第444話 魔王の悲願
真紅の瞳に真っ赤な髪を水中になびかせ、上半身は裸の男が漆黒の外套を羽織っている。
長身な体は上着を着ていないお陰で、バスクのように肉ダルマではないが、かなり鍛え抜かれ引き締まっているのが分かる。
頭には額から2本の捻じれた角が生えており、明らかに魔族の特徴を見せていた。
六大魔天と呼ばれる魔王軍屈指の実力者たちからも畏敬の念を感じる男は、魔法陣から転移して辺りをゆっくりと見まわしビルディガの状態に気付いた。
「六大魔天も用意したのだが、この様か。新たな英雄は、まだ生まれたばかりと聞いているが世界が違うようだな」
『魔王様、申し訳ない』
瀕死のビルディガはあきれ果てている男に頭を下げた。
(この感じはあれだな)
「ねえ、これってアレン」
「ああ、たぶん、魔王自ら乗り出してきたようだ」
その言葉に仲間たちに緊張が走った。
邪神を倒そうとするこの場に魔王が現れたのだ。
邪神を弱らせ、ビルディガとバスクを倒せそうなときに割って入るように、魔王が配下を引き連れてやってきた。
『ま、魔王様がなぜここにくるのかな?』
「それはキュベル。余は総力戦といったはずだ。それに配下は忠臣ばかりとは限らぬからな」
『それで、魔王直属の六大魔天全てを招集してまで……』
キュベルも予想外のことのようだ。
仮面をかぶっているが、身振り手振りからかなり驚いていることが分かる。
「それで首尾よくいっているのか? 随分なやられ具合だが?」
邪神の尻尾が変貌したものの、ビルディガ、バスクも満身創痍だ。
『申し訳ございません。邪神の尾を復活させ力を取り戻しましたが、最後の聖獣石はアレンたちに奪われてしまいました』
ベクの血による贄、邪教徒により集めた漆黒の炎は浴びせたが、聖獣石によるコントロールはできなかったとキュベルは言う。
「また失敗か。いや、これもお前の作戦なのか?」
『それは……』
「まあ、良い。その話はあとだ。復活はさせたのだ」
ここで詳しい話をしても仕方ないと魔王は言う。
(こいつが魔王か。一度も前線に出たことないのにせっかくの経験値アップの時に出てきやがって。やっぱり魔王は魔族だったのね)
魔王については、その容姿などについて一切の記録はない。
魔王自身も世界に向けて、ここ数十年沈黙を貫いており、戦場にも出てきていない。
魔族の住む「忘れ去られた大地」から魔王軍は攻めてきているので、魔王は魔族なのだろうというのが、かなり有力な説であった。
メルスからは基本的に魔族の中から魔王は生まれるので、今回の魔王も魔族だろうと言っていた。
100年以上前に生まれ、50年以上前に世界征服を始めた。
いくつもの国を滅ぼし、あらゆる種族を敵に回し、世界を恐怖に落とし入れてきた。
この数十年にどれだけの人々が、魔王軍の侵攻によって死んだだろう。
死者は数千万人に上り、被害者遺族はその何倍にもなる。
目の前の1体の魔王によって、世界は大きく振り回され、国々は政治から経済のありようまで全て変えさせられた。
「こいつが魔王ね……」
兄のミハイを魔王軍と戦う軍役である「貴族の務め」で亡くしたセシルは、一言呟くと強い視線で魔王を睨みつける。
「魔王がでてきちゃったね」
「うむ。こいつが魔王か。我らは魔王を引きずり出すことに成功したのか。いや、この功績は」
ヘルミオスの言葉にドベルグが答える。
どれだけの思いで戦ってきたのか。
もう50年以上戦っても姿を見ることさえ敵わなかった敵を引きずり出したのは、つい最近成人したばかりのアレンを筆頭とする英雄たちだというのが正直な考えだ。
「なんだ? どうなってんだよ」
イグノマスだけが状況についていけない。
イグノマスは自らの戦闘経験だけが、とんでもない状況であることを感じ取っていた。
魔王と戦ってこなかった魚人のイグノマスも含めて、この場で一歩前に出る者は少なかった。
戦いは魔王の登場で止まってしまった。
魔王が側近として引き連れた5体の配下は、魔神以上であり、恐らく上位魔神だろう。
それぞれが魔王を守るように、その位置取りをする。
バスクやビルディガと同等かそれ以上の存在相手に、うかつな行動は命に係わる。
それ以上に随分弱ってしまった邪神のしっぽを見つめる、魔王の存在感に圧倒されてしまった。
(さて、何しに来たんだ。邪神がやられそうだから助けにって感じか?)
