43恥目 味方だらけでリスタート

 腹も膨れ、床に就こうとしたのはもう深夜のこと。爺さんは一足先に自室で眠り、糸魚川と吉次は囲炉裏の部屋で重低音のイビキをかきながら夢の中にいる。

 僕は寝室の押し入れから布団を出して敷いた。なんだか久しぶりに布団に触れた気がする。あったかくて心地よい。押し入れの古い匂いに安心する。敷布団に頬擦りすると、さらに気持ちは高揚した。


「中也さん、布団出来ましたよ」

「ありがとう」


 襖を顔が出るくらいに開けて小声で手招き、寝室へ呼び、好きな方へ寝てくださいと布団を指した。


「なんで2つ?」

「なんで、とは?」

「布団が2つ敷いてあるのがだよ。それを聞いてるんだ」

「なんで、って。そりゃ僕と中也さんが2人いるからでしょうに」

「2人いるから尚更だろ」


 ちょっと言ってる意味がわからない。さて問題です。2人、人が居ました。布団は2つあります。さあ、この時何個布団を敷けばいいでしょう。はい、答えは2つです。そうですよね?

 僕は何か間違えていますでしょうか。中也さんは頬を小さく膨らませていますが、何故怒っているんでしょうか? 

 昨日は何も言われなかったのに。気に触るようなことしたかな、と怒っている原因を頭の中で必死に探してみる。


 あれでもない、これでもないと自己判断をして、もう面倒くさくなった。選ばないのなら僕が布団を選ぼうと、右側の布団に立つ。すると、また何か言うのだ。


「しかも布団は離れてるし」

「え?」


 彼の言う通り、布団は座布団一個分くらい離していた。先生や吉次、しゅーさん夫婦が口を揃えて寝相が悪いと言鵜からから、蹴っ飛ばしたりしたら失礼だと思って離していた。

 ちなみに別にしゅーさんを蹴っ飛ばしても気にしない。あの人も心底寝相が悪いし、歯軋りもすごい。夜中トイレに僕を起こすし、いい迷惑だ。


 そんなことは置いておいて。中也さんがそこまで言うならと、ちょっと布団を近づけた。寝相が悪くても何も言わないのを条件に、彼がいいと言うまで近づける。ほぼピッタリくっついた。僕は知らない。言ったもんね、と嫌われる原因を作ってしまったような気がして、心の中で拗ねた。

 

 今日はとにかく布団が恋しかったので、くっつけたらそのまま布団に入る。 すると瞬間移動したみたいな速さで中也さんが布団に入り、わざと顔近づけてくる。


 ああ、なるほど。ようやっと理解した。揶揄っているんだ。布団は1つで、一緒に寝ようとしていて、僕の反応を楽しもうとしているのだと。今日は頭の中がいつもより余裕がなかったから気にしてなかったけど、そういえばこの人、そういう人だった。


「早く寝てください。体調崩してたんですから」

「もう平気さ。むしろ今から癒されようってのに」


 ほら、始まった。でも僕の瞼はそんなことお構いなしに降下してくる。


「なんてね。自分の父親が死んだことを突然思い出して、悲しくないわけがないと思ったんだけど」

「悲しい? 悲しい……それはないよ」


 もう昔のことだ。悲しいなんて、そりゃあ死んだ時は泣いただろう。三日三晩寝ないで泣いて、絶望したろう。今は十何年も前の自分ではないし、大人になったのだから仕方ないのだと諦めがつく。

 父さんは自分の愛をこれ以上汚したくないから死んだんだ。他に心が映ることもなければ、もちろん浮気もせず、ただその人だけを愛していた。


 そうさ、その人だけ。その一人きりのためだけに死んだのさ。


「嘘つき。泣いてるじゃないか」


 そう言われて目頭に溜まる水滴に触れる。横になっているから、枕に濡れた線が走っていた。僕はたまらず顔を手で覆って、喉を締めて、決して声が出ないように体を丸めた。胸に溜まっていた黒いモヤモヤが溢れそうで苦しい。眠気もとんで、この感情をどうにかして抑えようとする。


