第50話 秘めた一面

 大きな咳払いが部屋に響く。


「とにかくだ。お前は犯人の候補から外れている。リーベルデ様の騎士であることに加え、私が証人だからな。理事会もうるさくは言ってこんだろう」


 それは助かる。俺の無実が証明されたとなれば、リーベルデやメローネに心配をかけずに済む。


「ありがとうございます、教官」


「いい、気にするな。これはメローネ様のためでもある」


 深く頭を下げた俺に、すこし困ったような声が返ってきた。


「マイヴェッター。あのな……なんと言ったらいいものか」


 もごもごと口を動かしている。歯切れの悪い教官は珍しい。


「聖女付きの騎士と、剣魔学院の戦闘教官では、社会的地位という意味において天と地ほどの差がある。わかるか?」


「はぁ。それがどうかしましたか?」


「察しの悪いやつだな。つまり、こうして私が偉そうに口を聞いているのも、お前が私を敬うような振る舞いをするのも、お互いの立場としてふさわくない行為というわけでな」


「仰ることはわかりますが、そんなの今更じゃないですか?」


「だから私も悩みどころなのだ」


 知らぬ間に立場が逆転していたのか。


「別に今までと同じでもいいでしょう」


「それではお互いの顔を潰すことになるぞ。むろん、リーベルデ様の面目もだ」


「公の場では適当に振る舞えばいいんですよ」


「そうかもしれんが……お前はそれでいいのか?」


 教官は、窺うような上目遣いになる。


「今となっては、歳も立場も強さも、お前の方が上なんだぞ」


「俺にとって教官は教官です。たとえ出世しても、師であることに変わりはありません」


 これだけは断言できる。

 社会的地位がなんだっていうんだ。肩書が変わったからって恩人との接し方まで変わるようじゃ、それは俺じゃない。


「殊勝な奴だ」


 フォルス教官はどことなく嬉しそうだった。


「わかった。そう言ってくれるなら私も気が楽だ。助かる。だが、そういうことならお前も変にかしこまる必要はないんだぞ」


 言いながらカップを持ち上げる。

 ふむ。確かに俺がへりくだっていては、むしろ気を遣わせてしまう。もう少し砕けた態度でもいいのかもしれない。


「わかりました。俺もこれからは、教官のことを一人の女性として見ることにします」


 教官が盛大に紅茶を噴き出した。

 うわ、びっくりした。

 呆気に取られる俺。咳き込むフォルス教官。


「おいっ。いきなりなにを言い出すんだお前はっ」


 口元を拭い、薄い胸をさすっている。


「まったく……わざとなのか無自覚なのかどっちなんだ。いや、答えなくていいぞ。聞いても良いことはなさそうだ」


 こうも慌てるフォルス教官を見るのは初めてかもしれない。

 布巾でテーブルを拭き、改めて席についた彼女は、自分を落ち着けるように深呼吸をした。


「お前と話しているといつも本題から反れていくな」


「俺のせいですか?」


「知らん。話を戻すぞ」


 細い指先がテーブルをとんと打つ。


「グートマンの犯行にクレインらパーティメンバーが関与しているか。それとなく探ってはくれないか」


「俺がですか?」


「さっきも言ったように、私では尻尾を掴めないんだ。警戒されているのだろうな。その点、元パーティメンバーのお前なら探りやすいだろう」


「いやぁ……追放された身ですよ」


「だからこそだ」


 苦笑する俺に、教官の真摯な目が向けられる。


「やつらはお前に後ろめたさがある。それにまだ、心のどこかで見下している節があるだろう。そこに隙がある」


 確かに、そういう意味では俺は適任かもしれない。


「これは私の個人的な頼みだ。受けてくれるか」


「もちろんです。ソルの背後を探ることは、リーベルデ様のためにもなりますし」


「ひいては世の平穏にも繋がる。お前の夢。手の届くところまで来たじゃないか」


 人の役に立つ。掲げた夢が、すぐそこにある。

 この事件を乗り越えたら、また胸を張って生きられるようになれるだろうか。

 俺は残っていた紅茶を飲み干し、立ち上がる。


「じゃあ、今夜はこれでお暇します。女性の部屋に長々と居座るのも失礼でしょうし」


「なんだ、もう帰るのか? なんなら泊まっていってもかまわんのだぞ?」


 先程の意趣返しだろうか。教官は頬杖をつき、口角を上げてこちらを見上げている。

 さて、どうするべきか。狼狽えるか、あるいは積極的攻勢に出るか。どちらにしても、彼女は俺の行動を予測しているだろう。

 だから、どちらも選ばない。


「明日、また来ます」


 言いながら、部屋の扉に手をかける。


「泊まるのはその時に」


「あ……お、おいマイヴェッター。それはどういう――」


 教官が言い終わる前に、俺はさっと部屋を出て扉を閉めた。

 彼女をからかうのも悪くない。気を遣わないってのは、こういうことだろう。


 軽やかな足取りで、自室へと向かう。

 今ごろ教官はどんな顔をしているのか。

 想像するだけで、自然と頬が緩む俺であった。

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