3月26日(金) 先生ありがとう。またね

修了式。

そして、離任式。

今日、私の希望と野望の全てが、打ち砕かれる。

今日、私は世界で一番、悲しい人になる。


運命の日



―無音の空間で目が覚めた。

6時半より少し前。どうやら目覚ましが鳴る前に、目覚めてしまったらしい。早く起きなきゃいけない普段は、目覚ましが何度鳴っても起きられないのに。早く起きなくて良い、なんなら目覚めたくなんか無かった今日に限って、こうもすんなり目が覚めるんだから不思議なもんだ。

………いや、分かってるんだよ本当は。不安なだけ。怖いだけ。私の大好きな先生が離任してしまうかもしれないって思って、目が覚めてしまった。それだけ。直前まで離任するのかどうか分かれないことを、悔しく思った。


長々と着替えて、長々と朝食を食べて、長々とメイクをして、香水を一振り。

アレクサに今日の天気を聞いたら、午前中に濃霧注意報が出ているがおおむね晴れだと教わった。




―「先生、ゆびわしてる」

登校して担任に会うと、左手の薬指に、銀色の、小さくシンプルながらとても綺麗な指輪があった。以前、そういえば先生は指輪しないですよねと聞いた時、特に大きな理由は無いけど普段はつけないと言っていたから、驚いた。

「あぁ、うん。式の時とかはするんだよね。良く気が付いたな。」

スーツの上に金色のジャージを羽織った担任が言った。蛍光ピンクとか金色とか、いつものことながら変なジャージ着るなぁ。まぁ、そういうのも含めて好きだけど。

「ふぅ~ん。へぇ~。なんかニヤけちゃうなぁ。良いですね。」

すごく嬉しかった。初めて見た、担任が既婚者だっていう証。

悲しいよ。うんすごく悲しいことだけど、嬉しいほうがたぶん上。生涯愛すると決めた人がいる証。大切にしている人がいる証。私が好きだったのは、大事な大事な家族を持つ、誰かを大切にする担任だから。そういう担任が、私は好きだったから。


朝からなんとなく、指先が冷たくて心臓の主張が激しかった。気が付かないフリをしても、やっぱり不安な私はそこにいた。担任はいつも通り。良く分からないギャグ言ったり、クラスのお調子者と漫才になったり、何度も何度も見てきた日常が、そのまんまそこにあった。私は笑っていた。




―修了式が終わったタイミングで、担任に手紙を渡した。

教室で黙って担任を見つめていたら、どうしたのかって聞いてくれて、黙って空き教室の方を指さすと、何も言わずうなずいて、先に行ってくれた。

今は使われていない、特別支援学級の教室だった、小さな空き教室。そこで私は、何百回、担任と話した。初めて自傷がバレて呼び出された時から、今日まで。何度も何度も話をした。


手紙が入ったクリアファイルを手に空き教室に入ると、やっぱり先に担任はいた。私の勘違いだとは思うけど、横を向いていた担任はどことなく寂しそうに見えた。

「あの…これ、後回しにして渡せなかったら嫌なので、今渡しておきます。長いので、お時間ちゃんとある時に読んでください。」

後回し、というのは、私は本当は、今日の予定のラスト、離任式が終わってから、下校間際くらいに渡したかったのだ。でももし、もし離任するとなれば、離任式が終わってからは会わせてもらえないから。念のため早めに。今、渡すことにした。

「おお!長っ!すごいね。ありがとう。」

手紙を指でめくって枚数を数えながら、嬉しそうに担任は言った。しつこくないかなって不安だったから、嬉しそうな担任を見て安心した。なんだかもどかしくて、なんだか寂しくて、以上です!と言い放ってその場を去った。

自分の教室に戻って、しばらく待ってみたけど、すぐ戻ってくるかと思った担任が戻ってこない。むむ…まさかもう読んでるんじゃ…ないよな。


もう一度空き教室へ足を運ぶ。入口から顔を出してみれば、ほらやっぱり。

入口に背を向けて、大きな窓の側に立っていた。窓から、午前特有の白いシルクみたいな色の光が、少しだけ冷たく空き教室全体を刺していた。ハッキリ霧があるわけでは無かったけど、濃霧注意報が出ていることを思い出した。

