことはなかった。
幸せのあまり、何も見えていなかったのかもしれない。
あの人は今、何を思っているのか。
私から何もかもを奪えて、幸せだと考えているのか。
それとも、気にも止めていないのか。
引き千切れる寸前の、捻れて歪んだものを手にしたって、すぐに壊れてしまうものなのに。
私は、消える寸前の最後に残った命と引き換えに、呪いを振り撒いたりはしない。
そんな事をしなくとも、これから坂道を転がり落ちるように災いに呑まれていくこの者達を、なけなしの命で呪う必要などないから。
人々に禍が降りかかることを願う日がくるとは思わなかった。
できれば、あの人達に死が訪れる日は最後にして欲しい。
苦しんで、苦しんで、絶望の淵に最後まで立たされてから、その命を終わらせて欲しい。
変わり果てた世界を見届けて、己の責任を痛感して、死を迎えてほしい。
こんな事を考えているから、私には聖女の資格がないのかな。
聖女になりたいと、私が選んで生まれてきたわけではなかったけど。
私が生まれた時に、私の上に星が祝福するようにたくさんの光が降り注いだと聞いた。
それから、引き離されることを恐れた両親は、私を匿うように各地を転々としてまわったそうだ。
今はもうどこの村で生まれたのか、記録も残っていない。
私は、平民の両親から生まれた。
だから、貴族の何よりも血筋を重んじる一派から疎まれていた。
私の役目よりも、何よりも、自分達の血が尊いと考える者達に、私は、世界は、殺される。
歴史の中で聖女は、一つの大陸に、50年に一人しか生まれてこない。
あと、32年。
何人、生き残っていられるか。
追い立てるかのように縄が引かれ、ヒンヤリとした処刑台に、首を乗せた。
ささくれだった棘が、肌を刺す。
処刑人が鈍く光る斧を持ってきて、また歓声があがった。
早く楽になりたくて、私を救う、唯一の手段である死が訪れる事を、私の頭が落とされる瞬間を、誰よりも私自身が望んでいた。
それでも、やっぱり、怖くて体が竦む。
奥歯はかみあわず、カチカチと鳴っている。
我に返った誰かが救ってくれるのではないかと、最後まで縋ってしまい、自ら死を選ぶ事ができなかった。
振り上げられた、大きな斧。
ここに至るまでの長い苦しみ。
でも、この時だけは、一瞬だ。
涙が一雫、頰を伝い、零れ落ちる。
ゴッ───────
重々しい衝撃が首にかかり、ビクンっと、体が硬直し、そして痙攣、弛緩する。
それから先は、闇。
転がり落ちた頭、飛び散った肉片と髪、噴き出す血飛沫を見ることもなく、群衆が放った狂喜の歓声も聞こえず、大陸の崩壊の序章となるのに、予定通りに事が進んだと思い込んでいる首謀者達の安堵に何かを告げる事もなく、暗く静かな闇に迎え入れられて、私の17年の生涯に終わりを告げていた。
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