修理屋ミスタと時を食べる柱時計 後編

 言葉はすぐには吐き出されない。それは整理する為なのか、整理させる為なのかどちらともわからないが、彼は場を整えるところがある。

 意識して作られた数秒の間。彼の瞳がわずかに伏せられ、しかし閉じきる前に陸宮を見る。

「失礼とは承知ですが、実はいくらか御社について調べさせていただきました。わざわざ血縁ではなく、としたのは一雄さんの公平性。血縁だけで淀むのではなく実績を見ようと言う考え方ですね。――同時に、間違っても後継させたくない縁故の人間がいたとも噂されている」

 陸宮はあくまで答えず、しかし否定もしなかった。彼の視線が、扉の先を見るように動く。

「もし遺伝性の病気だったとして、後継者を整える前に病死してしまった場合、双子である雄二さんを社長に据えるのは危ないと言うことが出来ます。発病していないのにどの程度ゴリ押せるかはわかりませんが……強い発言をする人間がいると面倒でしょう。外聞も良くない。余命といってもいつなにがあるかわからない中で、準備に時間がかかりそうだと考えてこのような形を選んだのではないか。私はそう考えています」

 彼の言葉は迷い無く並べられる。しかし、それはあまりに短慮ではないだろうか。仮の後継者を決めるのに、時間がほしかったのか。しかしならば、もしもに備えて仮の代表を作っておくことを決めればまだマシだったのではないだろうか。

 自死、という選択は、そんな簡単に受け入れられるようなものではない。

「角田」

 彼の声に、意識して顎の力を緩める。彼はそれを見て取ったからか、私に向いていた視線を元に戻した。

「一雄さんが【時計屋】を利用したのは、そういった一雄さんに【時計屋】が接触したから、でしかないと思います。言ってしまえば【時計屋】は一雄さんを唆したのだと私は考えています。そして、小村さんも」

「小村も?」

 私の問いかけに彼は頷いた。「噂の元となるのが小村さんですね?」そう続いた言葉に、陸宮は瞼をおろした。そうして静かな呼吸を繰り返すだけの所作に、肯定も否定もない。けれども、再び持ち上がった瞼の下の瞳は、彼から視線を逸らすことはしなかった。

「続きを」

 陸宮の言葉は短い。故に、返答無き肯定を思わせる。

「遠縁の血族であり、会社役員である小村は金の無心をしたこともあったそうですね。会社での立場もかろうじて役員、程度だ。若松家の事情を嗅ぎ回っていた事実もあるらしい。そういう人間にとって、おそらく一雄さんのご病気は都合が良かった。それ故に一雄さんにつけ込む気が出来てしまい、醜悪な殺人犯に手段を渡してしまった。殺されたなんて随分な醜聞ですが、それよりも憂うことを利用したのが【時計屋】、私はそう思っています」

 つらつらと並べられる彼の言葉は穏やかだ。穏やかで、やるせない。他の可能性を考えるには並べられることがあまりに事実のようでありすぎて、また奥歯が軋む。

 死ぬ予定だから殺して良いものではない。そんなこと言ったら全人類いつか死ぬのだ。どんな病でも、どんな怪我でも。生は確かに存在する。それを、他人が勝手に踏みにじってはいけない。なのに若松一雄が【時計屋】を選んだなんて、あまりに虚しい結果ではないだろうか。

「……小村様が【時計屋】に唆された、というのは、どういったことになるのでしょうか。お話から推測すると、小村様には病気である一雄様を殺害する理由はありません。また、【時計屋】にとっても小村様を利用する理由はないのではありませんか? 簾田様の仮定を是とすると、その場所だけ、まるで若松家に都合良い形に思えます」

