第13話 向こう側からの色

 頭がボーッとする。体重を感じないのに脳みそだけがズシンと重い。

 そんな自分の姿を、ずっと背後から眺めていた。眼球は顔に収まっているのに視点はずっと外側にある。

 俯瞰とも違う。この視点が不思議でならない。きっと人間の想像力が成せる技なのだろう。

 壁も天井も床も見えない真っ暗な部屋で、黒髪の女が項垂れている。顔は血の気がなくて青い。着ているのは白い無味な服だ。

 少し前まではピンクに染めていて血色も良かった。衣装はメイド服だった。今は見る影もない。どうでもよかった。


 最近、ずっとこうだ。考えがまとまらないし、どこかへ進もうという意志が無い。

 自分が何者なのか、立っているのか、座っているのか、呼吸をしているのか、止めているのか。

 生きているのに死んでいる。あの日からそんな感覚に支配されて自分の体が自分のものでないみたいだ。


「本当に大丈夫? インタビュー、受けられる?」


 横に控えていた男が声をかけてくる。

 カウンセラーだという。話を聞いてくれるものの、どこか抜けていて、他人事のような態度だ。

 あまり信用できない。いや、信用できないのは周りの全て。


 頷くと、カウンセラーの男は渋々といった表情で下がる。

 目の前にはタブレットPCが置かれていて、暗い部屋を照らしていた。

 通話アプリが立ち上がって向こう側に若い男が現れた。フリージャーナリストで、鏑木かぶらぎという名前だそうだ。のことを聞きたくて嗅ぎつけてきたという。


斎庭ゆにわリエさん……ですね?」


 問われて、頷く。

 半死の人間が辛うじて動いたみたいな肯定だった。

 それでいい。それしかできない。


 何か、伝える方法はあるだろうか?

 大して働いてくれない頭では思い付かない。

 それにカウンセラーがすぐ近くにいる。腕組みして壁にもたれかかっているが、何かあればすぐに止めに入るだろう。

 だから勘付かれてはいけない。


 質問をされる。

 答えを考える。

 口に出す。


 それらが億劫でたまらなかった。段々と意識が遠退く。

 自分の姿をちょっと離れた場所から見るという感覚すら朧げになってきた。


 限界が近い。もう長くは持たない。

 咄嗟に、人差し指で額を横に撫でるジェスチャをしてみせた。これが精一杯。

 けれど鏑木という男は特に気に留めた様子もなかった。

 それと同時にカウンセラーがタブレットを取り上げ、通話アプリを停止してしまう。


「ここまでだ」


 意識はそこで途切れた。

 インタビューがどうなったのかはもう分からない。

 気づけばベッドの上で横になっていた。


 身体は動かないし、力も入らない。

 相変わらず自分を遠くから眺めている。

 全部が全部、他人事のようだった。


 しばらくすると煌煌館の人が食事を運んできてくれた。トレイに乗っていたのは穀類と野菜だけで肉は無い。

 一緒に出された水だけはなんとか飲めた。葉野菜の隅っこを齧ったけど青臭くて吐き気がする。

 鼻で息をしないようにして麦の粥を流し込み、後は下げてもらった。


 この部屋はベッドの他に、煌煌館の教書があるだけ。テレビもパソコンもない。

 窓には格子が嵌められている。おそらくは3階だろう。

 出入り口は外からロックされている。


 斎庭リエはとっくに死んでいる。

 そうとしか考えられなかった。

 飛行機が山に落ちた時に死んで、その魂はもう存在しない。


 しばらくすると、ロックが開いて船越さんが入ってきた。この施設で一番偉い、支部長である。

 体調や近況の他、インタビューがどうだったかを質問された。首を縦に振るか横に振るかの違いだけで反応していると、気遣うようなセリフをかけてくれた。


「もうしばらくの辛抱だ。世間というものは熱しやすく冷めやすいからね。ここから出られるときには美味しいものでも食べよう」


 そこでまた意識が飛び、気づけばカウンセラーの男と向き合っていた。

 時間が連続していない。そのことに対する不安は、どういうわけかすぐに消えていく。

 自分の背中を常に見ているのは、もしかしたら自分が実は幽霊だからかもしれない。


 肉体から抜け出て、成仏もできず、未練がましく現世にしがみついている。

 そんな気がしてきた。多分、そうなんだ。


 カウンセラーの男は作ったような笑顔をしている。

 もともと声は低いが、時折、わざとトーンを高くするのだ。芝居がかっていて好きになれなかった。


「それでは、あなたの名前を教えてください」

「……」


 私は答えなかった。

 けど、答えようとしていた。

 意志を置き去りにして私の口が開く。


「●●●●です」


 私とは違う名前を、私の意志でなく、私の声で答える。

 カウンセラーの男はその後も質問を続け、ボールペンを走らせてメモを取っていった。


「大丈夫。心配しなくても大丈夫です。こういう症例は珍しくありませんし、治療方法も確立されています。これから●●●さんに合ったやり方を見つけていきます」

「あなたはボクみたいな患者を診たことあるんですか?」

「個々の案件についてはプライバシーの問題があるので答えられませんが……えぇ、あります」

「薬を出してもらえませんか? ずっと眠っていたい。起きたくないんです」

「カウンセラーは医者ではありません。ですから処方はできないのですよ。でも先生に相談することはできます」

「ボクは治りますか?」

「えぇ。一緒に、ベストな方法を探しましょう」


 私?は安心していないみたいだ。落ち着かず視線を泳がせている。

 あれは本当に私なのだろうか?

 違うと思う。斎庭リエはもう死んでいる。


「川岸さんは、いい人ですね」

「●●●さんも、ね」


 意識は三度途切れた。

 私はまたベッドの上にいて、涙で頬が濡れていた。

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