10. 上々のスタート。
「わたしもさ、今のこの人数はすごく好きだよ。中学のときにいた
と、まっきーは青梅線の電車の中で笑う。朝早くは遠回りしないと奥多摩方面に向かえないため、もう二時間以上一緒に電車に揺られていた。中間テストのこととか学校のこととか家のこととか部活のこととか、まっきーの話題は尽きず、ぼくたちは早朝の電車の中で飽きもせずにおしゃべりをしていた。その時間が楽しくて、ほんとにまっきーとデートしているみたいな気分になりかけていることは言わないでおいたけれど。
「人数が少ないことによる負担も確かにあるよね。今のわたしたちだと、誰かが荷物を背負えなくなった時点でほぼ山行終了だからなー。」
「アルパインスタイルだと、今はヒマラヤでも二人とか三人とかで登っちゃうことも多いし、ちゃんと意思疎通をするのはそのくらいの人数の方がいいんだよね。でもやっぱり、一人の負担はどうしても大きくなるんだよな。」
「そうだよね。最大の問題は荷物の負担だよね。」
「そうそう、部員が八人いた代は、七泊の装備で一番重い人でも二十五kg行かなかったみたいだしね。」
「あとは、装備の軽量化かな。そこで装備係みーちに提案。わたし鍋類の軽量化をしたいと思ってるんだけど。二番鍋も三番鍋もちょっと重すぎる気がするんだよね。ホームセンター行くと安くて薄い奴がたくさんあるからさ。すぐベコベコになりそうな気もするけど。」
「確かにそうだね。焦げ付きだらけだしな。こんど
気が付くと終点の奥多摩駅だった。
「ちゃんといつも通りに体操しよう。いつものメニューね。」
とまっきーが言い、ぼくたちは登山口で体操をした。登山届は一応、経験を考慮してまっきーを
「途中、先頭変わろう。経験を積むのが今回の最大の目的だから。」
とまっきーは言い、手帳に時刻を記して歩き始めた。稜さんと手帳をしまう場所が同じで、ちょっとぼくは笑いそうになる。
このところ、塔ノ岳の一次
幅の狭い山道に入ると前後に並ぶので、自然に会話が少なくなる。荷物が軽くて余裕があるため、どうしてもまっきーのお尻に目が行きそうになり、ぼくは努めて周りの景色を眺めるようにした。
今までの三回の山行のうち二回が丹沢だったが、丹沢と奥多摩では山の雰囲気が違う気がする。奥多摩も
丹沢には鹿が多いが(それがヒルの蔓延の原因になっているらしい)、奥多摩はそれほどでもないと聞いたことがある。それはきっと植生に違いがあるからなのだろう。丹沢でも奥多摩でも植林された杉林が目立つことは同じだが、奥多摩の方がずっと、手の入っていない広葉樹林が広い気がする。
「まっきー、この辺、大倉から登るときの丹沢と同じような標高なんだけど、山の雰囲気がだいぶ違うよね。」
「うん。なんかさあ、空気の匂いも違う。奥多摩の方が無色透明に近い気がする。奥多摩の方が山が深いからかもしれないね。」
今日は平日だからなおのこと感じるのかもしれないが、塔ノ岳に比べると登山者の数は比較にならないくらい少ない。そのことも山の雰囲気に大きな影響を与えているのかもしれなかった。
登山口から
ここは鷹ノ巣山までの
「わたしずいぶん抑えて歩いたつもりなんだけどな。標準的なコースタイムの四分の三くらいのタイムで来ちゃったね。」
「そう言えば、一次歩荷のときって一時間当たり二百mの後半くらいのペースで登ってたんだけど、今回は軽く五百メートルを超えてるんだよね。こないだ物理で習った『仕事』と『位置エネルギー』の話だとさ、同じ仕事率だと二倍速く登るためには質量が半分じゃなきゃいけないんだよな。歩荷の荷物がいくら重くても、自分の体重の倍になんてならないのにな。」
「あー、さすがみーち理系だね。言われてみれば、一時間あたりに得た位置エネルギーは歩荷のときより今日の方がずっと大きいんだよね。人の体って重荷を背負うと無駄にエネルギーを使っちゃうのかもしれないな。もしかしたらさ、『強くなる』って本当に強くなることよりも
「そうかもしれない。だから歩荷をするのかも。一次歩荷はほんとに辛かったけど、意味はあるんだね。意味がそこにあるなら、ぼくは頑張れると思うよ。」
「みーちのそういうところいいな。そうそう、今年は休日のめぐりがいいから、三次歩荷までできるかもってこないだ先生言ってたよ。」
「あー、ごめん、それは素直に嬉しいって言えない。あれがあと二回もあるのか……」
急に声のトーンが落ちたぼくを見て、まっきーは大きな声で笑う。
