第3部 拝啓、先生方
116恥目 拝啓、先生方
――拝啓、先生方。
凛とした冷たい空気に、風花が美しく輝くこの頃。
先生方は、この寒い中、机に向かい、せっせと書き物をしていらっしゃいますね。
小説家というのは、書くのが性分ですから、それは当たり前の事かと存じます。
しかし、僕は思うのです。
家の周りの雪掻きすらせずに、引き篭もるのはどうかと。
ろくに夕食にも顔を出さず、髭は生え散らかし、いつだって生返事。誰かさんは歯医者にも行かないし、誰かさんはいつまで同じシャツを着るつもりでしょうか。
生活をして下さい。いいですか。僕は怒っています。
同居人が増えたからといって、生活が楽になった訳でも、好き勝手してよくなった訳でもございません。
今日の夕飯に顔を出さなかったら、僕はこの家を出て行く覚悟でいます。
そして父さんと暮らします。僕が居なくなっても、どうってことないでしょうけど、そのつもりでいてください。
どうやって借金を返すのか知りませんが、甘やかすのはやめにします。
大事な事なのでもう一度。
生活をしろ。
――敬具 要
――という置き手紙が、ちゃぶ台の上に握り飯4つと浅漬けと共に置かれていた。
それを中原の奴と一緒に読んでみるんだが、どうやらあまくせの奴は心底怒っているらしい。
これはまずいと思うが、12月に刊行するはずだった同人雑誌の原稿を仕上げるためには寝る間も惜しんでやらねばならない。
祗候館の事があって、仲間に無理を言って待たせているのだから尚の事。
もう何日も寝ていない気がするし、寝た気もする。そのくらい意識も切羽も詰まっているのだ。
まあ確かに、あまくせの言う通り、口元辺りに手を当てれば髭が生え散らかっている。
中原も同じだ。顔を見合わせて、コイツは意外と濃いタイプなのかと初めてわかったくらいだ。
「お前、歯医者行けよ」
「お前はシャツを取りかえろ」
お互いに、手紙に書いてある嫌味ったらしい文章を言い合った。
「とりあえず着替えてくる」
「先に髭剃ってるぞ」
各々書かれた事に従って、やるべき事をやった。
洗面所に行き、久々にカミソリを握る。髭に刃を当てると長く伸びて引っかかる。
毎朝、髭を剃れという弟が口煩いなと聞き流していたツケだ。
もっと早く剃っておくべきだったと後悔している。要の言う事は聞いておこう。
少し口元の辺りから血を出して事を終え、中原と場所を交代した。
そして居間に戻り、置いてある握り飯を見ると、随分と歪だ。あまくせが作ったやつか。
文人は小料理屋で仕事をしていることもあって料理は丁寧にやるし、富名腰も卒なくやる。ハツコはまあ、アレだ。うん。何も言わないでおこう。
しかし、なんだってアイツは握り飯一つ綺麗に握れないのか。味が不味いって事はないだろうと一口、二口齧り付く。
そして、半分食べた時に、米粒についた薄い紅色が見えると梅干しの酸味を感じる。そのまま食べ続ければ、要は本当に怒りが抑えられないのだと嫌でも思い知らされた。
「うわ」
「ん?」
「食ってみろよ」
睡魔に襲われている中原の気の抜けた返事。握り飯の乗った皿を目の前まで持っていき、半分食ってみろと勧めた。言う通り食べると、噛み砕けない固い何かに気づく。
気のせいかともう一つ食べるが、やはり同じ。
「梅干しの種しか入ってねえ・・・・・・」
「アイツ相当だぞ。いつもは種は入れないで、身だけ纏めて入れるだろ。逆だ、逆。怒ってるからこういう、陰湿ないじめみたいな事するんだよ」
梅干しの種だけを入れる。
それがアイツのやり方だ。こうもなれば、夕飯までに、歯医者に行って虫歯の治療の続きと、それから少し眠らなければアイツは檀の所に行ってしまう。
親子が一緒に住むんだから、別にいいんじゃないかと思うが、ダメ。
俺としては、あまくせがいないといろいろ都合が悪いし、居ないと体が落ち着かなくなるくらいにまで当たり前の存在になった。また出て行かれては困る。
思い立ったらすぐ行動。診察券と歯医者用の財布を持って、出掛けた。治療をサボっていたから医者にまで怒られて、ちょっぴり凹んだ。
それから戻ってきて夕方まで仮眠。寝不足のままでは飯も食えないから布団に直行した。
――あっという間に時間が経った。同居人達の帰宅の足跡に目を覚ますと、とっくにあまくせも帰って来ている。
しかし、おっかなくて布団から出れない。なので、いつも通り誰かが起こしに来るまで待つ事にした。ジッと寝息を立てたフリをしていると、その時はすぐに来た。
「兄さん、メシ」
文人が襖を開けて声をかける。俺はあたかも、今起きました、という顔で目を擦り、すぐに行くと声を返した。
居間に行くと、あまくせは普通の顔をしている。よかった、怒っていない。
「あら、久々やねぇ」
「お、おう・・・・・・」
富名腰、お前、余計な事を! 久々なんて言ったら、本当に顔を見せていないみたいで、煩い口が開くだろ!