アレンには、この魔王軍のラスボスともいえる相手がやってきたことに対して、すべきことを行うことにする。
「お前が魔王か?」
アレンが口を開いた。
何をしてくるのか分からない魔王相手にも、召喚獣による手札の多さで情報を聞き出すのは自分の役目であると判断した。
ヘルミオスはアレンの行動を止めはしなかった。
ドベルグにしても同じで、無言でアレンの行動の意味を理解した。
中央大陸北部で戦い続けていても、魔王を見ることなんて叶わなかったのではという思いだ。
アレンによって世界の在り様が変わってきている。
魔王軍と戦ってきた先輩たちは魔王に対峙する立場をアレンに譲り経緯を見守ることする。
アレンは知力の全てを総動員して、魔王軍のボスである魔王の理解に努めようとする。
何者で何を考え、何をしに来たのか。
(なんか思った感じと違うか。いや、態度自体は思った感じだ。何だ、何が俺の知る魔王と違うんだ? 絶対に何かが違うぞ)
やってきた魔王は威厳に満ちており、上位魔神たちに畏怖されている。
偉そうな口調も含めてアレンの中で「魔王」とはこうあるべきだと考える。
理想像に近い魔王であるが何かに違和感がある。
魔王なのに前線にやってきたことか。
アレンは会話の中から、違和感の正体を知ろうとする。
「ん? ああ、お前がアレンか。聞いていた通りだな。余の部下たちはお前に邪魔をされてきたのか」
魔王は邪神から、声をかけてきたアレンにゆっくり視線を変えた。
ローゼンヘイムの侵攻、邪神教の折に邪魔をされ続けている存在だ。
(ふむふむ。怒り狂っている感じはしないか)
アレンに対する怒りはなく、どこか余裕のある態度だ。
「そうだ。俺がアレンだ。それでお前は何だ?」
何者だとアレンは尋ねる。
この問いには名を名乗れが含まれている。
魔王は「魔王」と呼ばれ、名をずっと名乗っていなかった。
理由があって名乗っていなかったのか、そもそも理由はないのか。
「そうだな。この場を荒らした者の名を告げる必要があるな」
『魔王様?』
今度は呟いたキュベルをゆっくりと見た後、視線をアレンに戻した。
「余は魔王軍を率い、世界を終わらせる者。魔王ゼルディアスだ。覚えておくがよい。始まりの召喚士よ」
魔王は魔王としか言ってこなかった。
自らの名前を名乗り、そして、アレンの肩書も知っているようだ。
(って、ことは理由があって名乗らなかったのか。名乗ると都合が悪くなるからか? それにしてもゼルディアスね、ふむふむ)
名乗ったゼルディアスに思考を移しているところ、魔王はゆっくりと邪神の元に歩みを進めようとする。
アレンとの話はどうも終わりのようだ。
「どこに行くんだ? 邪神はもう虫の息だし、今度は魔王ゼルディアスが俺らと戦ってくれるのか?」
「余の用事はすぐに済む。今日は余の顔を覚えて帰るがよい。遠路はるばる海底までご苦労であったな」
「なんだ、戦っていかないのか」
「そうだ。ではな、若い英雄たちよ」
どうやら魔王は戦うつもりはないようだ。
別の用事があるから、邪神との戦いに割って入ってきた。
魔王ゼルディアスはアレンたちに完全に背を向け、ゆっくりと歩みを進めだした。
「は? 何をするか知らんが、黙って見ているわけないだろう」
魔王の目的などろくでもないことに決まっている。
戦いは続行することにする。
『出番なのら! フリーズキャノン!!』
マクリスは大きな口を開け、魔王めがけて氷の柱を放とうとする。
「ガンデューラ、余を守るのだ」
アレンたちを向くことなく、背を見せた魔王は一言呟くように六大魔天の1体に声をかける。
『は! もちろんでございます! フルカウンター!!』
アダマンタイトと思われる漆黒の鉱物でできた体に、盾を持った上位魔神が1体、すごい勢いで氷の柱を放ったマクリスと魔王の間に入った。
そして、光沢のある盾を両手で前に抱え、マクリスの特技「フリーズキャノン」を防ごうとする。
キイイイイイイン!!