白い教室に1人、こちらに背を向けて下を向いている姿が、やっぱりどこか寂しそうに見えてしまったけど、勘違いだと思うことにした。

なんとなく声を掛けづらくて、担任が自分で振り返るまで、入口で見つめ続けていた。数秒後に、担任はゆっくりとこちらを向いた。

「せんせぇ~?時間ある時にちゃんと読んでって言いましたよね…ほら、最後の学活始まりますよ。」

入口からジト目で言うと、小さく笑って、最初のとこだけちょっと読んだ、と言いながら、空き教室から出て来た。だから私も小さく、もう…とだけ言って、教室に戻った。



―最後の学活で、3学期の成績表をもらった。

出席番号順に1人づつ廊下に呼び出されて、担任からのひとことコメントと一緒に貰うスタイル。

私の番になった。何食わぬ顔で、教卓ひとつ挟んで担任の前へ。

成績に関してはまぁその…3学期は不登校が多かったし、期末も、ですよね~という結果になっていたので、もうどうでも良かった。

「えーと成績は…まぁ今学期は色々あったからちょっと厳しいけど、学年の総評は大丈夫だから。頑張れ~。…めいとは1番いっぱい話したね。最初に話をした時から、めいの話聞くの楽しかったし、話してくれて嬉しかったよ。めいはずっとずっと、大事な生徒だからね。色んな人のこと、良いように見て、信じてみてね。良く頑張りました!」

手紙を渡した時も、成績表を貰った時も、どうしてか担任の顔が良く見れなかった。若干下を向いたまま、成績表を受け取った。大事な生徒だって言った声が今までのどんな言葉より、優しくてあたたかい声で、下から見上げた時見た表情が、あまりに優しい微笑みで、少しだけ泣きそうになった。

大事な生徒。以前にも、言われたことがあった。めいは大事な生徒だよって、いつかに言われたことを思い出して、胸が熱くなった。

「ふふっ。せんせぇ、ゆびわしてる」

下を向いていたから、担任の、教卓に乗せた手ばかりが良く見えた。左手の薬指にある指輪のおかげで、いつもより手が綺麗に見えた。

「まーた言ってる(笑)そんな気になる?」

と言いながら、教室に戻る私を、あったかい眼差しで見ていた。背を向けていたけど、私には担任の表情が分かった。


最後の学活での担任の話は、思ったよりありきたりな話だったような気がする。

でも最後に、わたしはこのクラスに出会えて、担任になれて幸せだ、と言っていたことだけを覚えている。

…私は手紙の最後に、「色々あったけど、私は先生に出会えて幸せでした」と書いた。だから、まだ読まれていないのに、通じたようなことを書いていたのかって思うとなんかジーンときちゃって。いやいや泣くのは早いから。うん。

…学活の授業をする担任を見ていると、まだ離任しないんじゃないかと思えてきた。いつも通り、ホントにいつも通り、楽しそうに生徒と接してるから。これからもこの学校に、いてくれるんじゃないかと。どことなく、安心する私がいた。




―離任式が、着実に近づいている。

トイレの鏡で前髪を整えてから、会場である体育館に向かった。私は案外あっけらかんとしていた。友達と廊下を歩きながら、「私、泣かないと思うなぁ」と話した。友達が「泣きすぎて体育館に海ができちゃうかもぉ」と言い、「あははっどんだけ泣くつもりなのよ。良い子だね」と返した。

私はこういう時、大抵泣けない。これまで毎年、学生として離任式は見てきたけれど、泣いたのは1度だけ。小5の時、大好きだった当時の担任が離任するとなった時、ほんの少しだけ泣いたけれど、基本的に、そういう時に情が薄いというか。とにかく泣かない、泣けない。そんな簡単には。だからこういう時すぐ泣く子に、情のある良い子だなぁと、いつも思っていた。

