第25話
硲の森は、馬で三十分駆ければ縦断できる。エリーゼのためにスピードを落としてくれているようだが、クレヌ曰くノアレ領には明るいうちに着くという事だ。
青々とした葉が茂る硲の森には枯葉はもちろん色とりどりの花もなければ実もない。夏のような光景が秋に入っても、冬が訪れても春になっても変わらず続くのだ。
そんな季節感の一つもない森の深部に来たとき、クレヌが不意に口を開いた。
「エリーゼ様、昔森に入られた時にどの場所でプロチウム殿下にお会いになったか覚えていますか?」
「プロチウム殿下に? いえ、というか、プロチウム殿下に直接お会いしたのは、この前うちにいらしてくださったときが初めてですよ」
「……本当に、素直すぎますよ」
クレヌが馬を停めた。それは他よりも大きな木の前だ。その根元が少し盛り上がっており、その上には草が添えられていた。花が咲く前の草。馬から降りて良く見てみるとそれは十年前に自分が作ったウサギの墓だ。そして、魔導師の子が咲かしてくれた花は青い草のままずっとここに残っていた。全く時が進まない硲の森。改めてその神秘的な現象をエリーゼは実感した。
「ここです、私が魔導師の子に会ったのは」
「だからそれがプロチウム殿下です」
「そ、そんなわけないです!」
「容姿を覚えていないのでしょう? なら何故違うと言えるのですか?」
「だって、女の子だったもの!」
「それがアブソリュート伯爵に『馬鹿素直すぎる』と言われるところです。エリーゼ様、その魔導師の子供と別れる時、『私を忘れて』と言われて嫌がり、『私だけ忘れるなんてずるい』と駄々をこねた。だからこういわれたはずです、『僕も忘れるけれど、僕のことはお友達とだけ覚えておいて』と。それでお友達=女子だと思い込んだのでしょうね」
「そ、それは、流石に、ないと思います……」
そんな単純すぎる自分じゃないと思いたい。
「だって、もし会ったのがプロチウム殿下なら、どうして種から花なんて咲かせられるのです!? 殿下は魔法なんてお使いにならないでしょう!」
そう叫んで思わずエリーゼは口を押えた。プロチウムは魔法を使わない、何故なら魔導師じゃないからだ。そんなのは世間一般的なありふれた解釈。当然の事だ。
だがつい口にしてエリーゼは困惑した。その世間一般のありふれた解釈が違うと知っているのだから。
「エリーゼ様、その、プロチウム殿下の事なんですが……」
クレヌが一度言い淀み下を向いた。
「クレヌ様!!」
「は、はい!?」
申し訳なさそうに下を向いたクレヌに今までにないくらいの声量で叫んだエリーゼ。直ぐそこで、バサバサと鳥が音を立てて飛んで行った。
「あの、クレヌ様、先に私が申し上げてよろしいでしょうか?」
「……何をですか?」
クレヌの表情がこわばった。
それにつられてエリーゼの顔も硬くなる。でも、言わねばならない。
「クレヌ様がプロチウム殿下なのでしょう? それか、プロチウム殿下がクレヌ様なのか、どう申し上げるのが正しいのかは分かりませんが……、とにかく、お二人は同一人物、そうですよね?」
「それを……、どこで知ったんです?」
「さ、最初の町に泊まった時の宿屋で……。鏡越しに見たのはプロチウム殿下でした」
「ああ、エリーゼ様が叫んだ時ですね。確かに、慌ててシャワーから飛び出ましたけど……。そうですか、最初からずっとご存知でいらしたんですか?」
「も、申し訳ありません……、言わないといけないとは、思っていたのですが……」
言い淀むエリーゼに対しクレヌは何も言い返さない。
そんないたたまれない状況にエリーゼは思わず顔を伏せた。
「それで?」
「え?」
エリーゼは顔をあげた。クレヌを見ると、無表情。初めて会ったときのプロチウムのような仏頂面だ。
「それで、エリーゼ様はどう思われたんですか? 私がプロチウムで、だから?」
「別に……。プロチウム殿下の好きな人はクレヌ様の好きな方なのだと、そう思っていたくらいで、それ以外は何とも?」
「……気持ち悪いとか、変だとか、思わないんですか?」
「どうしてかな、とは思いましたけど、気持ち悪いは思わないですよ? 何故そんなことを思う必要があるのです?」
