45恥目 誰を重ねて
「しゅーさん出ておいで。ご飯だよ」
「うっ」
中也さんの一撃必殺「気持ち悪い」。あの冷たい目がナイフの如く彼に刺さったようで、あれから布団に包まり泣いたまま出てこない。
仕方ないのでおにぎりを握ってチラつかせると、布団の隙間から手がにゅっと出てきて、おにぎりだけ吸い込まれていく。
「歪だ」と文句だけはしっかり言う。悪かったなと一言言ってやりたいけど、また泣かせてしまったら可哀想なので言わないでやる。
耳を布団にピタリとつけると咀嚼音が聞こえるから、食べてくれている。 とりあえず食べる元気があればそれで良い。
しかし食べ終えても、布団から出てこない。今はそっとしてあげる。どうせお酒が飲みたくなったら台所に来るだろうから大丈夫だろう。念のために薬は回収。隠してある薬はきっと自殺様か何かだ。薬は一粒も見逃さないで回収する。
「バレてないと思ったら、大間違いだからな」
そう言うと、布の塊がモソモソ動いた。次は初代さん。気を失ったかと思いきや、どうやら連日の睡眠不足で眠っただけのようだ。糸魚川の腕に絡まり着物がはだけて、ちらりと御御足。人妻とは思えない姿で寝ている。しまいには幸せそうな顔で腕に頬をすり寄せた。
これ大丈夫? しゅーさんひっくり返るんじゃない? かといってお疲れの所を起こすのは可哀想だし、熟睡してるし、どうした良いもんか。脳内会議で考量するが、結果は寝かせておこうと言うことになった。
しゅーさんにバレた時に彼を宥めればいいや。
「寝取りって燃えんのかな」
「寝取んな!」
そう思ったのはほんの一瞬。糸魚川はその気になっている。花街から溜まったままの性欲が爆発しそうなのだろう。コイツは食欲と性欲がえげつない。一刻も早く名古屋に返さないと。
さて、この数日間この家に何があったのか。今は夫婦に確かめる術もないので、散らかった部屋を掃除しているとあっという間に夜を迎えた。晩ご飯は味噌味の芋煮を振る舞ったが、性欲メガネに野菜が硬いだのなんだの文句という名のご意見を頂いた。
さも当たり前に泊まろうとしている2人。次々に考えることが増える。次はなんだって、客人用の布団がない。帰ってくれなんて言えないから、自分の布団を差し出した。
「残念だけど、僕んちに泊まるなら布団はないよ。僕の布団しか余ってないからね。僕としては中也さんに使って欲しいけど……糸魚川は……」
「もう糸魚川は寝てるよ、要は使わないの?」
「僕はしゅーさんの部屋を掃除しなくちゃいけないし、それが終わったら初代さんの着物縫わないといけないので」
中也さんが心配そうに僕を見ている。休まなくても大丈夫か、とでも言いたいんだろう。そんな優しい目で見られたら、その暖かさに甘えて泣いてしまうかもしれない。
「何日もよく寝たから大丈夫ですよ。狭くて汚いからちゃんと休めないかもしれませんが、布団使ってください」
中也さんに就寝の挨拶を済ますと、着物と裁縫道具を持って書斎へ入った。しゅーさんが近くにいるからなのか、自宅だからか。急に気持ちが引き締まる。何処にいるよりもだ。
ちゃんとしなくちゃ、また同じ悲劇を招いてしまうかもしれない。父さんの自殺を止められなかったあの頃とは違うんだ。この人を絶対に自殺では死なせない。
僕は、自分で自分を殺すのはとても寂しいことだと思ったからだ。
出来る事から確実に。まずは家の整理から。散乱した原稿用紙のシワを丁寧に伸ばして何枚も重ね、まとめる。ノートは大きさ順にまとめて、棚に閉まった。
それから小箒で塵を集める。新聞配達でもらった古新聞をくしゃくしゃに丸め、それを水に濡らして棚や机をサッと拭く。畳は乾いた雑巾で塵を掻き出すようして、取るだけにした。
掃除機のない時代、身の回りにあるものは全て役に立つ。
どれも出来るだけ、音を立てないように。それが終われば、布団に包まったしゅーさんが起きないよう、細心の注意を払い、裁縫箱をそっと開ける。月明かりだけを頼りに、針に糸を通せばそのあとは楽勝。着物に針を通していけばいい。