 静かな声が、形を作った。陸宮の言葉はあくまで確認以上のものを見せず、ただ直立するようにそこにある。彼はその言葉を真正面から受け止め、「確かに」と言った。

「私の説明は足りていない部分がありますね。細かくお話ししましょう。あくまで推測以上になり得ませんが、だからこそ私は雄二さんに――そして陸宮さんに、お二人に【修理屋】として提案したくお時間をいただいたのですから」

 彼はそういうと、おもむろに立ち上がった。その動きは悠然として、当たり前に見えるのに意図までを伝えない。彼は陸宮から視線を外すと、ゆっくりと室内を歩き出した。

「【時計屋】は時を計り売るモノ。そう自称しています。今回【時計屋】として一雄さんに売った物は、きっと死後の時間。その時間を確かにするために、小村さんが動けなくなるような後ろめたいものを作ろうと、【時計屋】は小村さんに接触した。そちらはどういった肩書きかはわかりませんが、小村さんの方は【時計屋】とは知らなくて利用していて――それらの関係はいびつです。そもそも小村さんが動かなければ、一雄さんだってそんな結末を選ばなかったはずなのに。それを選ばせたのは【時計屋】です」

 一つの棚の前で、彼が立ち止まった。彼は右手側の引き出しをそっと撫でるようにすると、陸宮を振り返る。

「小村さんは、親族とはいえそう親しくもないのに我々が示す時計がある場所も、その場所が物置のように見えることも把握していました。念のため伺いますが、小村さんはこの部屋にお入りになったことはありますか?」

「ありません」

 返答に、彼は頷く。想定内というような態度のまま、彼は時計に視線をやった。

「では、小村さんは私たちが入っていくのを見ていたか、もしくは小村さんにとって時計に特別な意味がある故になんらかの形で知るものだったか。簡単に浮かぶ可能性はこの二つでしょうか。――私がもうひとつ思い浮かべる可能性は、ここですが」

 そう言うと、彼は引き出しをこつりと指先でノックした。「失礼しますね」との言葉の後、その引き出しが取り出される。けれども彼の目的は引き出し自体には無いようで、一瞥するに留めると床に置いてしまった。

 なにを、と思い彼の行動を目で追う。彼は片膝をつくと、そのままポケットからペンライトを取り出し、棚の中を覗き込んだ。

 なにかあるというのだろか。彼は棚に手を入れたと、うん、と浅く頷いた。そうして手を棚からひっこめながら立ち上がると、彼はこちらに振り返り、その手を眼前に運ぶ。

 親指と人差し指、中指をぺたぺたとくっつけては離し、すり合わせ、彼は左手に持っていたペンライトにその指を押しつけた。

「おそらく、粘着テープでしょう。雑にもほどがあると言えますが、盗聴器かなにかがあったのではと私は考えます」

「盗聴器」

 陸宮が眉をひそめて復唱した。警戒するような様子に、予想ですがね、と彼はあっさり返す。

「棚の中で聞こえるのか?」

 盗聴器、と言われてもどの程度聞こえるものか私にはわからない。しかし安っぽい棚とは違いしっかりとした木製の棚にしまわれてしまえば、なかなか音を拾いづらいのではないだろうか。

 私の問いは予想できていたのか、彼は至極あっさり頷いた。

「裏に穴が空いてるしいけるんじゃないかな」

「穴」

 彼の言葉に間の抜けた復唱をしてしまう。棚に穴。確かに背面は壁に向かっているからわからなくもないが、この物置に忍び込んで穴を開けるのはさすがに大胆きわまりない。率直に言って、音でバレてもしかたないだろう。

「穴から集音マイクでも出していたのか、それとも穴だけでどうにかなったかは不明だけれど。おそらくこれが、小村に対して【時計屋】が渡したものなんじゃないだろうかと僕は思っている」

「……しかし、それでは順序がおかしくならないか? 病死を望むなら盗聴はいらないだろうし、盗聴をするなら病死以外の形で失脚を望んだことになる」

 私の疑問程度を彼が考慮しないわけないだろう。しかし、今の話では想像することができない。故に率直に尋ねると、彼は「僕が言っているのは可能性の話でしかないけれどね」と前提を加えて言葉を続けた。