悲しくて泣くということが、良く分からない。今まで何度も泣いたことはあったけど、いつも1人で、辛くて苦しくて泣いたことばかりだったから。「悲しい」という感情は、私には良く分からなかった。




―担任は、体育館に来なかった。

体育館に行ってパイプ椅子に座って卒業生が来て時間が近づいても、それでも担任は体育館に来なかった。それで全てを察した。

私はこの制度が大嫌い。直前になって、会場に来ない先生が離任するんだってネタバレになっちゃう制度。ついでに、私の大好き(すごくイケメン。誰一人分かってくれないけど)な社会の先生もいなかった。


そっか。やっぱり全てを失うか。


案外平然と、諦めがついた。特に根拠は無いけれど、私は知っていた。分かっていた。担任も社会の先生も、離任しちゃうだろうって。予感だったけどやっぱり当たった。そっか。担任。離任する、か。そっか。

目が熱くなった。指先が、ODした時みたいに温度を無くしていた。歯を食いしばって平然とした態度を保った。おかしい。無いから。私が泣くとか、無いから。だいいち早いよ。ってか泣けるかなぁ私。担任が離任って悲しいけど、泣けないかもしれない。まだ実感が無かった。私は平然としていた。落ち着いていた。


「離任される先生が、入場します」


生徒主事の先生の声と共に扉が開いて、離任する先生が1列になって入場する。

担任ではなかったのに、先頭の先生が目に入った瞬間、私の堰は切れた。

いるのは分かっていた。その列に、私が何より大切に頼ってきた担任がいることを私は知っていた。生徒のパイプ椅子が並ぶ列のちょうど中間、離任される先生の1番通路側にいたのに、私は崩れた。

見ることができなかった。入場する担任の姿を。見ることなんか到底できないくらいに、わぁっと泣き崩れた。


もう会えない。

もう、会えないんだ。


それまでしれっとしていた私。こういう時1番泣かないはずの私が、1番最初に泣き崩れた。早すぎた。まだ入ってきただけなんだ。

それでも私の脳内は「悲しい」という、14歳にして初めて感じた未知の感情でいっぱいになって、「悲しみの涙」という初めて流す涙が、溢れて止まらなかった。

私の席から左斜め前あたりに、担任が座った。前に並ぶ人の間から、ちょうどハッキリ見えるところだった。といっても、私は2年生で中間の列にいるから、最前列にこちらを向いて座っている先生の列は遠かった。

涙で滲んだ視界を下から少し上にあげると、乱れて顔に降りかかった髪の間から、左手の薬指に指輪をした、スーツ姿の担任が、涙目気味な目をして座っていた。滲んだ視界と遠い距離で不確かではあったけど、担任と目が合った気がして辛かった。


涙が止まらなくなりそうだったけど、早い早い。まだ早いよ私。と必死になって自分を抑えて、最初の先生である、校長先生の話を聞いた。

なんとか泣かずに聞いていたんだけど、最後に、「人間頑張ってたら辛い時はあるから、助けてって言える人になってくださいね」とかおっしゃるから、すごくすごく泣きそうになって大変だった。そんな話する人じゃ、ないのに。いつも「助けて」の一言が言えなくて独りで苦しむ私には、その言葉が何より痛かった。そんなこと考える人だったんだと、最後の最後で衝撃を受けて、感謝でいっぱいになってたまらなかった。



2番目に、担任が話を始めた。

演説台は、前の人に少し隠されていた。だから顔をあげても良くは見えなかったんだろうけど。担任が名前を呼ばれて、返事をする声を聞いた瞬間、抑えていた涙が再び溢れ出した。とても顔を上げていられなくて、太腿に肘を突き頭を抱えて、担任に見て欲しくて切ったショートヘアを顔の横に垂らして、マスクをしたまま、涙と鼻水で何がなんだか分からなくなった。

胸の中も頭の中も、いっぱいいっぱいだった。会えない。もう会えないんだよ。そう思うことが悲しくて悲しくて、ただ悲しくて泣き続けた。


担任はしっかり前を向いて、話し始めた。

まず3年生に。担任は、私が入学するより1年早くこの学校に着任していたから、自分の授業を3年間受け切ったのは君達だけ、将来役立ててね。と言っていた。私はその時、担任がこの学校に来て3年しか経っていなかったことを初めて知った。

