#30 生き尽くす

 ふらふらと立ち上がった白夜は深く息を吐いた。喉には不快感が滞在していて、背骨から広げる痛みは未だ抜けきっていない。


 しかしながら、手足は異状なく動く。視界も良好だ。戦うために必要なものは問題なく作用する。白夜は床を踏みしめた。


 窓の向こうに、影が降りてきた。白夜は降りてきた影に目を細める。


「あれれ、思ったよりも元気そうじゃん」


 窓の向こうに降り立った人影――イリアンは四枚羽を畳み閉じながら、窓から部屋の中へ入ってきた。すーっと四枚羽が消えていく。


 白夜はイリアンをじっと見つめながら、静かに口を開いた。


「……お前を舐めてたよ。体は小さいが、立派な異能力者ミュートだ」


「ふーん。分かってくれたんだ。まあ分かってくれたのはいいんだけどさー」


 イリアンはそう言いながら首を傾ける。すると、その周囲に鋭い光がいくつか現れた。


「――その余裕、気にくわないね!」


「!」


 その複数の光がナイフとなり、矛先が白夜へ一斉に向いた。白夜は咄嗟に両手へ重力を纏う。直後、そのナイフが白夜へと放たれた。


 この光のナイフも"喰らう逆虫バグ・バク"で捕らえた異能なのだろう。相当数の異能力者と対面だけはしているようだ。


 白夜は腕をかざし、迫りくるナイフを重力で全て弾き返す。それらは弾けて床や壁へ刺さり、その瞬間に光の粒子となって消えていった。


「僕らは、いや僕はそんな余裕が嫌いだ……! むかつくね、失敗しても居場所を無くさない恵まれ者はさ! その余裕ごと、全部奪い取ってやるよ!」


 ナイフを弾き飛ばした隙に、イリアンは地面を蹴って目の前まで迫ってきていた。そのまま白夜に飛び掛かり、炎を宿した拳を振るう。


 白夜はそれを腕で防御し、その接触時に反重力を発動してイリアンの体を吹き飛ばした。窓のそばまで飛ばされたイリアンだが、その後は普通に着地した。


「嫌なこと言ってくれるな。俺から余裕を取ったら何が残ると思う?」


 イリアンへの回答に、白夜は自嘲気味に笑う。合法な風邪薬は夢を見せてくれるが、土産を提げさせてくれはしない。


 居場所――彼はそう言っていた。幼い彼が金剛寺のもとにいるには、それ相応の理由があるのだろう。が、しかしそれは白夜には関係ない。


 白夜が拳を構えなおすと同時に、イリアンは再び駆け出した。炎の拳で白夜へと襲い掛かる。


「――俺にはもう、虚勢しか残ってねえんだよ」


 最初から、何もなかった。字に拾われ、普通の人生よりは劣るが、"前"の比べれば大分マシな人生になるかと思えば、それも適わなかった。残ったのは、ずっと最初から唯一手放せないでいた、自分だけだ。


 白夜は手をかざし、向かってくる途中のイリアンを重力で捕らえた。そしてそのまま引き寄せる。


「っ!」


 戦闘経験が少ない――いや、そもそも経験の総量が少ないのだろう。接近してくる相手に対し、それを助長させるような手段を取られて、イリアンは困惑し判断が遅れた。


 故に、彼は白夜の拳を防ぐことができなかった。見事に白夜の右拳がイリアンへ命中する。その小さな体は大きく風を切り、窓のフレームを破壊し、大きく突き抜け隣のビルの壁を破壊した。


 地面が揺れる衝撃と、耳を劈く爆音、そして目にかすむ砂埃が漂う中で、白夜は小さく息を吐く。


「……余裕を見せることしかできなくても、俺は……」


 痛む体に鞭打って、白夜は歩き出す。吹っ飛んだイリアンによって壁が取り払われており、足を単純に動かすだけで隣のビルの壁に到達することができた。


「生きるしかないし、生きたい……。手持無沙汰でも、また何か拾うさ。俺たちはどうせ、どうしようもなくても……生き続けるしかない……。だから、寿命を生き尽くしてやる……」


 砂埃の中に手を突っ込んで、イリアンを持ち上げる。彼はすでに気絶しており、死んではいないようだ。命に別状がないかまでは把握できないが、とりあえずやることは終えた。


「生きることを諦めた腑抜けに戻ることだけは御免だ……クソが……」


 気絶したその少年を抱え上げ、白夜は誰に言うまでもなくぼやく。ふらふらと歩いて、雑貨ビルの中に入った。


 この騒動はすぐ周囲に気づかれるだろう。しかもこの場所では、白夜とイリアンの戦闘だけなく、雪音と杵淵の戦闘も起きている。早めにこの場所を離脱して、この件を"スイレン"に押し付けたい、というのが本音だ。


 ――というよりも、


「……」


 白夜は頬に冷や汗が流れる。


 雪音は杵淵に勝てただろうか。杵淵は他の異能雑兵ノイズとは格が違ったし、雪音以上に戦闘経験も積んでそうだった。三日月病院で白夜が重い一撃を与えていたとはいえ、時間経過でそこそこ回復しているはずだ。


 白夜がそう思いながら、一階業務室のドアを開け外に出たところで、丁度ばったりと彼女に遭遇した。


「……そちらは済んだようですね」


 イリアンを背負う白夜を見て、雪音は一息ついた。彼女を見ると、服の所々に黒い煤がついているものの、目立ったケガはない。


 そして彼女がこっちに来ているということは、向こう側もなんとか勝利できたようだ。


「金剛寺はいなかった。……というかお前」


「……待って」


 白夜の言葉を雪音が遮った。正確には彼女の持っていたスマホに着信が入ったのだ。雪音はスマホを手に取りながら、逆の手で白夜へに一緒に外へ出るように促す。


 白夜はうなずいて、振り返った雪音に続いた。彼女は歩きながらスマホを耳にかざす。


「どうしましたか」


 誰からの着信だろうか。このタイミングで雪音に着信というだけで、少し不安になる。


 行方知らずの金剛寺。そしてイリアンに白夜が語った推論――この雑貨ビルが囮であり、金剛寺に違う目的があるとするなら、この場に金剛寺がいないのもうなずける。


 というより、この場所に金剛寺がいないということが、白夜の推論を後押ししていた。


 通話しながら歩いていた雪音だが、雑貨ビルから出たところで唐突に立ち止まる。白夜もそれに倣い、彼女の隣で止まった。


「――分かりました」


 雪音はそう言って通話を切る。


 白夜は雪音が立ち止まるほどの報告が気になっていた。だから通話していた雪音を興味深い見つめていた。そんな白夜に、まるで察していたかのように雪音は笑いかけた。


「――私達の最後の仕事ですよ」


「……仕事?」


 雪音はそれだけ言って、スマホをポケットへ滑り込ませる。そのまま堂々と歩き出した。白夜も慌ててそれに続く。


 道路に出たところで、白夜は半壊している立体駐車場と、その前に見覚えのある車が止まっているのが視界に入った。外には氷漬けになった杵淵の姿もあり、雪音の勝利が見てとれる。


 道路を横断しながら、雪音は白夜へと告げた。


「金剛寺結弦――彼を今度こそ獲ります」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る