第12話

 時刻は午後七時。すっかり人の気配がなくなったワックスの厩舎に二人は来ていた。

 上等なわらの上に鎮座して動こうとしないワックスたち。見た所、水や配合された餌に手を付けた形跡はない。


「困っているんですよー」と、笑う主人。最初に会ったときは愛想のいい人だと思ったが、無理矢理賭け事の対象とされているかもしれないという疑惑がある以上、その笑顔の白々しさと言ったらない。


「ほら、皆どうしたの? お腹空いていない? 美味しいから食べて?」


 エリーゼは極力笑顔でそう言った。怪しまれないように。


『呼ばれて行った以上、あの主人の目の前ではきちんと餌を食べさせる振りをしてくださいね。きっと、彼らは賢いから食べたりしませんよ』


 事前にクレヌからそう言われていたおかげで、「うーん、食べてくれませんねぇ。私では力不足かも……」と、演技をこなしたエリーゼ。ちら、とクレヌを見れば、「残念だね」と話を合わせてくれた。


「もう少し頑張ってください! 私は別の仕事があるのでしばらく席を外させていただきますね」


 そう言って出て行った主人。クレヌがその後姿に向かって胸元から取り出した銀の鏡をバレぬように構えた。


(まあ、クレヌ様の魔導師の鏡だわ!)


 何が起こるかとワクワクしながら見ていたエリーゼだが、物音一つ立てることなく、クレヌはすぐに鏡をしまった。


「クレヌ、なにをしたのですか?」

「ちょっと、どこに行ったか所在を掴んどこうと思ってね」

「今魔法を使ったんですか!? 何も見えませんでしたけれど」

「隠密につける魔法を派手に発動させたら意味がないだろう? それより、近場に人はいないから、今のうち、リゼ」


 入口で外を見張るクレヌに頷いて、エリーゼは「ごめんなさい」とワックスたちに頭を下げた。


「あなた達、あの人に無理に走らされているの? そうだとしたらごめんなさい。私『人を嫌いにならないで』ってお願いしたけど無理な話よね」


 じっとエリーゼを見つめる水色の五対の瞳から目を逸らしそうになるが、それでも酷いことをされているなら、この子達を助けたい。でも、昼間みたいに近寄って来てくれないワックスたちにエリーゼは不安を募らせた。


「私の事も嫌い? 言う事はもう信じてくれないかしら?」


 そう少し目を伏せると、近くで「スピスピ」と鼻を鳴らす子ワックス。思わず抱き上げると、昼間のように頭を胸元にこすりつけて来た。


「まあ、また懐いてくれるの? ありがとう!」


 子ワックスに続いたのは母親だ。近寄ってくると、餌箱に顔を突っ込んだ。


「まあ、食べてくれる――」


 『ブン!!』というもの凄い鼻息で、餌箱の中の粉末の餌が吹き飛んだ。


「え、ちょ」


 いつの間にか近寄って来た他のワックス全員で『ブン!!』と鼻息を立てられ、エリーゼの服は真っ白になった。


「そんなぁ……。食べてくれないのぉ……?」

「大丈夫? リゼ」

「うう、なんとか平気です……」


 どこかの大道芸人の一発芸のごとく真っ白になったエリーゼは、肩を落とした。そして、自然と下を向いてしまう顔、その目に飛び込んで来たのは、餌箱に残った小さい粒だ。


「何かしら?」


 一つ摘まんで観察する。五ミリくらいの粒は見た目に比して重量感がある。感触はぷにぷにしていて、力を入れたらすぐに変形してしまうが外側の茶色い皮が破れることはない。弾力のある種のようなものだった。

 それが異様にエリーゼの頭に引っかかる。この違和感をなかったことにしてはいけない。

 エリーゼは子ワックスを足元に降ろすと背負っていたリュックから本を取り出した。有毒植物図鑑だ。


「つい最近、ほんとさっき見た気がするわ……」


 バラバラと急いで目的のページを探す。途中で似た種を見つけては、『違う』とページをめくること本の中ほどでエリーゼの手が止まった。それは今朝、エリーゼの荷物を盗もうとした泥棒の片割れの女に馬車の中で嘲笑われた時に開いていたページだ。そんな本だが、子ワックスは大人しくそして興味深げにエリーゼの隣で覗いていた。