「小村さんの目的が金銭だとして、一雄さんの病を知ったときに小村さんがなにもしなかったとは考えにくいと思うんだ。死んでしまってから自分が会社で立場を、ということにしても、結局それってどこまで可能だと思う? ただのゴシップを提供して、自分はなにも得られない可能性が高い。なら、お金を無心する材料にした方が効率がいいよ。そして断られたからこそ病死を待つと小村さんがしたとして、それはいつになるかわからない可能性を待つものだ。それを望んだ可能性は高い」

「【時計屋】が、一雄さんだけでなく小村を唆した故の盗聴ということか?」

 若松一雄と小村の二人の間で、【時計屋】はのらりくらりと自在に動いたということなのだろうか。想像の虚像に眉をひそめると、彼は頷いた。

「盗聴は、小村さんを抑えるための道具だったと思うんだ。小村さんに無心されたことで一雄さんは余命の問題について考えてしまった。そんな一雄さんに死をもって時間を提供すると【時計屋】が言った時、ついでに小村さんを巻き込んでしまえば彼による憂慮も減る、とかしたんじゃないかな。だからきっと、この盗聴器をしかけたのは【時計屋】だよ。

 一雄さんの可能性もあるけれど、小村さんの行動に実際に関わるのは良い策とはいえないから【時計屋】でいいんじゃないかな。どちらにせよ、一雄さんは【時計屋】に協力したことに代わりはないけれど。この穴は家主の間接的な協力があったから出来たんだよ。でそうでもなきゃこんな穴、さすがに大胆がすぎる」

 家に人がいないときに招き入れてしまえば問題ない。そのコントロールをすることくらいは、家主なら簡単だろう。そして家主が許可してしまえば協力者だって難しくないはずだ。そう続ける彼の言葉に、引き出しが抜かれた棚を見据える。

 見据えたところで答えがそこに書かれているわけではない。それでも彼の推測は、過去にあった影を想像させるだけのものがあった。

「粘着テープの粘度がまだそれなりに残っていることから考えると、取り外されたのは最近でしょうね。

 そもそも小村さんは誰のためになにがあるのか知っていた。雄二さんか先生方に聞いたらどうかと言ってのけたことからすると、先生方が入るのを見たと言うよりは先生方と一雄さんの話を聞いていた可能性が高い。なら、外したタイミングはその後。そう考えるとまたひとつ疑問が出来る」

「疑問?」

 陸宮に対する敬語ではない言葉は、彼の思考に近いものだろう。私たちに伝える為でありながらそれ以上に彼の整理を助けるその道具を引き出すように、私は単語を繰り返す。

 彼は頷いて、ゆるく扉を見た。

「小村さんはこの部屋に行っていないと言い切っていました。単純に嘘をついた、と考えることは出来ます。ただ、監視カメラが無くとも人は自由に動いていました。私たちが来る前と来た後に入ったという湯山さん。来る前は確か江崎さんもですね。そして修理といってこの部屋に籠もりだした我々。人目は多いのに、小村さんは堂々と嘘をつけた」

 確かに、そう言われると疑問が生じる。怪しさで言えば若松一雄に呼ばれた修理屋である我々が来たのを把握しながら、その我々が仕事をする前にわざわざもう一度この部屋に来た湯山も含まれるが、湯山が事前に入った時には若松一雄と江崎がいた。そして、共にいた江崎は湯山の行動を把握しているだろう。先ほどの会話からしても、気になると言った江崎に「江崎さんが言うのか」と湯山は返していた。

 湯山の行動は、彼の話しぶりから考えても湯山自身が主体だろう。そして若松一雄は【時計屋】に協力はしても小村の行動に協力はしない。若松一雄が湯山に対して小村の補助を頼むことはないだろうから、この仮説ですすむなら湯山はシロだ。そしてシロなら、小村は見られたら面倒な人間しかいない場所で行動し、嘘をつけたといえる。大胆なうそつきと考えることも出来なくもないが――

