第17話 佐平次の素顔
「全く、頑固で我儘な連中だ」
近江屋敷地内の奥にある小さな離れ、その個室は二代目佐平次のみが使用する書斎である。
この夜その場所には、佐平次が信を置く対談方が数名、集められていた。
昼間の村での出来事を聞いた佐平次は、外では決して見せない顔で苦言を零した。
「あれだけの敷地に十分な間取りの一軒家と田畑。それを村人の数だけ、いや余るほどに整備したというのに。たかが社如きが気に入らないと、ごねるのかい」
深い溜息をもらして眉間に深い皺を刻むその顔は、困ったというより迷惑極まりないといった表情だ。
「ここの村人は長い間、隣の里山と共に生きてきた。あの山に住む神にこんな粗末な扱いは納得が出来ない、と長百姓の一人が息巻いておりました」
対談方の一人が言う長百姓とは勿論、甚八のことである。
佐平次は先程よりも深い溜息を吐き、額を抑えた。
「その長百姓、甚八とかいう例の男だろう。他の村人は有難がるばかりで文句の一つも言わないというのに、困ったものだよ」
対談方の男たちは不意に顔を曇らせた。
声高に反対を口にする者はない。だが、甚八の意見を否定する村人は、あの場にいなかった。むしろ同じ思いを隠しているように見えたのだ。
そんなことは露と知らない佐平次は、苦虫を噛み潰したような顔で続ける。
「与右衛門さんに村の開拓の話を持ち掛けた時から、正直邪魔だと思っていたんだよ。あれと、もう一人」
太い指の隙間から、血走った目がぎらりと鈍い光を帯びる。
目の前の男たちはごくりと唾を飲んで背筋を伸ばした。
「伊作って男の消息は、分かっているのかい?」
男たちは顔を見合わせて佐平次に向かい、低く頭を下げた。
「方々探し回っているのですが、一向に」
小刻みに震える肩を抑えながら、一人の男がおずおずと口を開く。
佐平次は開いた目を更にかっと見開いた。
顔を覆っていた手でばん、と膝を叩いた。
「いいかい、あの伊作が誰かに何かを口走ったりしたら、ここまでの私の苦労は総てが水の泡だ。里山に火を投げ込んだお前たちも只では済まないんだよ、わかっているんだろうね」
江戸において火付けは如何な理由があろうと一度で死罪。
それは江戸市中から離れた芽吹村にも適応する。あの村が御領であるからだ。
勿論、隣接する里山も例外ではない。
対談方の大男たちは揃って、ぶるりと身震いした。
「お前たちが並大抵の修羅場を潜ってきた輩でないことは百も承知だけれどね、百姓一人探せないのでは話にならない」
佐平次のところに集う対談方の中でも、今ここに集められている男たちは先代から遣える奉公人ではない。
二代目佐平次が知り合いの香具師の所から連れてきた、選りすぐりである。
その男たちが佐平次の言葉と目の迫力だけで、大きな体を震わせる。
(あの佐平次とは、どういう男なのだろう)
天井裏から彼らのやり取りを覗き見ていた五浦は、不思議に思った。
紫苑の調べでは、二代目佐平次は口入屋の紹介で近江屋の丁稚になり先代の信頼を得て出世し手代になった。
今際の際で先代から佐平次の名を譲られたという。しかし、近江屋以前の経歴はまるでわかっていない。
対談方の一人が、顔を上げた。
「俺に心当たりがあります。ただ少し、手の出しずらい所です。旦那様のお力をお借りできれば、何とかなりましょうが」
男の方に目を向けた五浦が、ふいと臭いを嗅ぎ分けた。
(あれが、妖鬼か)
人の形をしているが、明らかに自分たちと同じ気を纏っている。
しかもそれは、最近身近になった新しい仲間に、とても近い。
(紫苑の言っていた、鳥天狗)
訪れた芽吹村で、六が火を付けたと指さした男は妖鬼。
しかも鳥天狗だと、紫苑は断言していた。
五浦は他数名の対談方の気を、一人ずつ注意深く探った。
(一人、二人……)
今、言葉を発した男の他にあと二つ、妖の気が混じっている。
その気は、やはり睦樹に近い匂いがしていた。
睦樹の顔を思い出し、五浦が悲しげに目を細める。
佐平次は、にやりと表情を変えた。
「手の出しずらい場所? 私にとって、そんな場所がこの江戸界隈にあると思うのかい? 伊作を葬れるのならば、いくらでも手を貸すに決まっているよ、巌」
にやり、と口端を上げる佐平次に、巌と呼ばれた男が頭を下げる。
佐平次の顔は、慈善の佐平次と世間で詠われる者とは、まるで別人であった。
「早く蔵を建ててしまわなければ、無能な幕閣にあの金山の存在を見抜かれてしまう。社など適当に豪華に繕って村人の気を引いておきなさい。その隙に、さっさと蔵を建てて金山を隠すんだ、良いね」
対談方全員が平伏する。
佐平次は巌と、のこり二人の鳥天狗に目を向けた。
「伊作に甚八、両方だ。あの小五月蠅い百姓にも、ついでに消えてもらおう。危うい火種は早く消すに限るからね」
巌は他の男たちと同じように佐平次に向かい平伏した。
佐平次は満足そうに、いつもの好々した顔に戻ると、
「よろしく頼むよ、皆。頼りにしているからね」
まるで善行を手掛けるような優しい口振りで、にこりと微笑んだ。
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