第116話 老いと尊厳。

 グリム童話の中に「おじいさんと孫」というお話がある。


 目はかすみ、耳も遠くなり、膝がガクガク震えるおじいさん。

 おじいさんは、食べ物を口の端からこぼしてテーブルクロスを汚すので、息子と息子のお嫁さんはそれに耐えられなかった。

 

 そこで、おじいさんを暖炉の後ろに座らせて、そこでご飯を食べさせるようにした。おじいさんの目は涙で濡れていた。


 ある日のこと、おじいさんの震える手は、お皿を床に落として割ってしまう。息子とお嫁さんは、ぶつぶつ文句を言っていたがおじいさんは黙っていた。


 翌日、お嫁さんは少しのお金を持って小さな木のお皿を買ってきた。おじいさんは、そのお皿に入るだけのご飯しか食べさせてもらえなかった。


 4歳の孫が、小さな板切れを集めて何かを作っている。父親が「何を作っているんだい?」と訊ねると、子どもはこう答えた。


「小さなおけを作っているんだよ。僕が大きくなったらね、このおけでお父さんとお母さんにご飯を食べさせてあげるんだ」


 それを聞いた息子と息子のお嫁さんは、顔を見合わせ泣き始めた。それからすぐに、おじいさんをテーブルに連れて来て一緒にご飯を食べるようになった。おじいさんが食べ物をこぼしても、もう何も言わなかった。


 そんなお話が、200年も前に語られていた。

 そう『老い』の問題は、遥か昔からあったのだ。現代でも変わらない。もしかしたら、介護施設があるから昔より良くなったと言えるかもしれない。


 でも、いろんな介護施設があるということは覚えていた方がいい。

 夫のベッドシーツ上には、落屑といって皮膚がボロボロ落ちている。それは仕方のないことだ。同時に、黒っぽい粒がいっぱいあった。「これは、なんだろう?」じっと見つめる。あぁ、これは多分、乾燥した小さな小さな便の塊。紙オムツに便をするので、ふき取りの際に飛び散ったのだろう。


 この塊を掃除機で吸い取りたかったが、部屋に掃除機は置いていない。ビニール手袋も持参していなかった私は、ただそのシーツをじっと見つめていた。


 そう、夫はまたこのシーツの上で眠る。私には、なす術がない。自宅で介護する覚悟もない。

 

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