次に2年生を飛ばして1年生に、君達に授業するのは楽しかったと話した。ちゃんと聞けていたけど、私は頭を抱えたまま泣き続けていた。1年生に授業している時の担任はとても楽しそうで、私といる時より楽しいんじゃないかとモヤモヤした時もあった。だから、私が感じていたこと当たってたんだなと思うと、いや、もう何を考えても、涙は溢れるばかりだった。


「そして、2年生は…」


そう言いながら突然涙声になって、担任は喋ることができなくなった。マイクで拡声されて、担任がぐすっと泣く声が聞こえて、私は泣き叫びたくなった。

やめてよ。2年生の話になると泣き出すなんて、悲しいから、やめてよ。

走馬灯みたいに、担任との思い出が私の中を駆け巡った。ひとつひとつを語れないくらい、たくさんの思い出が。その全てが今、終わりを迎えようとしている。

今日、残りほんの数時間で、幕を閉じ、二度と開かれなくなる。


担任は喋り出せないまま、沈黙が続いた。


体育館に、何一つ音の無い、誰一人呼吸もしない、「無音」が大きく響いた。

私には何時間も沈黙だったように感じたけど、たぶん、実際は30秒くらいなんだと思う。その後、担任はなんとか泣きながらも2年生への言葉を喋りだしたけど、私は泣きすぎて耳が閉ざされて、担任が何を喋ったのかほとんど頭に入ってこなかった。

ただ、担任が泣きながらしゃべっていたことだけは良く分かった。そして、君たちが卒業するまでずっと見ていたかったと言ったことだけは、ただひとつ覚えている。

先生泣かないでよ。先生が泣いたら私も悲しいから。どんどん涙が溢れるから。


クラスメイトが花束を贈呈して、その時、お調子者の彼が、柄にもなく泣きじゃくりながら自分の思い出を語って、担任も泣きじゃくっていて、私は自分の席で俯いたまま、同じく泣きじゃくっていた。

薄桃色の包みの花束を手に、席に着いた涙目の担任を見て、私は声をおさえられなくなった。吐きそうで嗚咽が酷い時みたいに、いつまでもいつまでも、間違いなく人生一、涙は溢れ続けた。私が体育館で、誰より、1番激しく泣いていた。絶対に人前で泣かない私が、全校生徒と全教員がいる体育館で、とても小さい子供みたいに、嗚咽を漏らして泣き続けた。また担任と、一瞬目があった気がした。本当は、離れないで行かないでと今すぐ泣きつきたくて、すがるように見つめた私と、果てもなく優しいけれど果てもなく悲しい目で見つめ返した担任。悲しかったんだ。

ただただ、悲しかったんだ。



離任する先生が退場する時も、私は顔をあげられなかった。最後まで、体育館から出ていく、終わりの瞬間の担任をとても見られなかった。もう私は声を少しも抑えられず、ひとり、本気で泣く人間の声をあげていた。


私が死ぬ時まで、見届けて欲しかった

ずっと、一緒にいて欲しかった

頑張ったら、やるじゃん!すごいじゃん!って褒めて欲しかった

もう私のこと全部出し尽くすくらい、いっぱい喋ったけど、でも話したりなかった

これから先、辛い時に何をきっかけに希望を持てば良いのか、誰を頼れば良いのか、全然分からなかった

私の未来像から担任が突然ふと消えて、そしたら私の未来像は真っ暗になった

もう会えないんだよ

私は大人にならずに終わるつもりなんだよ

だから、もう会えないんだよ

二度と




―離任式が終わって、会場の片付けをしろと指示が出た。

私は立ち上がったけど、それでもなお泣き続けた。そしたらクラスメイトが何人も私の側に来てくれて、黙って私のパイプ椅子を片付けてくれる子と、私の背中を心配そうにさすってくれる子と、声をかけてくれる子と、色んなことをしてくれて、よけい胸がいっぱいになって、よけい泣かざるをえなかった。