ここからは先頭を交代してぼくがトップを行く。予想では鷹ノ巣山まであと二本で着けるはずだった。六ツ石山を過ぎると、尾根道は今までのような一本調子の登りではなく、アップダウンを繰り返し、その繰り返しの中で次第に標高が上がるようになる。
「この先二本の縦走路が並行して走ってるね。たぶん尾根道のアップダウンが大きいから少し下にトラバースっぽい道ができてるんじゃないかな。どっちにしようか。」
ぼくはスマホの地図アプリを確認しながらまっきーに話しかける。まっきーも同じアプリを確認しながらこう答えた。
「そうだねえ。体力的には今のところ問題ないから、少しでも景色のよさそうな尾根道に行こうよ。途中の『
「そうそう、ぼくも調べてて気になったんだ。平将門が馬の訓練をしたって言い伝えがあるらしいね。」
というわけで、ぼくたちは尾根道の方を進む。
将門馬場は木立に囲まれた緩やかなピークで、眺望もほとんどなかったので、そのまま通過する。その後、同じくらい地味な城山を越えて、次の水根山は久しぶりの大きな登りになる。道はきれいに刈り払われ、迷う心配は全くない。水根山の山頂で一本取ると、鷹ノ巣山をまっすぐ前に見て歩く、気持ちのいい尾根道になる。最後に無名のピークをいくつか越えて、十二時三十分、鷹ノ巣山の山頂に到着した。まっきーとハイタッチして登頂を祝す。
標高差も大きく距離もあったため、多少の疲労感はあるが、同じような荷の重さだった新歓山行に比べるとその差は歴然としていた。ぼくは、間違いなく強くなっていた。水もまだ半分以上残っている。
天気が薄曇りなのが残念だが、山頂からは富士山や南アルプス、丹沢山塊の展望が素晴らしい。まあ、陽射しがなかった分気温が上がらなかったことが、ハイペースを維持できた要因だったため、一概に残念と言っては語弊があるが。
「なんかさ、やっぱり余裕があった方が楽しいね、山。」
ぼくは隣のまっきーに言う。
「うん。わたしもそう思うよ。でもさ、歩荷はわざわざ荷物を背負ったわけだからあんまり感慨が湧かなかったけど、本当に必要なものを背負って、限界ぎりぎりで登れた山って、もしかしたら何かものすごいものがあるのかもしれない。あのへん、丹沢だ。塔ノ岳はどれかな。今さあ、前のみーちのことばを思い出してるんだよ。わたしにはここに来る自由があるんだって。先生も、りょうさんもいなくてもここに来られたんだって。」
まっきーとぼくは同じ方向を見ている。これからぼくはまっきーと何回同じ景色を見るんだろう。そして、あの丹沢のどこかに稜さんがいるはずだった。西丹沢と思しき場所に、見えるはずもない青い影を探す。
「稜さん、今頃どうしてるかなあ。」
「やっぱり気になるの?」
まっきーが真顔で尋ねる。
「一人で行くのには慣れてる様子だったけど、何もなければいいなってやっぱり思うよ。」
「そうだね。いくらわたしたちとは経験が違うと言ってもね。」
「ぼくたちは、ぼくたちにできることをするしかないか。下山の方が危ないっていうしね。今日の帰りのルートはちょっと荒れてるって話だし。」
「わたしも調べてみたけど、迷いやすいポイントもあるみたい。」
「うん。気をつけないとな。」
そのとき、後ろから声がかかった。
「あらー、山でデートなんていいわねえ。高校生?」
「えっ……いえ、あっあのわたしたち高校の山岳部で個人山行してるだけで……」
やっぱりそうやって否定されるとちょっと複雑だな、と、稜さんに言われたときのまっきーの同じような返事を思い出して、ぼくはちょっと苦笑いする。まあ答えるのがぼくでも同じことを言っただろうけど。
「みーち、デートじゃないかもしれないけどさ、みーちと一緒に山に登るとすごく楽しいし、わたし一人では見えなかったものが見えてくるよ。これからもきっとたくさん一緒に登るんだろうな。たぶん、高校を卒業したあとも一緒に登ってる気がする。」
まっきーがふふふと笑い、急にぼくと肩を組み、素早くスマホで自撮りした。
「新歓のときのりょうさんのまね。わたしとじゃどきどきしないかもだけど。山はいつも特別な気分だけど、今日の山は特に特別。」
今日、まっきーとどれだけおしゃべりをしただろう。まだ会って一か月ちょっとだけど、話をした時間ランキングの女子部門の一位は間違いなくまっきーだ。今日もなんかものすごく楽しいから、これ、デートでもいいよ。
まあ、言わないけどさ。
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