第9話 一先ずの解決

 あやし亭に戻ると、参太と五浦が茶の支度をして待っていてくれた。


「そろそろ戻る頃かと思いまして。おや、紫苑も一緒でしたか」


 紫苑の姿を見つけると、参太は茶を注ぐ手を留めた。


「たまたま会ったから、ついでにねぇ」


 と言い、手にしていた包みを渡すと、参太がほっこりと微笑んだ。


「扇屋の羊羹ですか。これは偶然ですね、さっき志念さんが、その扇屋で大福餅を買ってきてくれたんですよ」


 卓にもたれ掛かり、茶が出てくるのを待っている志念が嬉しそうに頷く。


「羊羹も迷ぅたんよぉ。どっちも食べたかったから、紫苑のお陰で幸せが倍やねぇ」


 うきうき待っている志念に五浦が茶を差し出す。


「扇屋って?」


 睦樹の問いに、参太が切り分けた羊羹を手渡しながら答える。


「日本橋にある菓子司です。将軍様に献上する菓子も作っている由緒正しいお菓子屋さんで、あやし亭も贔屓にしているのですよ。皆、ここの菓子が好きなので」


 大福餅と羊羹の乗った皿を卓に配して、五浦が人数分の茶を入れ終わった頃、零が怠そうに姿を現した。


「おぉ、全員揃うなんざぁ久しいじゃねぇか」


 どかっと畳に腰を下ろして茶を啜る。

 ここはあやし亭の店ではなく、皆の生活空間『隠れ家』にある大広間だ。仕事の話を進める時は、この場所を使うことが多いらしい。


「揃ったというか、零が揃えたんでしょ」


 双実の、じとっとした視線に、零がふっと笑う。


「必要な時にゃ自然と集うってぇのは、良いことだよなぁ」


 湯呑を置いて、零が睦樹をちらりと眺めた。


「で? その童はどうした?」


 睦樹の隣にちょこんと座っている六に目を向けると、六は睦樹の腕をきゅっと掴んで背中に隠れた。


「火事跡で拾ったんだ。迷子みたい。でも、睦樹が親を探すって! 六っていうんだよ」


 ね?、と六に問いかけながら、さらりと一葉が説明する。

 零は「ほぅ」と頷いた。


「なら、睦樹に任せるぜ。んじゃ件の……」


 話が変わりそうになり、睦樹は慌てて零に迫る。


「それだけなのか?」


 零は当然のような顔をした。


「他に何かあんのか? あぁ、親が見つかるまで、ここでの面倒はお前ぇが見てやれよ」

「それはわかっているけど……」


 釈然としない睦樹を余所に、一葉が六に大福を勧める。


「家族が見つかるまで、ここに居ていいって。ほら、大福お食べよ」


 六は差し出された大福を手に取り、ぱくりと頬張る。

 あっという間に食べてしまった。


(そっか。六は何日も、まともに食べていないんだ)


 かなり腹が減っているに違いない。

 それにあの沢で一人ぼっちで水と草だけ食べて過ごした数日は、幼子には相当に心細かったに違いなかった。


「これも食べるか?」


 自分の分の羊羹と大福を渡すと、六は頷いて黙々と食べ始めた。


「お茶も飲まないと、喉に詰まっちゃうよ」


 一葉に渡された茶を飲みながら六はがつがつと菓子を貪る。

 一葉と睦樹が六に構っている内に、話は例の火事の件に変わっていた。


「あれは付火ね。火種の痕跡が二ヵ所あった。人が森に火を付けて、飛び火して村も火事になったんだと思う。焼け方を見たら森の方が酷かったわ」

「変なまじないをした跡や札の燃え滓もあったから、森から鳥天狗を追い出そうとしたんじゃないかな」


 双実と一葉の証言に、紫苑が補足をする。


「やり方が素人だったから、何かで聞きかじったことをとりあえずやってみた、といった具合ねぇ。如何にも人臭い方法だけれど、たまたま効果が出ちゃったんでしょうねぇ。人の法じゃ火付けは死罪だっていうのに、よくやったものねぇ」


 睦樹が下唇をぐっと噛んで、呟く。


「僕が会った、あの人間たちが、火を付けたのかな……」


 その声に、零がゆったり振り返る。


「睦樹、何か思い出したのかぇ?」


 睦樹は、一葉と双実に話したことを纏めて、もう一度説明した。

 迷い子の六を守る為に羽で神風を起こしたこと、人の前に出たら暴行を受けたこと、睦樹の一枚の羽根で沢の一部と六を守れたこと。

 焼け跡で話したあの時より、記憶は鮮明に戻っていた。


「……そうかぁ」


 零は、そっと睦樹の頭を撫でた。


「んで、紫苑。そっちの調べは?」


 頬杖をついたまま、紫苑は袂から紙を取り出した。


「あの村の住人は江戸の町やら郊外やら、友人知人を頼って身を寄せているようねぇ。森の火事に気が付いて逃げた人が多かったから、死人は出なかったようよぉ」

「そりゃ重畳。森の住人の方は?」


 ぴくりと身を竦ませる睦樹をちらりとしながら、紫苑は首を横に振った。


「あそこで生きていた者たちは、ほとんどが死んでしまったわねぇ。鳥天狗の消息は結局わからず仕舞いよ」


 睦樹の目の前に、黒い闇が落ちた。

 鳥天狗が住んでいた里山には、他にも沢山の動植物が共に暮らしていた。彼らは人と違い、逃げることが出来なかったのだ。肌が焼ける熱さや呼吸が出来ないほどの煙の臭いを思い出すと体が震える。

