第70話 マーダーガルシュ②

 抱き合いながら震える親子を見て、マーダーガルシュが不気味ににやにやする。人面犬のようなその顔は、表情がよく見て取れる。馬を食らって真っ赤になった口からは、牙を伝い血がポタポタと滴り落ちている。


 あまりの恐怖で叫び声も上げられない馬車にいる親子。


 助ける騎士はいなかった。冒険者も固唾を飲んで見つめている。


 そんな中、アレンが収納から鉄球を取り出した。もしかしたら誰かに収納のスキルを見られたかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。


 より恐怖を与えるためにか、マーダーガルシュの人間の腕のような不気味な前足がゆっくり親子に迫る。


(死にさらせ!!)


 アレンが握りしめた鉄球をマーダーガルシュに全力で投げた。一直線に伸びるその鉄球は吸い込まれるようにマーダーガルシュの片目にぶつかる。


 眼球に陥没する鉄球。マーダーガルシュの片目を潰したようだ。


『アゥアアアアアアアァアア!!!』


 不気味に鳴くマーダーガルシュ。


「おい! こっちだ!! こっちにこい、ぶっ殺してやる!!!」


 さらに2球目を全力で投げる。しかし、既に注意がアレンに向いているため、マーダーガルシュは容易に鉄球を前足ではじく。


「ぼ、坊主何してんだ!!!」

「すぐに逃げろ!!!」


 後ろのほうから騎士や冒険者たちの声が聞こえる。アレンはそんな声にも忠告にも一切の反応を示さない。


 全力でマーダーガルシュの注意を引く。アレンは注意を引きながら、馬車を中心に弧を描くように立ち位置を変え、街とは反対側に移動していく。白竜山脈を背にしながら、さらに挑発を続ける。


「どうした! 来ないのか!! 犬っころ!!!」


 さらに鉄球を投げる。しかし、マーダーガルシュは簡単に鉄球をはじく。片目を潰したが、これ以上、ダメージを与えることは難しいようだ。


 さらに鉄球をというところで、今まで顔だけをアレンに向けていたマーダーガルシュが、ゆっくり体を起こした。


『アウアアアアアア!!!』


 一声遠吠えを上げたと思ったら、ゆっくり後ろ脚だけで立ち上がったのだ。2足で立ち上がったマーダーガルシュの高さは6~7メートルに達する。片手に握った食べかけの馬を投げ捨てる。


 ズウウウウウウウン!!!


 そして、前足も地面に着き、体の全てをアレンに向けた。


「こい!!!」


 アレンの一声とともに、マーダーガルシュは歩みを進め、駆け足となりどんどん速さを上げていく。


(よし、魔獣のターゲットをこっちに向けたぞ)


「マーダーガルシュを白竜山脈の方角に連れていきます!!」


 騎士と冒険者たちに大声で叫ぶと、アレンは全力で走りだす。魔導書を空に出し、魔力の回復を確認する。魔力は回復しておらず、まだ魔力0だ。


(まだか! もう魔力が回復していいはずなんだが)


 そう言いながらも全力で疾走する。マーダーガルシュが後ろにピッタリ張り付くように迫ってくる。


「あぶっ!」


 マーダーガルシュのほうが速いようだ。素早さ600ほどあるアレンに追いつき、アレンの体に前足が迫った。マーダーガルシュの前足を寸前で躱す。しかし、体勢を崩したのか、地面に転げる。


 慌てて体勢を戻すアレン。一瞬視界から外してしまったマーダーガルシュを、急いで視界に戻す。


 直ぐに追撃が来るかと思ったが、マーダーガルシュはニヤニヤして攻撃をしてこない。どうやら転げてしまったアレンを見て楽しんでいるようだ。片目を潰されたことに怒りもなくニヤケるのが一層不気味に感じる。


(ふむ、たまに敵が『にやにやしている』とかいって何もしてこないターンがあったがこういうことだったのか)


 アレンが前世で健一だったころ、戦闘はターン制で敵と交互に攻撃するゲームをしていた時に、今と同じような状況を見たことがある。敵の攻撃のターンの時に、敵が攻撃をせず『にやにやしている』など、何もしてこないのだ。その時は、敵が攻撃してこなかったのでラッキー、くらいにしか思っていなかった。


 現実に魔獣から同じことをされて、なぜそんな状況があったのかよく理解できた。マーダーガルシュはアレンを使って遊んでいるようだ。


(まあ、今もラッキーと思っているけどな! よし魔力が回復したぞ!!)