「【時計屋】がその時小村の補助をした、のか?」

 彼の推理を元にするなら、その協力者は【時計屋】だ。しかし、ならばどこに【時計屋】は隠れていたのか。彼の疑問に答えを出しても謎は解決せず、むしろ増えているようにしか思えない。

 けれども彼はあっさりと首肯した。彼にとって答えは、全て当たり前なのだろう。私にはわからず、彼を見返すばかりしか出来ない。

 彼はするりと小窓に向かい、息を吐いた。

「おそらく、人目がないか確認している、と言ったんじゃないでしょうか。そうして【時計屋】は盗聴器の処分の方法を伝えた。この小窓から投げ捨てるように、ね」

 彼が小窓を押し開く。そうして手にしたのは革の万年筆ケースだ。それを持ったまま腕を通すと、彼はこちらに向き直る。

「腕を出すだけなら可能です。【時計屋】は隠し持つのではなく、外に落とすように言ったのではないでしょうか。自分が回収するから大丈夫だと言ったのです。小村さんがこの部屋で一連の作業をしている間、【時計屋】は廊下を見張っているから受け取ることは出来ない。ちょうどこの下には低木が植わっているので、一時的なら良いといったのだと思います。人目がないかどうかの確認は部屋に入るときと出るときのみので充分だ。だから、【時計屋】は小村さんが落とすタイミングを指示し、少しして回収し、また小村さんが出るタイミングで廊下を見張る。そういう流れです。

 そうして小村さんが小窓を開けます。そして、その時書斎の窓から赤いものが――」

「待て」

 彼の言葉を遮るのは、愚だ。私は彼の言葉を遮るような中身を持っておらず、最後まで聞くべきだった。けれども低い声が呻きのように喉奥から漏れ、彼はそんな私を責めることなく見返す。

 彼の言葉を正とした場合、奇妙なことが起きてしまう。【時計屋】はその時、外にいた。ならば、

「……それでは結局、今回の事件は」

 自殺、と言うには明らかな他殺体。陸宮はなにも言わないが、先ほどよりも眉間に皺が寄っているようだった。彼はそんな私たちを見て、小窓から腕を抜く。その手に革のケースはなかった。

「小村さん動揺したでしょうね。なにかがあった。しかし、確認に行くことはしなかったでしょう。わざわざ書斎の窓から手を出した理由の説明も、そもそもこの部屋に忍び込んだ理由も言えない。なにか異常が起きたとき、盗聴していた事実が明るみになれば疑われることも明らかですし、会社にだっていられなくなるでしょう。脅す情報がろくに集まっていないのに、うまく立ち回れるわけがない。そんな小村さんに、【時計屋】は赤いものを拭うように言った。そしてそれを処分するとも言ったんじゃないかな。おそらく、なにかあったときの保険として行ったんだと思います。小村さんがニホンマツに悪い影響を与えないように――だから、このまま貴方達が黙っていることは、貴方達にとっては良いことなのでしょう」

 彼はそこで息を吐いた。見た目は綺麗な小窓を、我々が調べることは出来ない。それでも。

「警察に提案したらどうなんだ? 拭ったところでわかるはずだろう」

「それだけだと、【時計屋】を追いつめるには足りないんだ」

 彼は一度瞼を閉じた。それは瞬きではなく、視界を一度現実から外すものだ。しかし現実から逃げるには短く、一度の行為になんの感情が含まれていたのか私にはわからない。

 彼は静かに瞼を持ち上げた後、ややしかめた顔でコツリ、と小窓を叩いた。

「先の推論がどの程度あっているかはわからないけれど、実際随分と綺麗になっているから、陸宮さんが掃除したとかでない限り誰かがここを拭ったのは確かだ。とはいえ、小村さんから盗聴器を受け取るとき【時計屋】は外にいたはず。かろうじてとはいえ小窓から目視は出来るしね。けれども血がでていたということは、若松一雄さんが協力者だと判明しない限りその瞬間【時計屋】のアリバイが成立してしまうことになる。