 自然の火事ならまだしも、人の付火だとわかった今は、憎悪の念が心の底から沸々と湧いてくる。


(もし鳥天狗の仲間も死んでいたら……)


 人へ向かうこの憎悪を、止めることはできない。

 睦樹の頭の上に、大きな手がぽん、と乗った。


「鳥天狗の死体は一人も出ちゃぁいねぇよ」


 はっと目を見開いて、睦樹が零を見上げる。


「紫苑、他にゃ、もうねぇか?」


 零は睦樹を振り向くことなく話を続ける。

 零の手から流れ込んでくる温かさが、睦樹を少しだけ冷静に引き戻した。

 そんな二人を気にしながらも、紫苑は続ける。


「気になることが一つ、あったわねぇ。火事の焼け跡を、森も含めて整備しようとしている御人がいてねぇ。あのままじゃ可哀相だから、綺麗に更地にして村を作りたいのですって」

「そりゃまたぁ、随分と気前の良い話じゃぁなぁ」


 感心したように言う志念の笑みには揶揄が孕んで見える。

 笑んだ瞳で流し見て、紫苑は更に続けた。


「蔵前の旦那のようだけど、世間じゃぁ随分と評判の良い人間みたいよぉ。近江屋佐平次って札差で、慈善事業は今までにもしていたらしいわぁ。周囲の人には、景舎がまた善行に手を付けたって噂されていたわねぇ」


 紫苑の言葉がちんぷんかんぷんで、睦樹は目を白黒させる。


「江戸の町には札差という仕事がありましてね、そういう人たちを蔵前の旦那と呼ぶのです。景舎とは近江屋佐平治の屋号ですね」


 そう言われても、まだよくわからない。

 睦樹を見兼ねて、参太が解説してくれた。


 札差とは、旗本や御家人という武士の録である米を本人の代わりに受け取り、運搬、備蓄、売却し、そこに手数料を課す仲介業者である。浅草の蔵前に店を出すことから、札差を『蔵前の旦那』と通称する。また蔵米を担保に貸金業を営んでおり、むしろ札差の利潤は高利貸しであると言って良い。

 その為、こと田沼政権下においては通人と言われる洒落者に名を連ねるのはほとんどが札差であった。

 つまり札差とは金持ちだったわけである。


 参太はわかりやすく簡単に説明してくれた。

 だが睦樹にとっては、まず貨幣の循環がよくわからない。

 とりあえず、裕福な人間であることは理解できた。


「もう動き出しているみたいよぉ。さっき双実ちゃんたちが森と村の焼け跡を見に行っていたでしょ? あの時、人間が数人、焼け跡を見回っていたの。あたしはそれを確認しに、あそこに行ったわけなのよぉ」


 紫苑の視線を、双実は睨んで跳ね返した。


「ちゃん付けで呼ばないで」


 二人のやり取りの隣で、志念が羊羹をつつきながら、くくっと笑う。


「身銭を切って火事で焼失した村を再建しましょうぞ。ついでに焼けちゃった森も綺麗にして広げちゃったら、たぁくさん人が住めるようになるじゃろなぁ」


 皮肉めいた言い回しに、五浦が悲しそうな目で言った。


「人にとっては、良いことだ。けど、森はもう、元に戻らない」


 何百年もかけて育まれたあの里山をもう一度再生するには、同じだけ、いやそれ以上の月日を要する。もう同じ森を作ることは叶わないのだ。

 押し黙ったまま俯いて何も言わない睦樹を置き去りにして、零がパン、と手を叩く。


「火事の焼け跡はどうにかなりそうだし、この件はここまで。親父様からの依頼は仕舞いだ」

「え……?」


 睦樹が驚いて顔を上げた。


「終わり? これで? まだ何も解決してないじゃないか!」


 拳を握っていきり立つ睦樹に、零が平然と答える。


「誰が解決するなんて言ったよ」

「は?」


 わけがわからないといった顔の睦樹に、零ははっきりと言った。


「俺たちゃ、依頼を受けてそれをこなす。親父様からの依頼は火事の詳細を調べるまでだ。これ以上は、あやし亭の仕事じゃぁねぇ。ここで仕舞いだ」


 すっぱり言い切られ、睦樹の拳が震える。


「なんだよ、それ。それじゃ、森を焼かれた僕たちは……」


 零は面倒そうに溜息を吐くと、困ったように頭を掻いた。


「あやし亭は慈善家でも仕返し屋でもねぇからなぁ。まぁ、お前ぇがどうしても人に復讐したいってぇんならぁ、俺ぁ止めねぇが」

「!」


 零に迫ろうとする睦樹の腕を、くいと引いたのは六だった。


(六は、村を焼かれた被害者だ。でも……)