さすがに片付けなんてしていられなくて、1人外に出た。

座り込んで、誰も見ていないと分かったら、もっと大きな声で、遠慮なく泣き出した。もう泣きすぎて、自分が泣いているのかも良く分からないくらいだった。

いつまでも泣けた。どこまでも泣けた。果てもなく悲しみは私に押し寄せ続けた。

呼吸が全然できなくて、息を吸おうとしても吸えなくて、ぜぇぜぇしながら、えぐえぐ泣いた。肺が痛かった。とても痛かった。ぎゅうぎゅうに締め付けられているような感覚だった。目が熱くて、体に力は入らなくて、喉は痛く、嗚咽が止まらなくて、肺は潰れそうでとても苦しかった。

強い追い風が吹いて、最近短くした髪は簡単に乱れて、涙が向こうへ飛んで行った。空の色も鳥の声も風のにおいも、春だった。滲んだ景色は確かに春を迎えていて、「春は別れの季節」と良く言われる意味が初めて分かった。いつの間にか霧は晴れていて、澄んだ青空の下、春の風に吹かれてただ、生まれて初めて感じる果ての無い悲しみで、泣いた。


先生、私泣いてるよ。面白い話して、私を笑顔にしてよ


そう願っても、どれだけ待っても、担任は姿を現さなかった。

当たり前だ。先生はもう、担任じゃない。この学校の人間でも、無いのだから。

離任式が終わったら、離任する先生は生徒に会わず職員室に閉じこもる。だからもう、私のもとへは来ない。もう、会えない。

私は、親を失くした、まだ小さな子供だった。

すがるようにただ泣き続けた。結局最後まで泣き止めずに、会場を片付け終えた友達が私のところに来てくれて、その中の1人が、心配そうな目で私を見た後、黙って抱きしめてくれたから、やっぱりよけい泣いた。


ねぇ先生、私には友達がいる。

私が泣いていたら、抱きしめてくれる友達がいたんだね。

ねぇ先生、私には友達がいたよ。

私のこと大事に思って心配して、元気づけようと思ってくれる友達が、私にもちゃんといたんだね。


立てるか歩けるかと心配してくれる友達に私は黙って頷いて、半分友達にもたれかかる様にして、よろよろ廊下を歩いた。

職員室の前を通ったら、座り込んでまた泣き出した。

こんなに、こんなに近くにまだいるのに、でももう会えない。会えないんだよ。

担任の職員室での席は、入口の1番近くだった。だから間違いなく、ドアを挟んですぐそこにいた。いるのに会えないこと、もう会えないこと、悲しい。悲しいんだよ。こんなに泣き続けるくらい、悲しいんだよ。ねぇ。

それでもやっぱり担任はドアという壁を越えなくて、私は泣きながら帰宅した。




―帰宅してもなお、私は泣き続けた。

家に入ると玄関に母親が座っていて何か言っていたような気がするが、全部無視して自室に籠り、1時間以上ベッドの上でぐずぐず泣いていた。


私は知っていたのよ

この世界の成り立ちと

私の運命を

私の幸せは奪われるためにある

私が生まれてしまった罪の罰として

幸せを与えられては奪われる


思えば、私の脳内にいつも担任はいて、学校に行って担任の車があれば安心するし、辛いことがあれば担任に全部喋ろうと思い立ったし、頑張る時はいつも、結果が出たら担任にめいっぱい褒めてもらおうと考えた。

私が思うよりずっとずっと、担任は私を見守ってくれていた。

優しい目で、ちゃんと私を見ていた。

私の逃げ場だった。いつも受け入れて理解してくれたから。

その、目立ちはしなくても大きかった支えが、今まで出会った人の中でただ1人、自分の手で私を救おうと悩んでくれた、思ってくれた人が、もう、いない。


私はこれから誰を頼れば良いの?