と思ったら、それにも何のコメントもない。おかしいと思いつつ、夕飯に手をつける。
無言の食事が続くと、ようやく弟が口を開いた。
「あのさ」
「どうしたの? 要ちゃん」
「僕さ、ご飯食べた終わったら檀さんの所に行くよ」
「はあ!?」
おいおいおい。なんでだよ。手紙と話が違うじゃないか。
夕飯に顔を出さなかったら云々カンヌンだったのに、檀の所に行くだと?
「て、手紙に書いてある事と違くないか!? 髭も剃ったし、シャツも取り替えたけど!?」
「何でごく当たり前の事を威張って言えるのよ・・・・・・」
中原の言い分は真っ当だ! ハツコの言う事もわからんでもないが、今回は中原の味方をしよう。
それに「違う」とあまくせは改まって正座し直して、咳払い一つしてから話し始める。
「確かに書きました。けど、今日行ったんですよ。檀さんの所にね。そうしたら・・・・・・倒れてたんですよ」
「大丈夫なの? 檀さんって体弱いのね」
「いや書き物に夢中になって、飲まず食わず、さらに寝ずって感じですかね。しゅーさんと中也さんは同じ状態になったら、最悪僕ら4人のうちの誰かが見つけてくれるけど、父さんはそうじゃないから」
という訳です。と締めくくり、また箸を手に持って食べ進めた。
そう言われては何も言えない。現に要は父親を一度失っている訳だし、心配になるのは当たり前の事。
納得せざる得ない理由を述べられては、それに応じるしかないのだ。
しかし、男2人は違った。中原と富名腰である。
何 を思い立ったか、同時に立ち上がって羽織りを来て外へ飛び出した。
「えっ、ちょっと! どこ行くの?」
「絶対家から出るなよ!」
「文人クン、要チャン見張っといて!」
意味も判らず、とりあえず飛び出して行った2人を待つと言って、要は今日の献立であるブリ大根に手を伸ばす。
それから小一時間程だろうか。外から近所迷惑を気にしないような、騒がしい男の声が聞こえて来たのは。
乱暴に戸が開いて、何かが転ぶ音と頭をぶつけたような鈍い音もした。
「ウヒャん!」
「ほら、連れてきた! これで出て行かなくていいな」
「とッ・・・・・・檀さん!」
居間で中原のほつれたシャツのボタンを直していたあまくせは、転んでしまった声の主に駆け寄り「大丈夫?」と声をかける。檀、いや、この鈍臭い感じは尽斗か。
中原と富名腰はこの寒い中、尽斗をわざわざ家に連れて来たのだ。
尽斗は下手くそな舌打ちをし、ブーツを玄関に乱雑に脱ぎ捨て、図々しく上がり込む。
「ち、ちくしょおぉ・・・・・・倒れたフリをすれば要が僕の所に来てくれるって、思ったのにぃ! ふぎー!」
モサモサ頭の小動物が、頭を掻きむしってプンスコ怒っている。
聞けば、今日は要が昼過ぎに訪ねてくるのを知っていたから、わざとその時間頃に倒れたフリをして、自分の家に住まわせるように仕向けたのだと言う。
父親のくせに、コイツの遣り方はクソだ。
あまくせも心底呆れているかと思いきや、尽斗の心配ばかりして、背中を撫でて宥めている。
「檀さんはか弱いんだよ。大事がないならそれでいいから、ね? 檀さん泣かないで」
「ふぁあ、要ぇ、皆が僕を虐めるよぉ」
実の娘を相手に猫撫で声を出して、要の肩に頬擦りして甘えている。見えない尻尾を勢いよく振っては上機嫌、さぞかし気分が良かろう。小動物はあまくせに抱きついて肩に顎を乗せ、俺達にしか見えないのをいい事に、何が良からぬことを考えている、即ち、ゲス顔を見せつけてくる。
中原は言わずもがな不機嫌に。富名腰は笑っているが笑っていない。
一緒に住みたいと駄々をこねているのは知っているから、そんなことだろうとわかっていたんだ。