 閉じた窓に血が付いていたのだからおかしい、と言うことは出来るけれど――そしたらその血は、ここに垂れた血は事件に関係ないと言えるだろうか? すごく半端で、そして僕らには都合が良くないことなんだ。折り込み済みさ」

 彼はそう言ってため息を吐いた。「時計は壊れていなかったんだよ」と落ちた言葉は、やけに静かに響いた。

「壊れていなかったのに、この部屋の時計はずれていた。僕たち修理屋が来たにも関わらず、ずれ続けていた。おそらく、わざとずらしていたんだよ。小村さんは腕時計を持たなかったから、部屋にいた時間は体感時間でしかなくなる。あとから正確でなかったと知ったところで、時計がいつずれたのかもどれくらいずれたのかも小村さんにはわからないだろうね。僕たちだって、わからない。『僕らが見たときのズレ』と『実際小村さんが目撃したズレ』が同じとは限らないからね」

 小村の携帯が壊れていたのは、偶然ではなかった、と言うことだろうか。だとすると【時計屋】は小村に隠れて携帯に細工をしたということになる。この場所でそれが出来る人間は、どこから来たというのか――いや、そもそも部屋に入るのを監視する、という提案の時点で、見知らぬ人間がいれば私たちが気づく可能性を憂慮する方が高い。

 ならば彼が敢えて上げない協力者は、

「今角田に言ったように、小村さんの目撃情報を利用すれば【時計屋】は自身のアリバイを作れます。その時外にいたことを証明できる人間がいるからです。だからこそ一雄さんが【時計屋】に協力する可能性を、もっといえば協力しただろう手がかりが欲しいんです。今の僕の予想は予想でしかありません」

 彼は静かに言葉を並べる。敢えて頼むことのみに終始した彼を、陸宮はじっと見ている。

 可能性の話は、確かに可能性でしかない。それでも提示することに意味があると私は思うが、しかしただの可能性で捨てられたその言葉が、関係のない部外者によって事実とされることも知っている。

 それは、外側だけをいたずらに傷つけるものだ。犯人に伝わらないのにスキャンダルとされることを、彼は憂慮しているのだろう。

 優しい男だ。私にその優しさはなく、ただ、もどかしさが肺を狭める。

「小村が【時計屋】に依頼して若松家を探ろうとしたこと、そして【時計屋】は小村を利用して死を手段にしようとしたこと。一雄さんは被害者だと考えられませんか。詐欺のようなものです。【時計屋】に依頼したことと死んだときにあわよくばと考えていた二重を考えると、先に言ったように小村はすでに金の無心をしていたと思います。それに対して、もし若松さんたちが弁護士に相談していたのならそのことも証左となる。病死にするにしても、会社の後継者がきまらずとも遺書だってあるでしょう。身内の問題として内々にしていたとしても、事前に外部へ話があれば――」

 彼の言葉に、陸宮が目を伏せた。そうして漏れた息に足を止めるように、彼は口を噤む。

 陸宮は横目でこちらを見た。なにか言いたいのか私にはわからず、私自身も言葉を持たない。陸宮はそのまま彼へ視線を戻すと、背筋を伸ばし直すように少し体に力を入れた。

「若松家の問題は、若松家のものです」

 陸宮の言葉は、はっきりとしていた。彼が眉間にしわを寄せ、唇を噛む。

「……一雄様の死の決意を、私たちは知りませんでした。けれども確かに、一雄様は自身の死を、死への恐怖だけでなくニホンマツ株式会社のこれからと共に悩んでいました」

 続いたのは、静かな告白だった。ゆっくりと、噛みしめるような語調で、陸宮は続ける。

「後継者になり得る人は探していました。本当に居ないわけではありませんが、精査には時間が足りない。間に合わなかった場合は一雄様の死後、雄二様に間を取り持って貰うことを遺言にいれたとのことです」

