第22話
硲の森の手前にあるストーンレイク。『イープ細工』という伝統工芸が有名な村だ。
イープ細工はかなり高額な細工であり、その製造方法も独特。
イープという木を特殊な方法で加工すると金に変化する。素材のイープはストーンレイク周辺にしか生息せず、また、加工には、硲の森から流れ出る水が必要なため、水源が近いここストーンレイクでしか製造できないのだ。
そんな事前知識くらいエリーゼにはある。本来のエリーゼなら、滅多にお目にかかれないイープ細工に目を輝かせるか、貴重なイープという木自体に好奇心を爆発させるか、はたまた特殊な加工工程を見たいと目を輝かせるかしただろう。
だが、今のエリーゼにそんな余裕はなかった。
プロチウムの探している思い人がエリーゼだと、クレヌがそう確信した。
何故だかは分からないが、クレヌは自信満々だ。
そして、それが事実なら、プロチウムが姿を変えているであろうクレヌ自身の思い人もエリーゼとなる。それに気付いてしまってからのクレヌの行動が、エリーゼ的にはどうにもならないくらい耐えがたい。
馬の上では落ちないように大事に抱えられた。まあ、それは一度落ちかけるという前科があるから仕方ないとして、ストーンレイクの村についてからが大変だ。
「リゼ、ほら」
そう馬から降りるときに手を差し出されてから、ずっと手を握られたままだ。エスコートという訳ではないが、エリーゼが解こうとしても、「駄目だよ」とあっけなく却下される。昼食をとった時にはエリーゼの一挙手一投足を見てくるのだ。挙句、「美味しいかい?」と、嬉しそうに聞いてくるのだが、エリーゼとしては緊張して味どころじゃなかった。
夫婦設定だか兄妹設定はこの際関係ない。どちらにしろ言葉遣いもフランクで距離が近いクレヌ。そんな二人は食後村を散策するために露店が立ち並ぶ一角へと足を進めた。
緊張と少しの疲労から黙り込んだエリーゼを心配して、「大丈夫?」と、時折顔を覗き込むクレヌ。顔を逸らそうものなら、「駄目、こっち見て」と、顔を強制的にクレヌの方に向けられて、優しく微笑むクレヌとご対面だ。そんなことを繰り返しつつ、ストーンレイクの露店を見ていると、クレヌが一つの店を指さした。
「イープ細工が売られているよ。露店とは珍しい。見ていこう」
覗いてみると、そこには金色に輝く宝飾品類。ただ、つけられている値段が格段に安い。
「イープ細工ってこんなお値段だったかしら?」
「お嬢ちゃん、これは金メッキ品だからイープ細工じゃないよ」
「そうなんですか?」
「ああ。イープ細工で人気の形を安く作ってるんだよ。イープ細工なんて、誰でも買えるものじゃないからね。日常的に使うものなら軽くて安い方がいいだろう?」
確かに、高いものでは一つで家が一軒建つともいわれるほど高価なイープ細工。エリーゼたち以外にも露店の客はおり、人気は上々のようだ。エリーゼもその輪に入り、いつしか真剣に細工を見ていた。
「リゼ、欲しいの?」
「え、ええ、と……」
「イープ細工じゃなくていいの?」
「おや、お兄さんたち本物がご希望かい? それなら後ろの店舗で売ってるよ」
露店の店主が指さしたのは、しっかりした店構えの高級そうなイープ細工の販売店。そのショーウインドウには眩いばかりの緻密な作りの細工が並んでいた。
糸のような細さの風に吹かれたらたなびきそうな金細工は、見るだけでも価値がある一品だった。売り物ではないのか、冷やかしの客には用がないのか、値段が全く提示されていないショーウインドウの細工にエリーゼが唸っていると、クレヌが中に入ろうとした。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「中に入って見ればいいだろ?」
「いい! いいです! 私には買えません!」
「僕が買ってあげるよ?」
エリーゼは、『当然』とばかりにそう言い放ち中に入りそうなクレヌを慌てて止め、そのまま先ほどの露店のところに引っ張って行った。
「おや、戻って来たかい? イープ細工はゼロが三つも四つも多かっただろう」
「きっとそうなんでしょうね……。で、おじさん、これをください」
エリーゼが指したのは、シルバーの蓋つきの鏡だ。服に忍ばせるのにちょうどいいサイズ。そして、エリーゼの手持ちのお金でも買えるお手頃価格。でも、側面に花の模様があしらわれており意外と可愛らしい。先ほど真剣に見ていたのはこの鏡だった。
「まいどー」と、笑顔の店主に見送られ、ホクホクした笑みで鏡を手にしたエリーゼ。その隣で「解せない」という顔をしているのはクレヌだ。
「……何故それを買ったんです? その、リゼなら、イープ細工を持っていた方が身分的にはおかしくないよ」
確かにアブソリュート伯爵令嬢、かつプロチウムの仮婚約者なら量産品ではなく一品ものの方が持ち物としては適切だ。
「でも、この鏡、一目見て気に入ったんです。だからこれで満足!」
そう笑ってクレヌを見ると、「まあ、リゼがいいなら構わないけど……」と、少々不満げだ。
(やっぱり、プロチウム殿下の婚約者的には安物は駄目なのかしら……。でもこれ……)
エリーゼはチラ、とクレヌを見た。
「何ですか?」
「いえ、なんでもないです」
服に鏡を忍ばせリュックを広げる。そこで目に飛び込んで来たのは本、そして箱だ。
(ちょっと村の方々に聞いてみよう!)
それから、エリーゼの細工職人巡りが始まった。
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