第85話
「それは勿論、私は人類を愛してるから」
「家族に対する愛は何処なんだよっ!幸玖は、あたしじゃあどうしようも無かったんだ……どれ程母親らしい真似をしても、幸玖はあたしには心を開いてくれなかったんだ……子供らしい事をしなかった。感情を押し殺して大人であり続けた、あんたさえいれば……幸玖は、子供で居られたのに………」
違う……違うよ。
俺はただ、母さんが、俺の事嫌いだと思ったから。
それでも、俺はお母さんが好きだったから……重荷にならない様に、してただけなんだ。
「なら、せめて幸良が愛してあげれば良かったじゃないか」
「愛したよ、どうしようも無い程に、でもね、その愛すらあの子には不必要だった。私の事が重いんだって、理解してたんだよ。それでもあの子を愛して、幸玖が苦しむところなんて……見たく無い、だから、私は………」
「幸玖を突き放した、と?それが君なりの愛だと?」
「……愛なんて、軽々しく口にするんじゃないよ。私は、面倒を見るのも料理を作るのも洗濯をするのも、学校の行事に参加しなきゃいけないことも、全部嫌いだ……嫌いだけどね」
「あの子が初めて私の乳を飲んだ時、あの子が私に向って歩いてくれた時、初めて私をお母さんと呼んだ時、一緒にお昼寝した事も、お絵かきした事も……そんな大切な記憶が離れてくれないんだよ。……あの子のせいで苦労した、あぁ、大嫌いだよ。それでも、私の人生は不幸じゃなかった。幸玖が居たから私の人生は幸せだったんだ」
「だから私はあの子を嫌うんだ。私はもう十分幸せを貰ったから、これ以上、私があの子の重荷になるワケには行かないんだよ。だから私は嫌いで居続ける。そうすればあんな母親いなくて良かったと思ってくれる。そうすれば、私を忘れて自分の幸せを見つけてくれるから」
「あんたの人類愛なんてクソだよ。そんなものより、私の愛の方が大きいんだ。あの子を想う気持ちは、あんたよりも、他の誰よりも、ずっとずっと大きいんだ。幸せに生きて欲しいんだよ……あの子には、だから……だからっ!」
「成程、素晴らしい愛だねぇ。なら一つアドバイスだよ。そういう気持ちは、私よりも、きちんと当人の前にしてあげると良い」
その言葉で、カーテンが再び開きだす。
俺は、なんだろうか、どうしてなのか、分からない。
ただ目の前が歪んで、輪郭が捉えないから、手を伸ばして、前を向いて歩き出す。
歪んだ影が、暫くこっちを見ていた。
近付く俺に対してキツイ言葉が投げかかる。
「なんだよ、こっちに来たら、駄目だろうに……あっちへ行け、私は、あんたの事なんか」
嫌いでも良い。
ただ俺は、お母さんに……っ、あっ。
足が、転びそうになる、支えも無く、俺は前に倒れる。
「っ―――」
けど。痛くはない。
其処には温もりがあった。
懐かしい、お母さんの温もりが。
「………やめて、なんで、そんなに……私の事が嫌いなんだろう?私も、あんたの事が嫌いなのに……私の所へ来たら、駄目じゃないか……」
「俺……おれ、お母さんが好きだよ、もっと、もっと……早く言えば良かった、俺、自分が大人にならないと……お母さんに心配かけるからって思って……子どっ、子供、らしくなくて、ごめんね、おかっッぐ、あぁぁ……」
お母さんの胸で俺は泣いた。
小さく、こそばゆく、お母さんの涙と吐息が頭の上で聞こえてくる。
俺ははじめて後悔した。もっと早く、子供であれば良かったんだ。
変に大人びて、俺はお母さんを悲しませていた。
この涙は、あの時の続きだ。そして、今ここで終わる。
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