 そこで陸宮は言葉を切る。時計を一瞥したその目の色を探る前に、視線は彼へ向いた。

 彼はただ黙し、相づちを示すように浅く頷くだけだ。

「一雄様の死が、悪い結果だったとしたくはありません。けれども雄二様は、一雄様を想う故に、ニホンマツである為に、私にこの場所を選ばせました。可能性は可能性。その真偽を見極めるのは、私たちではなく社会でしょう。だまされたとするのか、それとも利用したとするのか、それによりニホンマツがどうなるかはわかりませんが――真実ならば一雄様の尊厳がどうなろうと、選ばなければならないのだろうとも思います」

 言葉は遠回しではあったが、協力を示唆する物だった。驚きが顔にでたのか、陸宮がこちらを見て苦笑する。なんとも言い難い寂しさと苦みと、どこか柔らかい息は、ようやく陸宮が見せた内側のようでもあった。

「元々、自殺かどうか確認したときに話はしていました。もし自殺を他殺としてしまったら、保険金詐欺になってしまいますしね。警察に病気の話はしています。【時計屋】への依頼については、空想ごとのようなもので一雄様を汚すようで言いませんでしたが……あなた方には空想ではなく、現実にあったものだ。そして他の被害者にとっても」

 ならば雄二様は協力するしかないでしょう。寂しさを乗せたまま陸宮が呟く。諦めの色すら含んだその言葉に、彼は頭を下げた。

「有り難うございます。ニホンマツに悪い形にならないよう、協力はさせていただきます。言ったように我々は【修理屋】です。それなりにノウハウはあります」

「時計の修理ではないんですね」

 陸宮の言葉に、彼は眉を下げた。本来はそちらですけどね、と言いながらも、彼は名刺を取り出す。

「【修理屋】は関係や立場の修復、直すという意味ならなんでも扱っているところがあります。曾祖父の代から人脈だけはありまして……おそらく、私たちが呼ばれたのは時計の修理だけでなく、その後のフォローもあったのでしょう。なにかあったら、という、一雄さんの遺志を感じます」

 ですからどうか。そう続けた彼に、陸宮は名刺を受け取った。

「……よろしくお願いします」

 深い一礼。若松一雄も若松雄二も含まずにあるような精一杯の陸宮の感情は純然としていて、故にどこか悲痛だった。


 * * *


「ソファで寝るのはやめないか」

 肘置きに肩胛骨をつけ、そのまま足を逆サイドの肘置きに投げ出す彼に声をかける。

 うん、という返事は、頷くというよりもただの相づちでしかない音だった。いつものことではあるが、肘置きの向こう側に垂れる長い髪が少々哀れだ。

 客用の席では行わず、彼専用のソファとなっている場所でしかしないのはまあいい。客がこちらに来ることもない。

 しかし、その姿勢では彼の体が痛んでしまう。たとえ彼の選択でも、私はそれを肯定出来ない。

「寝るのならふさわしい場所を選べ、簾田。読書はやめるんだ」

「うん」

「うんじゃない」

「うーん」

「簾田」

 完全にこちらの言葉が雑に扱われているので、こちらも雑に扱うこととする。それを示すために彼が持っている資料と彼の間に手を差し込んで、五秒。彼が顔を上げる。

「どうしたんだい角田」

 のんびりとした語調で彼がようやっとこちらに言葉をかける。私はあからさまなため息をついて、彼と資料の間から手を抜いた。

「ソファは眠ることに適さない、と話していたんだ」

「ああー……起きたときにしんどいんだけど、眠るときにやけに気持ちいいんだよねぇ。つい」

「……なにかあったのか」

 彼のこれは、悪癖だ。最初はただだらしないだけだと思っていたが、おそらく、彼のわかりづらい自罰的な部分の切れ端。気持ちよいというのは事実だろうが、それだけの疲労と、それでも休まない選択の形。万全の状態で向き合うのではなく、向き合えないからこそ終わった物事に自身を沈める行為。