初代さんが自分で縫えばいいと思うでしょう? この着物は僕が家出した日、走り慣れてなんかいないのに家を飛び出してきた時に着ていたものなんだ。僕の貯金を使い込んで買った綺麗な着物だけど、必死になって走って来てくれた初代さんを思い出すと、縫わずにはいられなかった。
チクチクと糸を通していると、布団が動く。
「うるさかった?」
「……べつに」
寝起きの声で返事が返ってくる。顔だけをひょっこり出して、じっと僕を見つめてくる、中也さんに見られるのとは違って、緊張はない。
「なあに?」
喧嘩していたことなんかどうでも良くなっていた。僕が意識して出せる、精一杯の優しい顔をした。彼はその顔に安心したのか、顔を綻ばせる。
「お前が居ないと家が回らないね。すっかり金がなくて、借金しそうだ」
「僕が居てもするだろ」
ぐうの音も出ないのか。何も言わない。今の言い返し方はキツかったかな。しゅーさんがしゅんと俯くから、話題を変えようとするとああ、そうだと、一つ思い出した。
「しゅーさんにいい事教えてあげる。先生と吉次って親子らしいよ。吉次が養子なんだって」
「そうか」
まるで仕返しみたいに、そっけない返事。そっぽまで向いて、つまらなそうな顔だ。
「なんだよ、知りたがってたろ」
先生と吉次の関係を知りたがっていたから、詳細を話したものの、特別興味は無さそうだ。ならばと、僕の父さんの話もしてみたが同じ反応。結構大事なことなんだけど、彼には関係ないみたいだ。
続けて、中也さんと糸魚川の話をした。まだ名前も言っていなかったので、どういった経緯で出会ったか話すと「変なの連れ込むな」とビビリ気味に言うので笑ってやった。
「2人ともいい人だよ。特に中也さんは優しい人だから、きっとさっきは疲れていただけだって」
史実でも有名な不仲な2人を仲良くさせようと考えるのが馬鹿かもしれない。僕はどちらも違う意味で大切だし、どちらの味方でもある。あいつと仲良くするな! と言われようが、僕はそれは出来ないと突っぱねる覚悟だ。
「それはあまくせにだけだろ。詩集を丸ごと渡してくるぐらいだ、気に食わないね」
「まだ言ってんのか……ん? ああ、なるほど、やっぱりそう言うことね」
僕は針を剣山に刺し、着物を畳の上に置き立ち上がって兄の隣に正座した。布団に包まるしゅーさんを犬を撫でるように上から下へ手を流した。彼は顔を布団で隠して、また布の塊と化した。
「読んだよ、思ひ出。僕の願いを聞いてくれたんだろ。しゅーさんの悲しいも嬉しいも、全部知りたいって言った事をさ」
「……」
照れているのか、モソモソと動くだけで顔は出てこない。それが堪らなく可愛くて、会えなかった1週間分のハグをしてやりたかったが、多分本気で嫌がると思うからやらない。感想は特に詳しく言わず、作中にあった葡萄狩りの話だけした。
「今度ぶどう狩りに行こうよ。僕は“みよさん“にみたいになれないけどさ」
しゅーさんの初恋の人である「みよ」の名前を出すと、布団から頭と目だけを出した。照れ臭そうに「なれるわけないだろ」とボソボソ云う。それから、「中原付きはヤダ」と続けてきたので、ハイハイと返事した。
その初恋とやらの話をお茶らけながら、根掘り葉掘り聞いてやった。時々「やめろよ」なんて言って、頬を赤くし、シャイなふりをするから、しゅーさんが中学生くらいの男の子に見えた気がした。幼いしゅーさんにも会ってみたかったな。
「そういえば、お前は初恋あるのか」
「えぇ? そりゃ内緒だよ」
興味津々のしゅーさんの発言に、ドキリとした。あなたの嫌いな人が僕の初恋です。なんて言ったら、ひどく怒るだろうか。僕は適当に話を逸らすために、会わなかった期間に何をしていたか報告し合った。
それでもまた初恋の話に戻そうする。どんだけ話したいんだよ。だんだん話は逸れて、憧れの芥川龍之介先生について熱く語ったりしてくれた。
好きを語る姿は誰かに似ている。もしかすると僕はしゅーさんに、父さんの影を重ねているのかもしれない。
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