#8 宿星の呪い

 そういえば、さっき一階で蹴散らした半グレがクスリがどうとか言っていたな、と白夜は思い出す。その言葉に雪音が食いついていたことも。


 雪音はそれを"異能雑兵ノイズ"と呼んだ。ヤクでどうにかできる範疇なのかは実に疑問だが、実際に超人並みの力を得ているのは確かだった。


 現に、目の前でエイラは足一本で建物に亀裂を走らせた。


「くひひ……怖気づい……ちゃいますかぁ?」


「……」


 自分の力を大いに示したエイラは満足そうに笑って見せる。白夜は身構えた。


 後天的な異能持ちとなると、精神や戦術が未熟であれ、あなどれない。白夜が異能力者ミュートを相手にするのは雪音を除けば二年ぶりだ。相手が相手だからとはいえ、これは危険である。


「さあその顔……歪ませてやる!」


 エイラが啖呵を切ると、地面を蹴った。


 異常な脚力を使い、不健康な長い黒髪を揺らして真っすぐ白夜へと突っ込んだ。常人なら目で追えないほどのスピードだが、白夜は違う。そのスピードについてこれる。


 単調で真っすぐな攻撃。白夜は拳に力を込めた。


 白夜の異能『重力操作』でエイラに下方向の重力を超加重させれば、それだけで地面に埋没させ勝つことができる。


 しかし白夜は黒い日輪ダーク・サンライズとかいうチームの半グレ達に自分の異能を披露したくなかった。無為な情報の拡散を恐れての判断だ。異能を目撃されたらどんな噂が立つのか分からない。


 そんな事情も相まって、白夜は拳でエイラを下そうと考えていた。握り拳を超加重させ、骨ごと彼の顔面をぶち砕くつもりだった。


「――っ」


 しかし状況は一瞬にして変わる。


「死ねぇええ!」


 突然、白夜の


 何の脈絡もなく、ただ突然に真っ暗闇の中に放り込まれたようだった。


 直後、白夜は鈍った勘がようやく働いて、寸でのところで腕で顔面を守る。その動作とほぼ同時に、前方から強烈な拳が飛んできて、白夜の体が後方へ吹っ飛んだ。


 吹っ飛んで行く中で、それもまた突然にパッと視界は明らかになる。前には拳を振り終えたエイラの姿があって、その直後に白夜は背後の壁に叩きつけられた。


「ぐっ……!」


 白夜の体は思いっきり壁へめり込んだ。その衝撃で上側がヒビを伴い壊れてその瓦礫が無造作に落下する。


 白夜は手を伸ばし壁を掴むと、壁に埋まった自分の体を引っ張り壁から引きずり出した。


「クソが……」


 不意打ちに近い攻撃だった。白夜は口から出てきた血液を腕で拭う。


「く、くひひ……活きがある、あり、ありますね……! 捌かれる前の魚みたいだぁ……!」


 細い腕で腹を抱えて笑い出すエイラ。その三階からこちらを見下ろす半グレたちも、その笑いを乗ずる。


 エイラはその笑いに囲まれながら、丁度白夜が吹っ飛んだ壁のすぐ隣にいる雪音を、体を傾けて見た。


 彼女は白夜の後ろにいた。彼が後ろに吹っ飛んできた際に、冷静にそのへで移動していたのだ。エイラはそんな彼女を上から嘗め回すかのように見ると、粘着質な笑いを浮かべた。


