第19話
「おねいちゃん、おにいちゃんは一緒じゃないの?」
フィルセラの工場に戻ると、工場夫婦の娘、アミナに首を傾げられた。
「お兄さんは、町長さんと大事なお話があるの」
役場でこの後の事を話すクレヌに、「先に帰っていてください。あ、絶対に精油をしみ込ませた紙は肌身離さず持っていてください」と、念を押されて一足先に帰って来た。そうすると、娘のアミナが母親を手伝ってお茶を運んできて可愛らしく隣の椅子に座ったのだ。金色の髪の毛をツインテールに結んだアミナがブラウンのくりくりした瞳をエリーゼに向けてくる。
「このクッキーおいしいよ。おかあさんのお茶に、よくあうの」
そう一丁前なことを口にしたアミナのおすすめ通り一緒に頂けば、さわやかなお茶と程よい甘さのクッキーの組み合わせは無限に飲み食いできてしまいそうで、エリーゼは二個目のクッキーに手を伸ばさないように意識して膝の上に手を置いた。
「本当に美味しいわね」
「でしょう!」
得意げにそう言うアミナ。最初の会ったときの敵意など微塵も感じられない愛らしさについつい頭を撫でたくなってくる。
「おねえちゃん、ごめんね」
「紙を投げたこと? いいのよ、謝ってくれたのだから」
「えへへ、ありがとう。あのね、おかあさんのお茶おいしいって言ってくれたでしょ? あれね、嬉しかったの!」
「お母さんのお茶が美味しいのは本当よ! 私感動しちゃったもの! あの、この工場を続けられるなら、そのうち買えるようになりますか?」
「ええ、それはそうですが……。買っていただく必要ありませんよ、今回のお礼に私がお送りいたします。お住まいを教えていただけますか?」
「住所は――」
自分の身分をばらすわけにはいかない。でもお茶は是非ともほしい。なら、今教えられるのは、これしかない。
「ぐ、軍の魔導師会に『クレヌ・オン・フュージ』宛に送ってください!」
「分かりました。それにしてもクレヌ様と一緒に行動していらっしゃるだなんて、本当にご夫婦なのですか?」
「へ!?」
「先ほどは違うと仰ってましたけれど、本当に?」
(そうだった、さっきはクレヌ様を意識しないようにしていたら、つい「違う」って言っちゃったんだ!)
ここの主人はあまり詮索はしなかったが、夫人は違うようだ。稀代の天才クレヌと旅する女性の正体が知りたくて仕方がなさそうで、嬉々として良い笑顔で聞いてくる。そんな夫人を交わしつつ、アミナの「ねぇねぇ! どこから来たの? どこに行くの? ここに来る前どこにいたの?」という質問に答えていると、あっという間に時間が過ぎた。
外がうす暗くなり始めているのに気付いたのは、エリーゼが家の外から聞こえる賑やかな声に外を見た時だ。
「よろしければ夕食をご一緒にいかがですか?」
「うちの宿に是非泊ってください!」
そう誘うような言葉を投げかけているのは女性たちの賑やかな声。それに対して少々疲れ気味の落ち着いたクレヌの声が聞こえる。
「いえ、今日はこちらでお世話になりますので、皆様のお手を煩わせは致しません」
「えー、そんなぁ。遠慮せずに、是非!」
そう諦めない女性の声が聞こえたと同時に工場のドアが開いた。
(あー、予想は出来たけど、これはこれは……)
外にはエリーゼの位置から確認できるだけで女性が六人はいる。同年代くらいの若いお嬢様方が、クレヌをお誘いしたいらしくここまで追いかけて来たようだ。両手に花状態のクレヌ。挙句見事なプロポーションのお嬢様に腕にしがみつかれて振りほどけず固まっている。そんなクレヌはエリーゼの視線を感じ取ったのか、「では、これで!」と、手を振りほどき、さっさと中に入り戸を閉めて盛大にため息をついた。それを憐れんでいるのが一緒に帰って来た工場のご主人だ。「いやぁ、凄かった!」と、道中を振り返っていた。
「町役場を出たら外にズラッとお嬢さん方が待っててね、演劇のトップスターのファンのようだったよ! まあ、稀代の天才魔導師、歳も若い、おまけに容姿端麗ときたらほっとかれるわけがない!」