「リゼ?」

「『ドイフェン 主に北部の標高二千メートルの山々に生息し、三十センチほどの高さに生長する。花は赤と紫。開花時期は秋。種は砂のように細かいが、茶色で弾力性のある房で覆われる。房の内部で種は赤い色の液体の中を漂っており、この赤い液体には持続性の興奮作用があるため――』」


 エリーゼは指に力を入れて種を押しつぶす。すると、エリーゼの指を伝って赤い液体が滴り落ちた。


「『昔は競走馬に使用されることがあり、問題となった』、だそうです」

「つまり、クロという訳か」

「ひどい……、レースのためにこの子達に興奮剤の入った餌を食べさせようとしていたのね! あなた達はそれに気づいていたから食べなかった、そうね?」


 四頭揃って「当然」とばかりに頷いた。


「食べなくて走らないから、無理矢理追いかけまわされたの?」


 今度は「ピー」と鼻息で返事をされた。


「本当に言う事を理解しているのか? 想像以上の賢さだな……。ならリゼ、一つ策を練ろうか。君たちも、ムカつく連中に痛い目を見せてやりたくはないかい?」


 計六対の視線がクレヌに向けられた。




 その日の日付が変わる頃、例のワックスの飼育施設前に一人の男性が二人のお供を従えて立っていた。受付の人間に近づくと、ぼそり、と呟いた。


「今日の一番人気は?」

「黒ですね」


 当然のように答えた受付の人間。男性は、「そうか……」と、袖の下から紙を出した。この国の通貨は基本硬貨。一種類ある紙幣は一万パークのみ。それを受け取った受付の男は、ニヤ、と意地汚い笑みを浮かべた。


「白ですよ。白2 赤3 青5 黒20 です」


 先ほど一番人気と言われていた黒など論外のオッズだ。


「なら黒に、十万パーク」

「お客さん、泣きを見るよ? 今日は黒以外の状態がいいんだよ?」

「おや、それは何故?」

「良い餌を一番食べたのが白なんだよ。次が赤、青。黒は一口も食わなかったとさ。ありゃ駄目だ」


 そう呆れた声を出した受付の人間は、遠く離れ射ていた次の客に「お客さんは?」と話を振った。

 ワックスの飼育施設。昼間は見学で金を集め、夜はレースで金を巻き上げる。その現場に潜入したクレヌとエリーゼは素性がバレぬよう、すっぽりフード付きのマントで身を隠していた。特にそれを怪しいとも思われないのは、そんな装いの人間ばかりだからだ。さながら黒魔術の儀式のような異様な世界にエリーゼはつばをゴクリと飲み込んだ。

 ダートを囲むように人々がぐるりと一周し、ダートに面する建物では一等高い身分の人間がくつろぎながら結果を今か今かと待っている。

 そんな中主人が黒い出で立ちで出て来た。引き連れているのは荒ぶる三頭と落ち着いた一頭のワックス。ゼッケンを無理矢理着させられた四頭が、箱に入れられ位置につけられた。

 夜中、ゲートの役割の箱の蓋が開けられ、レースが静かに始まった。一斉に駆けだした荒ぶる三頭とゆったりと歩き始めた黒ゼッケン。その黒ゼッケンを追い立てるべく人が近づいた。


「ピキー!!!」


 と、途端に黒ゼッケンのワックスが鋭い泣き声をあげて土を蹴った。その速さは弾丸のごときスピードで、あっという間に先をいく三頭を追い越し、ダントツの一位でゴールをくぐる。

 その結果に、今まで静かだった場内は一斉に怒号に包まれた。


「おい!! 餌食ったってのは嘘だったのか!?」

「騙しやがって!!」


 と、ここの主人やスタッフに詰め寄る黒ずくめの人間たち。「落ち着いて! 静かにしてください!」と制するも、嘘の情報で金を巻き上げられたと思った人間、特に隠れてこのような賭け事に興ずる人間どもにその声が聞き入れられるはずもなかった。荒れて主人をボコボコに追い詰める人間がいれば、その一方で少し理性的な人間たちもいた。特に建物の中で引いて見ていた人間は、「何かがおかしい」と早々にこの場を後にしようとする。唯一の出口でかち合った彼らは、暗黙の了解でここでのことを見なかったことにすると、そう無言でうなずいた。


