第24話「壊す」

「そ……それは……」


 レックスは、それ以上の言葉を発することができないでいた。


 そう、私には疑問だった。冷静に考えて、おかしいのだ。何をするにしても神を優先してきたこいつが、あの時だけは国の為にと言う言葉に素直に従っていた。


 本来であれば……こいつは私を即殺してなければおかしい。それが神の言葉なのだから。でも何故か、こいつはそれに従わなかった。


 だから私は仮説を立てた。それを今……口にしているだけ。


 剣が抜けたというのにレックスは起き上がることもしない。ただただ、青い顔で私の言葉を聞いているだけだ。否定も肯定もできず、ただ震えている。まるで恐ろしい話を聞かされた子供が、夜に一人で寝るのを怖がるように。


 ただ黙って毛布の中にくるまって、朝が来るのを待つかのように震えていた。


 これは、予想通りかしらね? どちらにせよ、お前に朝は来ない。来させない。


「正直に言いなさいよ。欲しかったんでしょ? 羨ましかったんでしょ? 妬ましかったんでしょ? 勇者の力が、神に与えられた力が。神に仕える聖騎士様が神の言葉を自分達の都合の良いように解釈して、捻じ曲げていたことに気づいてたのに、それでも神の力を自分達のモノにしたかったんでしょ? 浅ましく、人間らしく、欲したんでしょ?」


「ち……違う!! 私は、私は神の言葉に従って……」


「従ったねぇ。本当に従ったの? じゃあ従った結果、今どうなったの? 勇者の力はこの世からキレイさっぱり消えちゃったわよ。 もしかしてレックスは、神の言葉が間違っていたって言うのかしら?」


「神が間違えるはずがない!! そうだ、神が……神が間違えるはずが……神は……間違えない……」


 縫い留めていた剣は無くなり、彼は行動できるはずなのに何もしない。回復することも、私と再び戦うことも、逃げる事だってできるのに、彼は何もしない。


 まるで何かに気づいてしまったかのように……止まったまま震えていた。


「やめろ……やめてくれ……やめて……やめてください……」


 誰に懇願しているのだろうか? 神に? 私に? 今更そんな懇願をされたところで、私の口は止まらない。


「本当はもう気づいてるんでしょ? そう、神は間違えない。そうね、その通りよレックス。神は全知全能で間違えることのない絶対的な存在だって、そう教えられてきたものね?」


「いやだ、違う、違う、違う……違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うんだ……」


 私はいつまでもグズる子供のように寝たままの彼を、優しく、とてもゆっくりと抱き起す。そして彼の耳元で囁いた。




「神の言葉を、間違えたのは誰?」




 その一言で、彼の中の何かに決定的なヒビが入る音が聞こえた気がした。


「あ……ああぁ……あぁぁぁ……」


 嗚咽を漏らし


「うぅぅぅぅ……ううううううぅぅぅぅぅ……うぐうぅぅぅぅぅぅ……!!」


 頭を掻きむしり


「ぐううっぅぅぅぅぅぅぅっ!! うぐうっ……!! 私が……私が……私のせいで勇者の力が……!! 私が間違っていたと……神は間違えない……私は神に従って……でも勇者の力は……神に従ったのに……神に……私が……私は……神が……!!」


 混乱し……


「私は……私はあぁぁぁあぁぁぁぁぁ?!」


 彼は崩壊した。


 自身が信じていたものを裏切った自責の念から、彼の精神は耐え切れなくなっていた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔、目に生気は無く、頭をしきりにかきむしることで頭髪は抜け、皮膚からは出血している。


 精悍で、自信に満ちて、頼れる聖騎士だった彼の姿は見る影もなく。癇癪を起した子供のよう……いや、それよりも酷い有様だ。


「神の言葉を違えたものが……神の元へ行く資格があるのかしら?」


 その一言で、彼は虚ろな目を私に向けた。神の元へ行く。死んだ者は全て神の元へ行き、裁きを受け、罪のある者は罪を償い、いつか生まれ変わるか、そのまま天の国の住人となる。