「楽しそうに仰らないでください。断っても断っても付きまとってくる……。ほんと、しつこいったらありゃしない」
「おにいちゃん、おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
クレヌは自分の元へとトテトテと向かってきたアミナの頭を優しく撫でた。そしてそのまま、エリーゼを見ると顔が固まった。
エリーゼは今、全神経を集中して笑顔を保っている、決して怖がられるはずはないのだが……。
「……リゼ? ただいま」
「お帰りなさいませ。随分とおもてになりますね、クレヌ」
「え、リゼ、怒っているの?」
「怒っておりません。だからいいんですよ、私にお気遣いなく、どこぞにお泊りになってもご飯を召し上がられても」
「え、ちょっと、なんでそうなるの!?」
「私、護衛の方にも自由は必要かと思いますの。どうぞお好きになさって」
「いや、そんなこと出来るわけがないだろう?」
「何故? クレヌほどの方なら、私にべったりついていなくても守るくらいの実力はおありでしょう?」
クレヌの顔を見ずに置いてあったクッキーに手を伸ばしたエリーゼ。その取り付く島のなさに困惑したのは工場の夫人だ。
「お二人はご夫婦では、なかったのですか?」
「違います! クレヌは私の護衛です! 夫婦だなんて、ただの設定にすぎません」
「クレヌ様が護衛だなんて……。本当にリゼさんは何者――」
そこまで言いかけた夫人は「詮索はいけませんね」と、苦笑いをした。
(本当、人が好い方で助かるわぁ……)
「おねえちゃん、おにいちゃんと一緒に寝ないの?」
「ええ、アミナちゃんと一緒に寝かせてもらえる?」
「うん!」
アミナの部屋は、ぬいぐるみと絵本が沢山ある可愛らしい部屋だ。親が使っているのか、一人掛けのソファがあったので、一日くらい平気だと、渋るクレヌを押し切りアミナの部屋を勝ち取った。クレヌは来客用の部屋に通されており、夕食以降顔を合わせていない。
最初はエリーゼと一緒を喜んだアミナだが、少し話していると、「でも……」とその顔が曇った。
「おにいちゃん、一人でさみしくない?」
「平気よ。もう大人だもの」
「そうなの? でも、ご飯のあと、おにいちゃんさみしそうだったよ」
「……そうかしら?」
「うん。おねえちゃん、どうしておにいちゃんにいじわるするの?」
「い、意地悪!? 意地悪なんてしてないわ」
「でも、あまりお顔見てなかったよ。わたしには笑ってくれるけど、おにいちゃんのおはなしにはわらってなかった。楽しかったよ、えっと、ワックスのおはなし!」
夕食のときに、前の村の話を聞きたがったアミナに、クレヌが希少動物のワックスの事を話していた。それは確かに聞いていたけど、別に意地悪だなんてするわけがない。
「どこが、意地悪に見えたの?」
「おにいちゃんが、『そうですよね』っておねえちゃんにおはなししても、ずっと『そうですね』しか言わなかった」
「それだけで?」
「おにいちゃん、さみしそうだった」
二度も言われた。
(確かに顔は見ないようにしていたけど……。だって、仕方ないじゃない!!)
「おねえちゃん、おにいちゃんがおんなの人と一緒だったからおこってるの? おかあさん言ってたよ」
「え、違うわよ。そこは確かに少し嫌だったけど、そうじゃないの」
「じゃあどうして? いじわるするの?」
「それは……」
エリーゼは追及をやめてくれないアミナに固まった。確かに、クレヌがプロポーションのよろしい女の人に腕を絡まれて身動きできなかったのは見ていて少々腹立たしかったし、大勢の女性に付きまとわれるのも面白くなかった。それもこれも、認めたくはないが、焼きもちから来たわけで……。
(クレヌ様が素敵だからいけないんじゃない! だって、危ないところを助けてもらったら誰だって気にせずにはいられないわよ!)