「ど、どうだ? お、オレはあ、あいつよりも強いぞ! だから、お、オレの方に来いよ」


 まさかのこの状況でたじたじとナンパのようなものを仕掛けるエイラに、雪音は深いため息をこぼす。そして腕を組み壁に背中を預けたまま、冷たく淡々と言い放った。


「遠慮するわ。あと別に私はあの人に媚び売ってるわけじゃないですよ」


「そ、そんなツンツンするひ、必要はないぞ……! オレはいつ、いつでもフリーだからさ」


「……」


 へへへ、と薄ら笑いを消さないエイラを前にして、雪音はちょっと変な顔をした。うんざりした表情というよりも、呆れた表情に近い。


 彼女はエイラとの終わりそうにない会話を断ち切るように、壁から出てきた白夜に言う。


「私の助けが必要ですか?」


「いーや、いらん。そこで偉そうにして見てろ、すぐ片付けてやる」


 傷んだ体を伸ばして、白夜は強気な様子で答えた。それに対し雪音は小さく笑って、瞳を閉じる。


 エイラは白夜の方に振り替えると、機嫌が悪そうに彼を睨みつけた。それから吐き捨てるように叫ぶ。


「お、お前はオレに勝てないんだよ!! 諦めて、跪いて、全部を失え!! 今まで楽しんできたんだろォ!? 今度はオレが楽しむ番なんだ!!」


 エイラはそう言うと、再び思いっきり地面を蹴った。さっきと同じく、その超人的な基礎能力に甘んじて単純な暴力で白夜をねじ伏せにきたらしい。


「……楽しむ?」


 ピクリと、白夜の眉が反応した。その瞬間、彼の殺気に気付いた雪音が瞳を開ける。


「テメェが勝手にを決めつけんじゃねぇよカスが!!!」


 エイラが接近すると同時に視界が闇に包まれた。白夜はそう怒鳴り散らして、そのまま迎撃の構えを取った。しかし今度は腕で顔面を防御したわけではない。


 左手を開き、右拳を固めたのだ。


 それを見たエイラは唇を緩ませる。


「何も見えないクセに、そんなことしても無駄なんだよぉ!!」


 エイラの速度を乗せた殺人的な拳が白夜の拳に迫った。


 けれども、白夜の視界は闇に包まれており、彼はそれを認識できていない。拳を受け止めようとしている左手は動いていない。白夜の顔面はがら空きだった。


「ひゃっ!! 終わったなァ!」


 歓喜と共に振るわれるエイラの拳。


 エイラは嬉しそうに目を大きく開けて、口からはベロと唾がはみ出している。それは品がない表情だったが、勝利への執着が実った念願の嬉しい顔でもあった。


 しかしそれらは、白夜には見えていなかったが。


「――へ?」


 乾いた音が響き渡り、それの閑散とした雰囲気はエイラの表情へ直結する。直前の歓喜した顔とは一変して、その顔には嬉しさの一欠けらも感じられない、あっけからんとしていた。


 白夜の顔面を目掛けたエイラの拳は、そのまま白夜の左手を殴っていた。その左手は元々の場所から動いておらず、殴られる直前に素早く顔面を防御したわけではない。


 


 白夜は『重力操作』でエイラの拳を左の手のひらに引き寄せた。周囲は見えていなくとも、拳が顔面に来ることを推測するのは容易であったし、重力で引き寄せる分には視界が見えなくとも関係ない。


 白夜はニッと笑い、自分の左手の平に突っ込んできたエイラの拳を、しっかりと掴み取った。――この位置関係から逃げられないように。


「ななな、なんで! お前は何も見えないはずじゃあ!!?」

「ハッ、足りねぇ頭と顔面で一生悩んでろ、変態野郎!」


 白夜は足を踏み込み、右拳を振りかぶる。エイラは慌ててその場所から離れようとするも、その右拳が白夜の左手に固く掴まれていて逃げることができない。


「ヒ、ヒイ……! お、オレは負けない……強いんだぁあああッ――!」

「あっそ」


 エイラが出した最後の叫びは白夜の拳によって途切れた。『重力操作』によって超加重された上で、エイラの顔面に放たれた白夜の右拳は言うまでもなく、とんでもない破壊力を孕んでいた。


 一瞬にして頬の骨を砕き、顎の骨までヒビが到達しそうな威力を喰らい、エイラの体は物凄い轟音と共に吹っ飛んだ。


 エイラの体は壁に叩きつけられただけでは終わらなかった。その壁を貫通し、外へはじき出されてもなお勢いは止まらず、地面へと没した。


 エイラが通過した壁がガラガラと崩れていく。その音はしんと静まり返った廃病院に綺麗に響き渡った。


 半グレたちはみんな呆然と立ち尽くしていた。超人的な怪力を持ち、さらに異能を駆使するエイラがあっさりと敗けたのだ。事態が未だに飲み込めないのだろう。


 そんな静寂の中、白夜はふうと息を吐いて一息つく。それを境に困惑と緊張の紐が切れたのか、半グレたちは一気に騒ぎ出した。


「え、エイラさんっ!?」「ま、マズいぞ! 早く助けに……!」「逃げろ! 殺される……! 逃げろぉおおお!!」


 それぞれ騒ぎ立てながら四方八方へ散っていく中、白夜はそんなこと気にせず一人でぐいっと背伸びをする。お粗末なものであったが、久しぶりに真正面からの戦闘だった。懐かしい気持ちが胸の中に広がっていた。