 六の村は再建してもらえる。

 しかし、自分の故郷の里はもう戻らない。もし森の跡地まで拡大して村が作られてしまえば、このまま無くなってしまう。仮に里山部分が残されても、あれだけの規模の山が出来るまでには、途方もない時が掛かる。一朝一夕で元に戻るものではない。


(わかってる、わかっているけど……)


 口惜しさと落胆が押し寄せて、睦樹は立ち上がりかけた膝をぱたりと折った。


「睦樹君、少し心を落ち着かせましょう。六ちゃんはもう何日も湯浴みしていないんだろうし、一緒にお風呂でも如何ですか?」


 参太と五浦が二人を半ば強引に連れ出す。

 ぎりっと奥歯を噛んで部屋を出て行く睦樹の横顔を眺めて、零は溜息を吐いた。


「零ってば、意地悪ねぇ」


 仕方ないという体で困ったように笑う紫苑には答えず、零は茶を啜った。


「きっとすぐに、次の依頼が来るよね」


 しれっと、そんなことを言う一葉に、双実が頷いた。


「まだ報告していないことが、あるんじゃないの? 紫苑」


 湯呑を傾けながら双実が、じろりと視線を寄越す。紫苑は小首を傾げて見せた。


「だってこれ以上話したら、睦樹ちゃんが疑心暗鬼になって、人を嫌いになっちゃうかもしれないでしょう?」


 納得したように一葉が頷く。


「睦樹は純粋だもんね」

「阿呆っていうのよ、ああいうのは」


 双実の嫌味を流して、紫苑は件の話の続きを始めた。


「札差の近江屋佐平次、確かに慈善的な活動が多くて、御上にも可愛がられているようだけど、中身が別人なのよねぇ」

「中身?」


 一葉が不思議そうに繰り返す。志念が、にやりとした。


「中身が喰われて実は人の皮を被った妖鬼やったら、面白いのぅ。落とし噺のようじゃの」

「それなら面白いけど、実際はもう少し詰まらないかしらねぇ。今の佐平次は二代目なんですって。先代の佐平次が死んで、息子は外に奉公に行っていていなかったから、中継ぎに名前と店を丸ごと継いだ。そもそも近江屋の手代だったらしいけれど、その前がわからない。調べても出てこないのよねぇ」


 ほうほう、と聞いていた志念が興味ありげに糸目を、ぴくりと釣り上げた。


「不思議なのは、ここからよぉ。息子は奉公先から帰ってきているのに、名前も店も戻さない。しかもそれを先代佐平次の息子も納得しているのよ。彼には商人の手腕があるからいいって言っているらしいわぁ。それどころか、実の父親みたいに慕っているんですって」

「なにそれ、とんだ馬鹿息子ね」

「お人好し、って言ってあげてね、双実ちゃん」


 双実の言葉を訂正し、「ちゃん付けやめて!」という言葉に被せて、紫苑が話を戻す。


「確かに先代佐平次は慈善事業に身銭を切っていたらしいけれど、二代目佐平次はちょっと怪しくってねぇ。同じように慈善活動しているけれど、彼の代になってから資金繰りが、やけによくなって通人に名を連ねている。方々聞いて回ってみたのだけれど、みぃんな、あの方は素晴らしいとか偉大だとしか言わないのよぉ。それに加えて、彼が仕切るようになってから対談方の数が倍以上に増えたって辺りも、気になるわねぇ」


 対談方とは、札差をゆすりに来た乱暴者を追い払う手代で、用心棒の役割を担うことがある。

 金貸しで出し渋る札差に蔵宿師というゆすり専門家を差し向ける武士が時折居るので、それへの対応策として雇うものだ。金貸しなどという生業には、きな臭い揉め事も多い。それに口論から暴力まで対応するのが対談方である。

 佐平次のところには、良く口が回り腕っぷしが良い、普通とは一線を画した手練れの対談方が揃っているのだという。


「森の視察に来ていたのは、佐平次のところの対談方だったわぁ。まるで見知ったように禿山の方まで歩き回っていたわねぇ」


 志念が、ふぅんと鼻を鳴らす。


「睦樹を、ぼこったんも、森に火ぃ付けたんも、その対談方やった、いうなら噺としては面白いねぇ」

「全然面白くないわよ。それに今の話だけなら、本当に只の慈善家ってことも、あり得るじゃない」


 思ってもいないことを言う双実の隣で一葉が、にこりと笑う。


「早く新しい依頼が入るといいね、零」


 無垢な笑顔に笑みで答えて、零は呟く。


「さて、どっちに転ぶのか。あとは流れに任せるかねぇ」


 零の口からぽそりと言葉が零れる。

 その『流れ』は、意外な形で飛び込んでくるのであった。

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