「若松家が提出した情報は一雄さんの交友関係。最近突然増えた知り合い、という意味で、目立ったのは江崎。そして江崎に関する情報はきちんと渡された。すべてそれらは『江崎』を示していた」

 ぽつぽつと彼が語る。事件の解決につながりそうな言葉は、その割にひどく力なかった。

「【時計屋】は『江崎』だった――あの屋敷の中では、確実に」

 私は話の続きを促すように、椅子に腰掛けた。彼はこちらを見ない。彼の持つ資料を、私は見ることもない。

 彼と私の取り決めだ。私は彼の語る言葉を信ずる。【時計屋】を捕らえる場を得る為に。

「結論を言おう。『屋敷の江崎』と存在する『江崎』は別人だ。我々は『屋敷の江崎』を知っているが、一雄さんの資料が示した『江崎』は別だ。整形でもない。そもそも『江崎』は長期のフィールドワークにでておりこちらに居なかった。『屋敷の江崎』は重要参考人の指定が入る前に雲隠れで、おしまいだ」

 彼はゆっくりと言葉を吐いた。ため息になり損なったような言葉に、私は息をのむ。

 なりすまし。姿形を似せる怪盗のようなものではなく、その人物の立場を用いるそれは悪質であり、そして信じ込ませる手腕は最悪だ。

「ニホンマツの問題は小村のゴシップを使って彼らの英断と悲劇の人にした。一雄さんについては、そもそも【時計屋】の模倣犯対策で今その話は出ないようになっているしね。出たところで小村と【時計屋】の被害者にしてしまうけれど――すまないね角田。尻尾すら掴めなかったよ」

 彼はこちらを見ない。彼の落胆があまりにもよく伝わってしまい、私は吐きそうになる息を飲み込んだ。

 【時計屋】への強い思いは、私だけでなく彼も持つものだ。白い病室、少女の寂しげな笑顔。彼も私も、同じものをいだいている。あの日取り零したものを、未来に繋げるのが彼の長い髪だ。だから彼は私よりもよほど、

「角田」

 にも関わらず、彼はこちらを気遣うように声をかける。私は飲み込んだ息とは別の、大仰な息を吐き出した。

「顔を見ただけで、次には繋がっているだろう。尻尾どころじゃない機会が得られたのは貴方のお陰だ。その功労者がソファで寝るのは随分といただけないな」

「……気持ち良くて、つい」

「それは聞いた。ならば起きるんだ簾田。寝所まで運ぶのがご所望か?」

 腰に手を当てて、敢えて不遜に見下ろす。彼は眉を下げて笑うと、それは困るなぁと声を漏らした。

「角田の手間をかけさせるわけにもいかないね。わかった、わかったよ。ちょっと仮眠をとらせてもらおうか」

 口の端に笑みを上らせながら、彼は立ち上がった。私を見ることなく伸びをする、その顔を私は横目で見る。

「ありがとう、角田」

「礼を言うならもう少し自分を労るといい」

「はは、手厳しい」

 おやすみ、と言う彼の背に、おやすみ、と返す。そうして寝所に向かった彼を見送って、私は飲み込んでいた息と同じ物を、ようやく吐き出した。

 私は彼を慰めるにも、彼の思考を助けるにも足りない。彼はそれを求めていないし、私は足らぬを知っている。

 ようやく遭遇した【時計屋】の端の、消えた先。それを彼は追うし、私は必ずそこにいる。それだけでいい。私たちの約束は、ただそれきりしかないのだから。


(2021/02/27 了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る