 そんな教えだけど、例外が一つだけあった。


「神の元へ……行く資格……神の言葉を……違えた……」


 壊れた様に私の言葉をレックスは復唱する。私はそれ以上は何も言わない。だけど、彼が敬虔な聖騎士であれば……一つの結論に達するはずだ。


 レックスは……その舌をだらしなく口から出す。まるで救いを求める様に、虚ろな目をしたままで両手を天に向けて伸ばす。


「神よ……」


 最後の最後に、何を考えたのかは分からないけど……。彼はそのまま……舌を噛み切った。


 神は自殺を許さない。


 自殺した者は唯一神の元へと行けない。それが教え。実際はどうかは知らないけど……。彼は自責の念から、神の元へ行かないことを選択した。


「自殺した者にこそ会ってあげれば良いものを……ケチ臭い神ね」


 舌を噛み切ったことで、血を吐きながら呼吸ができず、涙を流しながら苦しそうにのたうち回る……。


 苦しいだろう、悲しいだろう、死んでも神に会えることを拠り所にしてきた聖騎士様が、神に会わない選択をしたのだから当然だ。


「だけど、これで終わりじゃないわよ」


 私は舌を噛み切ったレックスが完全に絶命する前に彼に触れた。レックスの命は風前の灯で、触れられていることも気づいていない。


「魂縛」


 彼の身体に赤い文様が走る。彼の魂を彼の肉体に留めておくために……自殺して、万が一にも神の元に魂が行かないように。彼の身体と魂を縛り付けた。


「これで終わったわねぇ……一人目が」


「そうね。終わったわ」


 完全に絶命する前のレックスを見ながら、フィービーが私にしな垂れかかってきた。かなりの瘴気を消耗してしまったことと、達成したことから張っていた気が抜けて、私も体重を彼女に預ける。身体に重苦しい感覚がのしかかってきた。


「無茶し過ぎよ。余裕見せてたけど……わざわざ弟君を具現化する必要無かったんじゃない? 瘴気の使い過ぎで身体ボロボロじゃないの。そんなんじゃ、復讐が終わった後に生き残れないわよ」


「フィー……あんた頭良いくせにバカなの?」


「あらら、心配してるのに酷い言いぐさねぇ……」


「後先考えて……未来を考えて復讐ができると思ってるの? 復讐は遊びじゃないのよ、一度始めたら止められない、どちらかが死ぬまで復讐は終わらないのよ。そして私は……復讐を達成するまでこの身体が持てばそれでいいわ」


 そうだ。復讐は……この煮えたぎるような感情は相手にぶつけることでしか止まれない。私の意思ですらもう止められない。一人目を殺したことで、それは加速していくだけだ。


 今日、私とニールは一線を超えたんだ。もう戻れない。


「そうね、野暮なこと聞いたわ。んじゃ、せめて……」


 そういうと彼女は唐突に私に唇を重ねてきた。……今度は先ほどとは違い優しく暖かなものが私に流れてくる。先ほどの様な不快感が、とても少なかった。


 まったく……心配性なことだ、このダークエルフは。


「少し身体休めなさい。それこそ、最後の復讐まで身体を持たせたいならね」


「……人を道具扱いしてる割に、随分とお優しいのね」


「私は道具はとても大切にするのよ。物持ちが良いの。その手も治すから、一度帰ってきなさい」


「そ、ありがと」


 そんなやり取りをしていると……いつの間にか目の前のレックスは完全に動かなくなった。どうやらやっと……絶命したようだ。


 ……あと……五人。


「それじゃあ、事前に話した通り……彼の身体は持っていくわね。勇者の力が馴染んだ身体……いじりがいがありそうね」


「えぇ、お願い。死んだ後も魂を身体に縛られて、貴女の実験材料になると知ってたら……レックスは自殺なんてしてたかしらね?」


「どうかしらね……少なくとも今は、身体の中で魂が相当に暴れているわよ。どう、気は晴れた?」


「晴れないわよ。まだあと五人もいる……先は長いって、憂鬱な気分だわ。でもね……」


「でも……?」


「私の中の復讐の炎は、消えることなくさらに燃えているわ。早く次を求めるくらいにはね」


「そう。良かったわ。それじゃ、待ってるわね。無茶するんじゃないわよ」


 フィービーは右手でレックスの身体に触れると、その身体を大きく歪ませる。出て来た時の血に濡れたような肉の塊になったかと思うと大きく広がり、レックスの身体全てを飲み込んでいった。


 今頃はきっと、身体の中でレックスの魂は大暴れだろう。すっぽりと身体を覆った赤黒い肉塊は徐々にその大きさを小さくし、地面の中へと消えていった。家に帰ったのだろう。


 後に残ったのは私と……そしてニールの二人だけだ。


 その瞬間、夜の風が私の身体を通り抜ける。その風はとても冷たく、私の火照った身体を冷ますかのようで……とても心地よかった。


「さて、この街での用事は終わっちゃったわね……。それじゃあ最後に、これだけ何とかしちゃいましょうか」


 私は目の前にある、空っぽの自身の墓を不敵な笑みを浮かべながら見つめる。無茶はするなと言われたけど、これで最後だし……良いよね?

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