こんなに頼れる人、二度と見つからない―


―「人のこと良いように見て、信じてみてね」

ふいに、成績表をくれた時の担任の言葉を思い出した。

こういうことだったんだ。私が、担任以外に誰も頼れないと思い込むことが担任には分かっていて、だからああ言ったんだ。自分以外の人を、私が信じて頼れるようにって、そう思って、担任は言ったんだ。自分がいなくても、私が前を向いて生きていけるようにって、願って言ったんだ。でも、でも今は誰も信じられない。今の私には担任しかいない。



―どうしても、どうしても声が聞きたくなった。

辛くて腕を切って泣きながら学校に電話した日、それまでで1番、何よりも優しい声で大丈夫だと慰めてくれたことを思い出して、最後にどうしても、あの優しい声が聞きたいと思った。

10分おきくらいに、学校に電話をかけた。でも、用が無いのに、離任式は終わったのにかけるってわけにもいかなくて、プルル…と電話が鳴り始めた瞬間に切ることを繰り返した。


―あ、刃物、返してもらって、ない。


思い出した。そうだ。ずっと前に担任に預けた刃物!今日返してもらおうと思い続けていたのに、すっかり、すっかり忘れていた。どうしよう。もう終わってしまった。担任から刃物について話をされなかったってことは、誰か他の先生に引き継いで預からせるのかもしれない。嫌だ。それは嫌だ。私が刃物を預けたのは担任にであって、他の先生にじゃない。ダメだ。伝えなきゃ。

必死に涙をおさえて、帰宅から1時間後に、ようやくきちんと学校に電話をかけることができた。早くしないと先生方が家に帰ってしまうと思って、とんでもない鼻声で、保健医を呼び出した。

保健医は私の自傷癖を知っている。事情を話した。直接担任に伝えれば良いのだが、離任式が終わったのにまた話すというのは私がずるいと思えてならなくて、保健医に、「担任に、私の刃物はあなたの手で、私の机に入れておいてくれ。と伝言して欲しい」と頼んだ。

返答は、「うーん…分かったけど、担任とも相談させてね。あと、最悪私が預かることになるかもしれないから。」というものだった。それは絶対嫌です!と言って、私は電話を切った。鼻が詰まりに詰まっていて、「伝言」が上手く言えなかった。



―1時間後、電話が鳴った。

学校からだった。私は泣きすぎて頭が締め付けられるように痛く、まだメソメソ半泣きのまま電話に出た。保健医だった。

「直接返したいから、今から担任がめいさんの家に行く。すごく忙しくて数分しかいられないから、ホントに返すだけになっちゃうけど、良い?」

驚いた。ホントに驚いた。会って良いのかと本気で悩んだ。今、会ってしまったら、なんというかダメな気がするんだ。あの時を最後の別れにしなくてはならないような気がしていたんだ。でも、返してもらう手段がそれしか無いのなら―「本当は会って話したいんでしょ?」…図星だった。会いたいよ。今すぐ会って話がしたい。罪悪感を覚えながら、了承した。

15分後に来ると聞いて、私は極力冷静を保ち、ピンクのニットと紺色のロングスカートを着た。鏡を見ると、自分の顔があまりに分かりやすく「泣きはらした人の顔」だった。

どうせ泣いてハゲることは分かっていたから、メイクはもうしなかった。



―20分後くらいに、何度も何度も見た、担任の車が家に入って来た。

不登校だった2週間のうちに3回以上は私の家を訪ねてくれたから、担任が私の家を訪ねることは慣れたことだった。

外観もナンバーも間違いなく担任の車だった。大急ぎで靴を履いて庭にでると、鼻に針が何本も刺さっているかのように、痛みを感じた。かみすぎでとても痛かった。

心臓の主張がとんでもなく激しかった。肺が、空気ではない何かでいっぱいで、息がしづらく声が出ないと思った。

担任が車から出て来た。私はもうどうしようもなくて、下を向いて無駄に髪や首や顔を両手でいそいそと触りまくった。

近距離で担任の顔を見た瞬間、泣きそうになって顔を逸らした。

「早くない?!」と笑い混じりに担任が言ったから、私はフッと笑った。もう懐かしい、あなたの声。


担任の手には茶色の封筒があって、そこに私の名前が青のペンで書いてあった。学校を欠席したら、近所のクラスメイトが持ってきてくれる、プリントが入った封筒。毎回欠かさず青か黒のペンで、フルネームが書かれていた。