集配局に手紙を出しに行ったあとの事だ。攫われそうになってクレヌが助けてくれた時、どうしようもなく意識してしまった。出会ってまだ日が浅い、しかも俗にいう吊り橋効果とやらかもしれない、だがもう、この人が好きなのだと潔く認めた方がいっそ楽になれるというものだ。
だが、そう思えば思うほど嫌でも頭をよぎるのが、プロチウムの思い人。クレヌとプロチウムが同一人物の可能性がある以上、クレヌを好きになって良いわけない。昂った感情をひた隠しにするためにも、少しくらい不愛想を装わないとつい漏れ出てしまいそうで怖い。
それが純粋な子供には意地悪に見えたらしい。くりくりした瞳で、しかも少し頬を膨らませて怒っている。
「そうね、少し、意地悪したかも」
「そうなの!? それは、だめ! ごめんなさいして!」
「え、ええ。でも、そのうち――」
「だめ! 今! そうしないと、わたしのおへやではねかせてあげない!」
ベッドから勢いよく降りたアミナは部屋のドアを開けて、「さあ、出ろ!」と、言わんばかりに仁王立ちをしている。可愛らしいが、どうやら一度言いだしたらやめる気はないらしい。動かないエリーゼのもとに来て、手をグイグイ引き、それでも動かないと分かると、なんとエリーゼの持ち物が入ったリュックを部屋の外に出してしまった。
「え、それはちょっと待って!!」
「ごめんなさいしたら入れてあげる!」
そうドアを閉めると、何やら部屋の中からガタゴト音がして、ドアノブがガチャ、と音を立てた。
「嘘、鍵!?」
どうやって締めた、と思うが本当に鍵が掛かっており、ノブが回らない。エリーゼが呆然としていると、しばらくしてドアが少し開いた。
「まだいるの?」
箱を台にしてドアから覗くアミナが「しかたないなぁ!」と、部屋から出て来た。
「おねえちゃんにとくべついいものかしてあげる!」
「え!?」
手を引くアミナに連れられて台所へ向かうと、そこでは夫人が明日の仕込みをしていた。
「あら、どうしたの?」
「おかあさん! すごくいいにおいするやつ、かして!」
「シャスターの事? どうしてまた……」
「おねえちゃんにかしてあげるの。そうしたら、おにいちゃんに、ごめんなさいするって」
「アミナちゃん、言ってないからね! そんなこと!」
「あら、仲直りなさるんですか? それは良いですね、ちょっと待っててください」
そう夫人が部屋に戻り持ってきたのは、褐色の瓶に入った液体。他の瓶の液体に薄めてエリーゼの耳の後ろ辺りにつけてくれた。エリーゼの人生上二度しか嗅いだことがない香り。だが、ハッキリと記憶に残る印象的な香りに、エリーゼは息をのんだ。
「これ……、この香りって、まさか、シャスターって、あの『シャスター』ですか!? 超貴重な!!」
「そうです。硲の森が色づいた十年前に少しだけ手に入ったんですよ」
「も、申し訳ありません! そんな貴重なものを使わせてしまって!」
自分の家ならいざ知らず、他人にこんな貴重なものを使わせるだなんてあり得ない。冷や汗をかき始めたエリーゼに夫人は笑いかけた。
「ふふ、いいんですよ、貴重すぎてなかなか使えないんです。せっかく作ったのだから使わないと……、あら?」
夫人が首を傾げて「ごめんなさいね」とエリーゼに顔を寄せた。
「どうなさったんですか?」
「……すごく良い香りね! びっくりしたわ!」
「おかあさん、どうしたのー?」
「香水はつける人によって香りが異なるものでしょう? けれど、経年劣化しないシャスターは人によって香りが変わらないことでも有名なんですよ。それがこんなにいい香りになるだなんて……。そんなことあるのかしら?」
母親が首を傾げる横で、アミナはエリーゼによじ登ろうとしてきたので、抱きかかえると、「本当だ!」と満面の笑みになった。
「すっごくいいにおい! 初めて!」
嬉々としてエリーゼから離れないアミナ。そんなアミナをエリーゼから引き離すと、夫人はいい笑顔を湛えた。
「さ、リゼさん、クレヌ様のお部屋は階段あがって右側の突き当りですから、行ってらっしゃい」
笑顔の夫人に問答無用で二階に追いやられ、クレヌの部屋の前に行ってもちゃんと入るか覗かれ、エリーゼはもう後には引けぬと、ドアをノックした。
「クレヌ、よろしいですか?」
ノックをし、声をかけても返事がない。
「……クレヌ?」
まだ寝つくには早すぎる。なら何故返事がないのか。急に不安に駆られたエリーゼは、「開けますよ?」と、声をかけてドアを開けた。
「クレヌ?」
部屋の中はもぬけの殻。ベッドと机、クレヌが持っていた鞄はそのままだが肝心な本人がいない。
「……まさか、本当に自由にどこかに泊まりにでも行ったの?」
確かにエリーゼは『行けばいい』と、言いはした。だが、それはもちろん本当にクレヌが行く訳はないと思っての事だ。それがこうも見事にいなくなるとは思いもしなかった。
(嘘でしょう? クレヌ様……、というか、プロチウム殿下、お好きな方がいるくせに本当にあのお嬢さん方のところに行ったの?)
「……信じられない!! 不潔だわ! 折角謝ろうと思ったのに!」
エリーゼがそう部屋から出ようとした時に、不意に外から、カタン、という音がした。
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