3
食事を済ませて、二階の「明知探偵事務所」に場所を移し。
所員の仮眠用の寝室のベッドに、ハルは体を横たえた。
「これから、希和子さんの思念をたどって、希和子さんの記憶に入りこむ。俺が感じ取った希和子さんの意思とシンクロさせて、佐和子さんのご主人――
部屋の中には、佐和子さんと、
『ハルの心が
そう、佐和子さんにはこっそり念押ししてある。ハルには内緒で。このことをハルが知ったら、心を乱して逆探知ができなくなるか、逆に心が壊れても逆探知をやめなくなる可能性がある。佐和子さんに対する思いが思念の同調を容易にさせている分、影響も受けやすい状態になっているのだ。そして、もし希和子さんの思念が暴走した場合、同調を切るだけでは収まらない可能性がある。その思念の引受先が必要だ。それは、佐和子さん以外にこの場にはいない。
佐和子さんは承諾し、ハルにも、ついでに顔に出やすい丸田氏にも、黙っていることを約束してくれた。
「ハル、
目をつむって横たわるハルに、瑛比古さんは静かに声をかける。
「希和子さん? かな。佐和子さんによく似た、でも、怒り? 恨み? そんな、感情に染まった……怖い、女の人」
「その周りに、何が見える?」
「……糸……? 遠くに、遠くに伸びる、細い……いくつもの……」
瑛比古さんは、ハルのつむった
「今、その女の人は、俺が隠した」
「うん、今は、糸だけ……でも、どれが……?」
「貴弘さん、佐和子さんの夫、佐和子さんを愛している、佐和子さんに小さな命を授けた、人」
「……糸が、太くなった……どんどん、近付いてくる……」
「その糸を、たどって……ゆっくりでいい、見失わないように……」
「……公園……? いや、公園が、遠くに見える……団地? の近く……家が並んで……男の人が歩いてくる……小さな子供も一緒に……黄色い三輪車……ドアをあけて、手を伸ばして……男の人が……心配そうに……倒れこんで…………」
ハルの声は次第に小さくなり、聞こえなくなる。どうやら思念の奥深くに沈み込んだようだ。
これ以上
「ハル、戻ってきて、ハル、晴比古」
しかし、ハルは反応しない。続けて、瑛比古さんは、何度も呼びかける。
「ハル……晴比古!」
……糸をたどっていくと、見覚えのある景色が見えた。今朝行ったばかりの、平和公園……けれど、アングルが違う。公園の中でなく、少し離れた風景の一部として、見えている。
車だ。自動車を運転しているのだ。そう認識したら、手に握ったハンドルが見えた。
ゆっくりと親子連れに近付いていく。他に人影はない。
路肩に車を停めて、窓を開けて、男性に手を振って声をかける。最初は笑顔の男性。「私は」助けを求める。同乗者が、急に気分が悪くなってしまった。車から下ろして休ませたい、手伝って欲しい、と。男性は心配そうな顔になる。
義妹の救援要請を無下にはできない。「私は」車から降りて、後部座席のドアを開ける。小さく悲鳴を上げて驚いて後ずさる。車内を指さすと、男性は後部座席をのぞき込む、その背後から、首筋に何かを押し付ける。手に伝わる軽い振動……男性はうめいて、そのまま座席に崩れ落ちる。体当たりして、男性を車内に押し込むと、背中に両手を回して手枷をはめる。その拍子に、奥に、まるで人のように座っていた毛布に包まれたマネキン人形が滑り落ちる。
不安そうな子供を助手席に乗せ、三輪車はトランクに乗せる。助手席にはしっかり、チャイルドシートを取り付けてある。きっちりベルトを締めて、自分では外せないようにして。スティックキャンディーを渡すと、一瞬
男性の
日が暮れるまで辺りを走行し、再び戻ってくる。今度は公園の近くに。子供はぐっすり寝入っている。周囲に人影はない。トランクから三輪車を降ろし、出入り口近くの遊具の
…………ル、ハル! 晴比古!
瑛比古さんの声に気付くが、体が、思考が、動かない。
まるで、「私」に固定されたように。
ハルの思考はもがくが、そのまま、車を運転し続け……。
「……ル! ハル! 戻ってこないと、佐和子さん、押し倒すぞ!」
「バカ! 何しやがる! 親父!」
一気に、ハルの思考は、現実に戻った。
「……よかった、戻ってきた」
「バカ親父! 佐和子さんに何した!?」
「何もしないよ、バカ息子。父さんはお母さん一筋だ」
へへん、と偉そうに言い切る瑛比古さんの横で、気まずそうに横を向く佐和子さんと丸田さんを見て、ハルは瑛比古さんに
「……親父……」
「よかったよかった。あのまま戻らなかったどうしようかと思ったよ。佐和子さんに感謝だな。で、何が見えた?」
睨みつけるハルの様子を気にも留めず、瑛比古さんは笑顔でハルに説明を求める。瑛比古さんの言われるがまま答えるのは
「黄色い三輪車は、息子のものです」
「ネームタグが付いていた。手書きの、ネコの絵が描いてあった」
「……クマなんです、実は。ネコに見えるけど」
「……あ、いや、確かに、クマ、……、見えなくは、ない、かな」
「いいんです。主人が描いて、本人はクマだって言い張っているので、息子も『クマ』だって、言ってましたけど、ネコですね、あれは。……間違いなく、息子の三輪車です」
「……旦那さんの写真って、ありますか?」
そう言うと、佐和子さんはスマホを取り出して、画像を見せてくれる。
間違いない。記憶の中で見た、あの親子だ。
「……これは、クロでいいかな」
瑛比古さんがつぶやくと同時に、丸田さんが携帯電話を取り出して、電話をかける。「クロだ、予定通り行け」と話しているので、自分が知らないところで、すでに何かの手配がされていたのかもしれない。
「なあ、もしかして、俺がやったことって、無駄足?」
「何言ってるんだよ。状況が分かっただけ、大進歩だよ。まあ、時間をかければわかったかもしれないけど、佐和子さんからハルに同調が移ったことに、いつ本人が気付くか分からない。そうなれば、最悪……二人の命が危ない」
「え?」
ハルと佐和子さんが、同時に反応する。
「主人は……息子は、無事なんですか?」
瑛比古さんは、丸田さんと目配せし、ハルと、佐和子さんを、じっと見据える。
「ご主人と、子供さんは、ご存命です。それは間違いない」
息を飲む佐和子さん。
ハルも目を見開く。
「ホントに?!」
「夫とあの子が……?!」
ほとんど同時に二人は聞き返した。
瑛比古さんは頷いて、さらに、続ける。
「今は希和子さんと一緒にいます」
瞬間、空気が凍りついた。
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