 疑ってはいけない。疑う事は恥ずかしい事なんだ。だけど本当はずっと思っていた事なのだろう。


 父さんは、娘である僕を選んではくれなかった。その事実にずっと傷ついていたのだ。母さんだけが父さんの心の中に居て、僕の気持ちや将来は考えてくれていなかった。愛して貰えていなかったんじゃないかと、疑ってしまう。


 それが、黒いモヤモヤの正体だ。


 もちろん愛されていなかったわけじゃないとわかっている。きちんと愛情は受けていた。だけど僕は、愛に飢えている。たった数年の愛で、先の何十年を生きていくのには何もかも足りない。


 僕が太宰治に縋るのは、父さんから愛されていた時間を忘れたくなかったからだったんだ。


 その晩――僕は中也さんの寝巻きに鼻水や涙やらを沢山付けて、ぐずぐず泣いた。彼の言う通り、布団は2ついらなかった。



「おはよ」

「おう。うわ、ひでェ顔」


 先に起きていた糸魚川と吉次、それから爺さんは朝食を取っている。箸を止めて、起きた僕を見ると皆ギョっとした。


「干からびるまで泣いたからね。ほら、見てくれよ」


 中也さんが腕を広げて寝巻きを見せる。干からびているのは僕だけじゃなく、中也さんに散々つけた泣いた跡もそうだった。恥ずかしいから見るな! と隠したが、みんなして揶揄うので、不機嫌になる。


「男同士でくっついて寝たのか」

「なんだよ。たまたまだろ」


 糸魚川が引いている。何杯目だかわからない茶碗を吉次に差し出し、何食わぬ顔でおかわりを求めるくせに、人の事にはいちいちイチャモンをつけてくる。


「やっぱ、ケツの穴で慰め合ってんだな」


 僕は一言聞くと、無意識に座布団を掴んで糸魚川を殴っていた。そんなスケベでやましい事はしていない。コイツを飴屋に置いていたら破綻するから、さっさと名古屋に帰してしまおう。

 一発殴ったが気は収まらない。腹がへっているからだろうと、さっさと食卓に座った。納豆を白く泡立つまでかき混ぜて、白飯に溢れそうになるまでかけ、行儀は考えずに不機嫌に掻き込む。


 もう泣いてる暇なんてないんだ。やる事は沢山ある。もうスッキリした。親を信じよう。信じた方が楽だ。疑うのは疲れるし、父さんの願い通り、ちゃんと「要」でないといけない。


 しゅーさんの苦労がこれ以上ないように、生活を支えなくては。それがこれから歩む史実と違くても、未来の史実には影響がないなら、出来るだけ安定を生きて欲しいから。


 僕はさっさと食べ終えて、いつもの緑色の井桁の着物に中はワイシャツ、足脛くらいの短いグレーの袴を履き、茶碗と箸を下げると下駄を履いた。


「もう出るんですか? 中也さんまだ食べてますよ」


 吉次が店前まで見送り来てくれた。まるで母親のように割烹着をつけて、右手にしゃもじを持ちパタパタと忙しい。


「そろそろ帰らないとまた借金まみれになっちゃいそうだし。意地を張ってるのも疲れたしな」

「また疲れたら、いつでも来てください。僕と先生は味方ですから!」


 吉次の声援はいつだって力になる。味方が居るだけで走る勇気が湧いてくるもんだ。

 空は快晴。走り出すには最高の天気。後ろから聞こえる足音を待つと、2つ分の音は僕の両隣を歩き始めた。


「1人で行くなよ。泣きじゃくったの次の日だ、心配だよ」

「付いてくるのはいいですけど、しゅーさんと喧嘩しないでくださいよ」


 右に、ご飯粒をつけたまま、格好良いけど決まらない背広姿の中也さん。


「まだメガネ弁償されてねぇからな!」

「いやメガネ壊したのは中也さん」


 左に、フレームがガタガタに歪んだ眼鏡とワイシャツを腕まくり、クリーム色のチノパンに下駄の極寒スタイルの糸魚川。彼も顔の至る所にご飯粒がついている。どんな食べ方したんだよ。


 ただしゅーさんに興味を持ったからか、それとも僕を気にしてか。2人のお供を連れて今日も行くのです。


「2人ともご飯粒ついてますからね」

「要は納豆ついてるけどね」

「うそ」


 ……行くのです。

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