 アレンは魔導書のステータスの画面を確認する。ようやくアレンの魔力が全快した。


(素早さが足りんな。鳥で上げるか? いやここは守備力も欲しいぞ、虫にするか)


召喚獣から貰える加護

鳥系統:素早さと知力がアップ

虫系統:守備力と素早さアップ


 アレンはゆっくり後退りをする。体は震え、顔は恐怖で歪んでいる。油断を誘うため、必死に絶望を演出する。


『アウアウアアア!!』


 そのアレンの様子がどうやらマーダーガルシュにとって、とても面白かったようだ。人面犬のような顔が歓喜で歪む。


(まじで性悪だな。マッシュにはこいつのことは黙っているか。父さん名前のセンス最悪だぜ)


 マッシュの名前の由来になった魔獣は、とても誰かの由来にしていい魔獣ではなかった。もし、テレシアにもう1人子供が出来たら、テレシアが名前を付けられる女の子が生まれてほしいと思う。


 アレンは怯えるふりをしながら、魔導書を使い召喚獣のカードの構成を一気に変える。


 魔石を収納に納めておけば、アレンがいちいち手を使わなくても、意識をするだけで、生成も合成もしてくれる。


 最大魔力を上げるために草Eのカードを20枚持っていたが、全て虫Eの召喚獣に変更する。魔導書がすごい勢いでパラパラと動き、削除と生成を繰り返す。攻撃力を上げるために使ってきた獣Eや獣Fの召喚獣も全て虫Eの召喚獣に変更する。


 変更して構成が変わったカードのそれぞれの枚数

・虫Eのカード36枚

・鳥Eのカード4枚


 マーダーガルシュが速いとみて、カードを全て素早さが上がるものに変更した。また、マーダーガルシュの攻撃力も不明だ。捕まってしまうわけにはいかない。


 アレンが後ずさりをする、ゆっくりうしろ向きに後退する。マーダーガルシュがすぐに迫らないと判断し、そして、油断させたところで一気にまた逃げ始める。


 後ろから地響きが聞こえる。ものすごい音がする。マーダーガルシュの走る音から必死にアレンとの距離を測る。


(もうちょいだ、もうちょい街から離さないと)


 街からマーダーガルシュを引き離す。それは当然するのだが、できれば倒してしまいたい。まだここはさっきの馬車から数百メートルしか離れていない。すごく小さくなったが、まだ騎士や冒険者たちが見える。もっと離れた位置で召喚獣を召喚したい。


 街から1キロメートル以上離れ、木がパラパラと生えたあたりまで必死の鬼ごっこが続いていく。さらに数百メートル走り完全に街からアレンとマーダーガルシュの姿は消えた。


(よし、アゲハたち眠らせろ)


 アレンの後方に虫Eの召喚獣を3体召喚する。マーダーガルシュはBランクの魔獣のため、虫Eの特技鱗粉の効果は3体いないと効かない。


 虫Eの召喚獣の黄色い鱗粉がマーダーガルシュの顔面に降り注ぐ。


 マーダーガルシュの歩みが止まったため、効果を確認するためアレンも歩みを止め振り向く。


『アウアアアアア!!!』


 しかし、マーダーガルシュが一声鳴いて、人間の腕のような前足で3体の虫Eの召喚獣を薙ぎ払う。虫Eの召喚獣が3体とも一気に光る泡へと消える。


(え! 効果なかったぞ! 耐性があるのか? たまたま効かなかったのか?)


 虫系統の召喚獣の特技であるデバフ効果は100%の確率で効果があるわけではない。たまたま、効かなかったのか、全く効かないのか1回では判別できない。


(やばい、また追ってきた)


 虫Eの召喚獣が消え、必死の鬼ごっこが再開される。消えた分の召喚獣を再度生成し、アレンは必死に逃げていく。



 それから3時間が経過し、アレンは木の陰に隠れていた。


(くそ、やっと撒いたか。それにしても全く鱗粉が効かない、というかデバフは1つも効かないな)


 アレンは収納からマントを取り出し従僕の服の上から羽織る。


 虫GFEの召喚獣の特技を全て何度も試してみたが、一切効かなかった。デバフが効かなかったため、倒すのは諦め逃げることにした。デバフ無しではとても倒せそうにない。


(さて、こんなもんか。街に戻るか。くそ! 魔石をかなり使ってしまったな)


 魔石がずいぶん減ったなと毒づいていた時だ。


 メキメキッ


 突如、アレンが背中を預けていた高さ5メートルはある木が揺れた。そして、強い獣臭のような悪臭が鼻につく。


「ふぁ!?」


 アレンが驚いて後ろを見る。そこにいたのは、ニヤニヤとしたマーダーガルシュであった。人間のような手で雑草を抜くかのように、簡単に木を引っこ抜いた。


 慌てて逃げだすアレンとそれをにやにやしながら追いかけるマーダーガルシュ。必死の鬼ごっこが再開される。



 それから3日が経過した。


 街の北門に一人、真っ黒な服を着て、マントを羽織った少年が現れる。


(やった、やっと戻ってこられたぞ)


「や! お坊ちゃん」


「こんに……」


 アレンが3日ぶりに街に帰ってきた。黒を基調とした服は3日間の必死の鬼ごっこで泥だらけだ。


 アレンはいつもの門番に挨拶を最後までできず、意識を手放し地面に倒れた。


「え? ぼ、坊ちゃん大丈夫かい!!」


 声をかけるや否や意識を手放したアレンに門番が驚いて駆け寄る。門番が確認するが、アレンは生きているようだ。目をつぶり、スースーと言っている。アレンは糸が切れたかのように眠りに就いた。


 3日ぶりにアレンは眠りに就くことができた。これがアレンとマーダーガルシュとの最初の邂逅であった。

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