「……やるじゃないですか。少々苦戦したようですけど」


 そんな白夜に雪音はそう言いながら、ゆっくりと歩み寄ってきた。


 苦戦という言葉に少し引っかかったようで、白夜は少しムッとして雪音を見る。


「苦戦はしてねぇよ。久しぶりだったもんで、ちょいと感覚が鈍ってただけだ」


「見事に不意を突かれて結構いい感じの一発を貰ってましたが、まあそういうことにしておきますか」


 小さな微笑みを浮かべ、そして目を細くし白夜をおちょくってくる雪音は小悪魔のようだった。白夜は突然雪音が距離を詰めてきたので、何となくやりにくく感じで頭をかく。


 エイラの異能。それは恐らく『自分の近くにいる人物の視界を黒く塗りつぶす』といったものだろう。


 その有効範囲はとても狭く、せいぜい2、3メートルほど。白夜がエイラに殴られる直前に視界がブラックアウトしたり、吹っ飛ばされた時に視界が回復したりしたのは、そういうことだろう。


 確かにエイラの異能は不意打ちに特化したようなものだが、二年前の自分ならば即座に対応できた範疇だ。考えると自らの衰えを実感してしまう。


「この件はこれで終わりですか?」


 割れた壁の隙間から、地面に埋まったエイラを救出しようとする半グレ数人を見下ろしつつ、雪音は言う。白夜もポケットに手を入れて、下り階段へ足を降ろして座った。


「圧倒的な力の差を見せつけたからな。もう歯向かう気もおきねぇだろ」

「そうですか。なら、例の件の話を再開してもいいですか? まだ途中だったはずです」


 軽くなりつつあった雰囲気が再びピリついた。白夜は振り返り、張り詰めた瞳が雪音を捉える。


 雪音もさっきまでの軽快な雰囲気は消え去っていて、真剣な眼差しで彼を見返した。


 例の話というのは雪音が白夜に接触してきた理由――すなわち、雪音の姉を『"呪術師"金剛寺こんごうじ 結弦ゆづる』の呪術から救ってほしい、というもの。


 それを忘れていたはずがない。しばしの沈黙の後、白夜は小さく笑うと手を後ろにつけて、だらんと姿勢を崩して言う。


「途中だったか。まあいいぜ。そのお願い、受けてやるわ」


「……随分、吹っ切れた様子ですね」


「まあな。大分楽になった気がするよ」


 雪音の少し意外そうな表情に、白夜は朗らかに笑って返した。



 ――腕に伝う小さなの震えを隠すように。



 白夜は二年前の事件について吹っ切れたわけではない。未だに恐怖の対象であるし、そのことについては掘り返されたくないというのは今まで通りだ。


 しかし、今回の問題はそれらの事件からは少しズレる。"呪術師"と名乗る金剛寺という男には浅からぬ因縁があるのだ。それを清算するにはこれ以上にないほどに良いタイミングだった。


「要するに金剛寺の野郎をぶっ潰せばいいんだろ? やってやるさ」


「貴方も金剛寺には恨みがあるわけですか。まあ大体はその通りですけど、そのあたりの事情も話さないとですね」


 白夜が快諾したのを受けて、雪音は安堵の表情を露わにしながら嬉しそうに言った。それから白夜へと手を伸ばす。


「話したいこともあります。この後、私たち馴染みのお店で一杯どうですか」


「……話たいこと、か。長話になるのかな」


 白夜は差し伸べられた雪音を手を見て、どこか寂しそうに目を伏せた。自重気味に笑うと、ぼそりと呟く。


「なるべく早く済ましてほしいもんだな。……俺にはそこまで時間が残ってるねえからな」


「……え?」


 ポカンとした表情になる雪音。白夜はそのまま彼女の手を取り、立ち上がった。


 白夜は雪音の手を取ったまま、唇を緩ませた。その笑顔が何となく不自然な気がしたのか、雪音の表情が曇る。


「早く行こうぜ。騒ぎになって警察サツも来るかもしれねえし」


「……その前に、今の言葉はどういう意味ですか? 時間がない……?」


「……」


 話を切り上げようとする白夜だが、雪音はそうはさせない。


 雪音の質問を前にして、白夜はあからさまに「やってしまった」という顔をした。雪音から手を放して、再び頭をかいて目をそらす。


 しかし白夜に向けられた雪音の真っすぐな視線からは逃げられなかった。その視線に彼は観念して、バツが悪そうに口を開いた。


「……俺は六人目の宿星の五人カルディアンってのは知ってるよな?」

「……はい」


 白夜は力なく目を伏せる。


「俺も例外じゃねえんだ。他の宿星の五人カルディアンと同じように、俺も受けてんだよ。"呪い"をな」

「あっ……」


 宿星の五人カルディアンは妖星墜落の瀬戸際において、忌々しい"呪い"にかかったのだ。白夜も例外ではなかった。


 神妙な表情で白夜を見つめる雪音を、白夜はじっと見つめ返しながら言った。


「俺が罹った呪いは"短命"――俺には残ってる未来がねぇのさ」

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