「おや、意思疎通が完璧とは仲がいいことだ。ローゼット子爵とカルロ男爵」


 逃げようとした一行の前に立ちはだかったのは三人。そのうちの一人が口を開き二人を嘲笑った。


「今宵の成果はどうだった?」

「な……。お前、誰だ!?」


 誰だと問われた人物は、マントの中から銀の蓋つきの鏡を出すと、その側面にある突起をグッと押し込んだ。

 小太りで今にも転がって逃げ出しのようなローゼット子爵と、線が細く触れれば折れそうなカルロ男爵。二人の護衛の魔導師達は合わせて五人。彼らが前に出るも、その腕を披露することなく主共々地面に転がった。銀の鏡から発射された魔法はいとも簡単に七人を拘束し、五人の魔導師にはそれを解除することも防ぐこともできなかったのだ。


「嘆かわしい。もう少しましな身の振り方もあっただろうに、五人とも」


 男性がフードを取った。

 漆黒の瞳に、暗闇では黒と見間違えてしまいそうになる深い藍色の髪。エリーゼとクレヌよりも年上の魔導師は、足元で転がっている人間に冷ややかな視線を投げかけた。


「ローゼット子爵とカルロ男爵、あなた方は地元の警察が手ぐすね引いて待っている。どうやら、ワックスの違法賭博以外にもあるらしいな。残念ながら、コート宰相が大層お怒りだ。他の貴族の助けを借りられると思わない方がいい」

「お前、マグネか!?」


 その言葉でマグネが手をあげると、警官服に身を包んだ人間にローゼット子爵とカルロ男爵は連行されて行った。


「マグネ様……」

「お前たち五人は軍法会議が待っている、覚悟しておけ」


 その言葉に項垂れた魔導師五人は最早反抗の気配が微塵も感じられない。まさか、こんな町の違法賭博で軍属魔導師ナンバーツーのマグネが出てくるなど誰も想像していなかったのだろう。彼らにしてみれば、都合のいいバイトくらいの認識しかなかったはずだ。

 建物の周囲を張っていた別の魔導師達が五人を連行していく。そうして場が落ち着くとマグネが傍観に徹していた二人を振り返った。

 そこでやっとエリーゼは胸をなでおろした。


「まさかマグネ様がいらしてくださるとは思いませんでした」

「クレヌに呼ばれましてね。『素性をバラせないからお願いします』と言われたんですよ。まさか、旅立ったその日に助けを求められるとは思いませんでした」

「……それは申し訳ありません、マグネ殿」


 バツが悪そうに答えたのは、今までエリーゼと一緒にマグネの後ろに控えていたクレヌだ。「ワックスたちがちゃんとお芝居できるか不安!」と駄々をこねたエリーゼに付き添い一緒に潜入していた。

 ワックスたちはクレヌの提案で、一頭だけ餌を食べなかったことにし、食べた餌の量が多い順を伝えておいた。それを聞いた主人のつけたオッズがアレだ。情報を買い、さらにそれを信じて券を買った人間は痛い目を見たことだろう。なんせワックス達は誰も食べていないし、食べていないことにされた一頭を勝たせるように他のワックスたちが演技したのだから。

 結果、ワックスたちは間接的ではあるが、自分たちの手でここの主人をボコボコにした。


「賭け事って怖いわ……」

「それは同感です」


 マグネの計らいで建物の中に入れてもらうと、そこではいつの間にやらワックスたちが寛いでいた。


「みんな凄かったわね!」


 エリーゼがそう言って駆け寄ると、全頭揃って駆け寄って来た。柵に足をかけてよじ登ってひらりと向こう側に降りると、四頭の大きなモフモフにもみくちゃにされ、手には小さいモフモフがよじ登ってくる。


(ああ、植物以外で幸せを感じられるとは思わなかったわ……)


 至福の時を過ごしていたエリーゼだが、この建物の捜査が始まるらしい。そして、ワックスは他の保護施設に引き取られるそうで、行き先が決まったらこの町からいなくなることが決定しているそうだ。


「じゃあここに来てもまた会えないわね……。マグネ様。この子達がどこに行ったか後で教えてくださいね」


 そう約束し、泣く泣く宿屋に戻ったエリーゼたち。普段なら静かな時間だが、ワックスの施設に捜査の手が入ったとおかみさんも観光客も騒いでおり、二人はその騒ぎに乗じて部屋に無事戻れた。


 そして、新たな問題がエリーゼに襲いかかった。

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