「……」
「あの、クレヌ様?」
「ふ、ふふふ」
クレヌが急に顔を押さえて笑い出した。ギョッとしたエリーゼだが、しばらくそれが続くので心配になり近寄ると、待っていたとばかりにクレヌの腕に引き寄せられてそのまますっぽりと腕の中に納まってしまった。
「あの!?」
「本当に、貴女は昔も今も素直すぎる。人を嫌ったり気味悪がったりがないのだな。正体を隠して傍にいたんだ、信じられないとは思わないのか?」
エリーゼが顔を上に向けると、明るいブラウンの髪に綺麗なスカイブルーの瞳とかち合った。漆黒の髪と瞳のクレヌとは随分印象の違うプロチウム。あっさり正体をばらしたプロチウムの目は少し気まずそうに伏せられていた。でも、気まずいのはエリーゼも同じだ。
「それは私も同じです。知っていたのに知らないふりしていましたから。……両成敗です、隠していた件はなしにしてくださると嬉しいのですが……」
そう言うと、プロチウムはエリーゼを腕から離す、その代り手を取った。
「あなたが私を許してくれるなら勿論だ」
「? 別に、怒っていませんよ」
「フィルスカレントで何か気分を害することがあっただろう? その挙句、『謝る気になるまで謝らない』と言っていたのは誰だ?」
「それは……。だって、プロチウム殿下のお好きな方はクレヌ様のお好きな方なのでしょう? だったら、その、あまりクレヌ様と親しくなってはいけないと思って」
「……つまり、貴女はプロチウムよりクレヌが良いと?」
「そういう訳ではありません! 他の誰かをお好きなのなら、プロチウム殿下もクレヌ様も私が好きになっても無謀だと思ったのです!」
「じゃあ、その私たちの探していた方がエリーゼ嬢だと知った今は?」
気まずそうに伏せられていたプロチウムの瞳が優しく細められエリーゼを見た。自分を探していたという事実を素直に受け入れられるのなら喜ばしいことはないだろう。だが、プロチウムは何か確信があるようだが、エリーゼには硲の森を色づかせた記憶が全くない。今もどこかで『間違いではないだろうか』と、いう思いはくすぶっている。
「ほ、本当に私なのでしょうか? 私は、硲の森を色づかせたり、凍らせたりする魔法など使えません」
「そこがそんなに気になるなら、試してみるか? ストーンレイクで種をもらっただろう、貸してもらえるか?」
エリーゼから袋を受け取ったプロチウムが一粒黒い種を取り出して胸元から取り出した銀の鏡の上に置いた。すると、途端に芽が出てあっという間に花を咲かせると、それをエリーゼに手渡した。
「氷結魔法には核となる魔法が必要だ。故に一人では使えない。硲の森は絶対零度にまで温度が下がったその夜に色づくような生態を持っているんだ。この世界では文献レベルでしか残らない氷結魔法を使える人間は滅多に現れないし、どういう原理で氷結魔法が発動するのかは正直謎だ。まあ、昔は硲の森を管理していたアブソリュートの血筋の中に氷結魔法が使える人物が時折現れてもおかしくはないと思う」
プロチウムの説明を聞き不安になりながらも「凍って!」と心の中で念じるエリーゼ。だが、数分経っても硲の森どころか手元の花さえ凍らない。握りしめた花が駄目になってしまいそうで、エリーゼはプロチウムを見ずに力なく笑った。
「やっぱり、人違いですよ。私ではないんです……」
手に持った花を足元にあるウサギの墓に添えそのまましゃがみこんだエリーゼ。プロチウムの探している相手が自分ではないとう説を立証してしまい、顔を見るなんてどうしてもできない。
「まあ、氷結魔法が使えるかどうかは一つの手がかりなだけだ。条件が違えば使えないだけかも知れない」
「……そんなに焦って私だと決めなくてもよろしいのでは? 探してみたら才能のある方は他にもいるかもしれませんよ」
「私は貴女じゃないと困るし、貴女だと確信している」
力強くハッキリ言ったプロチウムを見上げる。すると、プロチウムはエリーゼの隣に膝をつき目線を同じくした。
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