いつだか、私毎日欠席なのに毎回フルネームで書くの、大変じゃないですか?と聞いた時、漢字の勉強になったりするし。と言っていたが、私と担任は同じ苗字だから、書いてもこれといって勉強にはならなかった。それでも毎回絶対にフルネームで書くあたり、そういう変に律儀なところが、私は好きだった。そして、これが最後の封筒であることは間違いなくて、とてつもなく切なくなった。



「時間が無いので2つだけ。」と担任は話を切り出した。担任はいっつも、いっつも、毎朝クラスにする話の時でさえ、いくつ話をするか最初に言った。時々、「3つ話をし…あっ嘘です。4つでした。」と言うこともあった。


「手紙、めっちゃ泣きました。わたしが言ったこといっぱい覚えててくれて、すごく嬉しくて…」

そう言いながらみるみる涙ぐんで、どんどん涙声になって、私がこんなに泣いてるのに、担任まで泣くから。やめてよ。先生が泣いたらもっと悲しくなっちゃうの。私が担任に会えなくなるのが悲しくて泣いているように、担任も私に会えなくなることが悲しくて泣いてくれている。ますます悲しいばかりだった。

「先生まで泣かないでくださいよ…」

お互い、向き合って泣いて、また春のにおいの風が吹いた。担任に泣かないでと言ったのは2回目だと思いながら、私はそう言った。

担任のおかげで私の価値観が変わって、ずっと毎日死にたいとばかり思っていたけど、最近は生きていたいって強く思っているんだ、という手紙をいつだかに書いて、その時、たくさんクラスメイトがいる教室で、変わってくれて良かった嬉しかったと言いながら担任が泣きそうになって、私はあわあわしながら「うああちょっと、泣かないでくださいよせんせ」と言いつつ嬉しくなったのを覚えている。すごく鮮明に覚えている。担任が泣きそうになるなんてそれが初めてで、そんなに嬉しく思ってくれたんだって、あなたと一緒に変われて良かったと思った記憶が確かにあった。


そして、担任が職員室の、入り口に1番近いあの席で、私の手紙を読みながら号泣している姿はとても簡単に想像できた。私の思い出を全部、精一杯詰めた手紙。ただひとつ、ありがとうと伝えるために、記憶の全てを抱きしめながら書いた手紙。私が全部覚えているように、担任も全部覚えているから。私が全て大切な思い出だと思っているように、担任も全て大切な思い出だと思っているから。

実は、帰宅してから自分が書いた手紙を読み直して、自分で書いたはずなのに私も号泣した。書いている時は離任することが確かじゃなかったし、ただ全力で思い出を掘り起こしただけだった。でも今、別れを知ってから読んだら、それは別の手紙であるかのように胸に強く刺さった。たくさんの思い出全て、もう会えないあなたとのものだと思うと涙が止まらなくて、同じように担任も泣いたのだろうと思った。私が何も見えないくらい泣いたから、だから、担任も何も見えないくらい、全く同じように泣いたのだ。



泣きながらも、担任は続けて話をした。

「めい。大丈夫。あなたなら絶対大丈夫。大丈夫だよ。だからまた絶対、生きて会いましょう。ね。」

と、話を終えた。「大丈夫」と言われた時、1番、1番泣けた。

私は手紙の中に、「先生の言う大丈夫は、絶対目を見て強く言うし、根拠がしっかりあるから、いつでも不安症な私はその言葉に何度も救われた。」というようなことを書いた。そして今、その手紙を読んだ先生が、今までで1番力強く何度も、大丈夫だって言うから。