「なんていう顔よ。本当に要ちゃんの育てた人なの?」
「そ、そうさ、うん。そう」
ハツコはその顔に引いていた。
ハツコには、要と俺は生き別れた弟と言うことで話を通しているから、檀含め尽斗の事は「要の育て親」という事で説明している。
嘘がバレたらまた面倒になるからな、間違えないように気を配らねば。
だから要も必死なのだ。
「要ぇ、父さん、1人じゃ不安だから、やっぱり一緒に暮らさないかい?」
ゲス顔で甘えた声。そうして要に同居を持ちかける。なんて卑怯で狡い真似を。
ここまで来ると父さんが可哀想だとか言って、お人好しと血の繋がりに逆らえず、うん、と頷くだろう。
しかし――。
「今日は泊まりに行くだけって言ったろ・・・・・・? やっぱり一緒に住むのは無理なんだ」
あまくせはそっと尽斗から離れて、目線を落とす。尽斗を迎えに行った2人はハイタッチして、喜ぶ始末。
「でもね、嫌とかじゃないんだよ。ちゃんと目的があってね」
すると彼女は立ち上がり、迷いなく箪笥の前へ。そして、とある雑誌をあまくせ専用の引き出しから取り出した。
ちゃぶ台の上に雑誌を置いて、折り目のつけられたページを開くと、俺のことをジッと見つめてくる。
「俺?」
「うん」
真っ直ぐに見るもんだから、素直にそのページを覗き込んだ。
「芥川・直木賞宣言」
堂々と書かれた見出しに、心臓がドクンと跳ねる。雑誌を鷲掴みにして、思わず食い入るように読んだ。
読み込むと、芥川先生の業績を記念して作られたもので、無名あるいは新人作家が対象とある。副賞も正賞も申し分ない程の賞金。受賞作は、今持っている雑誌に掲載される、とまである。
「しゅーさんは芥川龍之介が大好きだから、この賞を絶対に取って欲しいんだ。簡単に取れる物じゃない。並々ならぬ苦労が必要だろうから隣でサポートしたいんだ」
「あ、芥川賞? そりゃ太宰さんなら取れるかもしれないけどぉ・・・・・・何も要が居なくても」
尽斗も引かない。が、そんな弱々しい発言の何十倍もの強い意志を持っているのが、この、生出要という人間さ。
あまくせの言う通り、この賞が喉から手が出るほど欲しくて、欲しくて堪らない。
先を知る要となら、案外上手いことやって賞が本気で取れるかもしれないと踏んだ。
「いいや、居てくれなきゃ困るね。だって俺の世話をするのはいつだって、弟である要の仕事なんだ、なあ」
顔を見ると、あまくせの大きな目が俺を見つめながら歯を出して笑う。
「うん!」
そして元気よく頷けば、目指すものはもう決まりだ。
「目指すは芥川賞! しゅーさんに絶対、絶対絶対に取って貰う! 死ぬ気で、死んでも取らせる! だから父さん、お願い! 別で暮らしして!」
「そ、そこまで言われた何も言えないよぉ・・・・・・太宰さんにも嫉妬しちゃうなぁ」
尽斗は要の意志の強さに負けて、着物の袖で顔を覆い隠した。
よし勝った。実の父親に勝る程の魅力があるのだ。今までずっと、こいつを死なせずに生かして来たのは俺だ。
お久しぶりの明るい目標。要の何ヶ月か前に見たとびきりの笑顔。
今年はなんだか、今まで以上に良い年になりそうだ。
「てか、青い花とかっていうのはええのん?」
富名腰の一言に、俺と中原それから檀が目を見開く。
「やべっ」
各々机に向かい、原稿用紙に文字を連ねる。これを書き終えたら、また別な物も書こう。
芥川賞の事を聞いてから、俄然、創作意欲がどんどん湧き上がってくる。
この一文字、一文が、この先の「誰か」の支えになるやもしれない――。
なんて、柄じゃないか。
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