「え? って、きゃあ!! ちょ、ちょっと!!」
アレンの後方にいたセシルが悲鳴を上げた。
『こ、これは!! なんて力だ。魔王様お急ぎを。何発も耐えられそうにありせん』
ガンデューラは驚愕しながら、あまりの力で術者めがけて打ち返せなかったと言う。
はじき返そうとしたが、分散してフリーズキャノンの力は花柱の上に飛び散ってしまったようだ。
「すぐに済む。今日は余の悲願が叶う日だ。命を張って頑張ってくれ。オルドーよ。指揮を頼む」
六大魔天の長にして、魔王軍総司令オルドーにこの場の指揮を任せるようだ。
『魔王様はそうおっしゃっておられる!! 我らは命を懸けて魔王様の悲願の達成の糧となろうぞ!!』
オルドーの言葉に六大魔天全員が動き始めた。
『ビルディガ、あなたも汚名を晴らすときよ。いつまでそこに佇むつもり?』
『すまない。シーラ』
六大魔天の一角であるシーラの全身が魔力に覆われる。
この広い花柱の上全域を満たすほどの魔法陣が生まれ、回復魔法を発動した。
圧倒的な知力と思われるシーラによって、ビルディガもバスクも全快していく。
「敵は多い、陣形を作りつつ戦うぞ!!」
アレンが戦いの号令を出した。
メルスやマクリスが上位魔神を超える力を持っていたとしても、優勢とは言えない状況になった。
1体1体なら優位かもしれないが、六大魔天はその力を把握し2体がかりでメルスと戦う。
六大魔天とアレンたちとの戦いを後目に、魔王は邪神の元にやってきた。
『アアァ……』
アレンたちの戦いで弱った自らを見る魔王を見るなり、邪神は小さく叫んだ。
何発も「フリーズキャノン」を食らった邪神は、シーラから回復魔法を貰ったが、戦う気力はあまり残っていなかった。
「新たな英雄に気力を削がれたか。余も手こずるはずだな」
まるで邪神に語り掛けるように魔王は呟いた。
『何卒お早めに!!』
オルドーの悲鳴を上げるような言葉が魔王の背中に響く。
アレンは魔王を狙いつつ、守ろうとする上位魔神たちの体力を削る作戦に出たようだ。
お陰でアレンたちの攻撃はガンガン当たる。
「そうだな。これが余の悲願だ」
『アア?』
なんだと邪神が首を傾げる中、魔王は腹を突き出すように軽くのけ反った。
鍛え抜かれ、腹筋の分かれた筋だと思っていた場所がさらにみるみる開いていく。
『グルアアアアア!!』
魔王の腹にはもう1つ巨大な口が存在していた。
無数のギザギザの歯と、口の中は内臓につながっているようだ。
「暴食」
『アアアアアアア!?』
魔王がつぶやくと、邪神は水流ごとすごい勢いで魔王の腹に吸い込まれ始める。
全長が数百メートルに達した邪神の体は、必死に花柱に爪を立てるなど飲まれることを防ごうとするが、体が姿を消すように瞬く間に魔王の腹の中に収まってしまった。
「ちょ、ちょっと!! 邪神を飲んでしまったわよ!!」
「ああ、『暴食』って、言ったな。もしかして」
アレンの中に、敵を食べる能力を前世で記憶している。
その時の記憶が正しいなら、あまり良い結果を生まないことも知っている。
戦いは魔王が邪神のしっぽを食べるという形でいったん止まってしまった。
六大魔天たちもアレンの仲間たちの視線も魔王に集まっていく。
魔王は自らの数十倍の大きさの邪神を食らい、力なくうつむき加減に立っている。
髪の色が真っ赤であったのだが、どんどん灰色の部分が出てくる。
「超えた。余は分かるぞ! 力の限界を超えたのだ!! これで余は超越者になったのか! 大魔王になったのか!!」
全身を震わせ、魔王は歓喜の声を上げる。
「超越者?」
アレンはまた新たに聞きなれない言葉を耳にする。
六大魔天も見守る中、魔王の体に更なる動きが現れる。
ボコボコ
魔王の体が、外套を着ていても分かるほど、いたるところで膨張し始めた。
何かが魔王の体の中で暴れているようだ。
「がは!? なんだこれは? 魔神を食らった以上の反動だ。何が起きている」
体を突き破らんとするほどの膨張と収縮が全身で始まった。
『や、やはり聖獣石がないと、邪神様の力をうまく吸収できなかったのでは?』
聖獣石なく邪神を食べてしまった反動であると言う。
「これが聖獣石のない反動か」
『ここは早めの撤退を』
「ふん、そうだな」
魔王は「お前のせいで聖獣石を取り込めなかったんだろ」という言葉を飲み込んだ。
アレンたちがいるこの状況で騒いでいてもしょうがないと魔王は判断したようだ。
『じゃあね、今回も随分手を焼かせてくれたね。バイバイ。転移!!』
キュベルはアレンに向かって一言呟くと、魔王を抱きかかえるように転移の言葉を口にする。
六大魔天たちやバスクも現れた魔法陣に中に溶けるように消えてしまった。
「いなくなっちゃったわね」
「ああ、そうだな」
戦う相手がいなくなってアレンたちもヘルミオスたちも既に消えてしまった魔法陣を見つめる。
戦う相手がいなくなったというセシルの言葉に、アレンは一言呟いたのであった。
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