生きて会いたい。もう一度、私は先生に会いたい


胸が苦しくて苦しくて、肺が締め付けれて、何も口に出すことができなかった。伝えたいことまだいっぱい、いっぱいあるのに。小さく小さく、「…うん」と答えることしかできなかった。私が人より生き辛いことを1番良く理解している人だったから、だから、生きてまた会いたいと言ってくれたんだ。


「さよならって言うのは嫌いだから。またね」


最後に担任はそう言った。私も、さよならって言うのは嫌いだった。こういう小さな所々が似ているのがすごく嬉しいといつも思っていた。それでも私は声が出なくて、また小さな声で「またね」と言い返した。

結局私が言えたことは、「うん」と「またね」だけだった。




―担任の車が見えなくなった瞬間、庭に座り込んでまた泣いた。

これが本当の、本当の最後の別れ。もう会えない。もう会えないんだ。次は無い。次は無いのよ。


母が玄関から出て来た。「帰ってきた時のアンタの顔見て、ああ離任したんだなって分かった。だから私、先生に1年ありがとうございましたって電話したの。そしたらね。自分が言ったことをたくさん覚えててくれて嬉しかった。自分の影響で良い方向に変わって行くのを見られて嬉しかった。んで、最後の2週間くらいは社会の先生に夢中だったからちょっと妬いた。って伝えてください、って言われたよ。…あったかい先生に出会えてよかったね。」

そっか。そっか。ほんっと、前からすぐ妬くんだから。私が社会の先生の話ばっかするといっつも妬くんだから。そういうとこホントに好きだった。子供っぽいくせに、絶対私に手を出したりしない。のにさ、そうやって嫉妬するから、精神科医に「え、そういう関係なの?」とか聞かれるんだよ。まったくもう。でも好きだったよ。私はもう何千回と先生に嫉妬してるのよ。ああ。本当に好きだった。



―その後もぐずぐずと引きずって泣き続けた。

今は一旦頭から追いやって、他のことをするべきだと良く分かっていた。でもどうしても他のことをすることさえできなくて、パソコンに向かったものの泣きすぎたせいで頭痛がすさまじく、今日のことを書こうとすれば涙が滝のように溢れ、ノーシンピュアを飲んで眠って頭痛を治そうと試みたけれど、あまりの寂しさにとても眠れる精神状態ではなく、困り果ててリビングで俯き続けていた。心に大きな大きな穴が、いやもう全部が無くなってしまったような感覚で、他のことできないし他の人頼れないしでどうしようもなかった。


そんな時、耳鼻科に行っていた姉が帰って来た。

「めいちゃーん!ただいまぁ。見てこれ、プリキュアの色紙!なんか今日元気無さそうだったから帰りに買ってきたよ~。……1年、お疲れ様。」

と言って、泣きはらした顔の私に、いつものぼけたらっとした笑顔で2つ、プリキュアの食玩である色紙を渡して来たんで私はもう、

「今涙腺よわよわだからぁあそういうこと言わないでよぉ~」

と言いながらまたしても泣くしかありませんでした。

その後、一緒におやつ食べながらPUIPUIモルカーを見ました。ショックのあまりに昼食を一切食べられなかったけれど、この時だけはおやつ食べられました。一緒にくだらんPUIPUIモルカー見てたらちゃんと一旦頭から追いやることができて、今日ずっと泣きっぱなしだったのが、ようやく少し落ち着いて泣き止みました。



友達といい家族といい、ねぇ先生。私には、先生だけじゃなかったんだね

突然私の世界から先生が消えて、もう何も見えなくなってたけど

それでもその日常の中に、私を大切に思って助けてくれる人はちゃんといたよ

先生の、良いように見て人を信じてみて、って言葉、受け取ったから

きっとどこかに私を理解できる人がいると信じて、頑張ってみるね

人生で1番泣いた日

人生で1番悲しい日

悲しさと寂しさと、生きる楽しさと幸せ

教えてくれてありがとう

ずっと忘れない


先生、約一年間、本当にありがとうございました

私、先生が担任で、先生の生徒になれて良かった

今日まで生きていて良かった

だから、私は明日も生きていたいって、思っています



ありがとう

また生きて会いたい

だから先生

私のせんせ



またね

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