やっぱ、バレるよな……

 ぼやけた視界。真っ白い天井。自分は死んだのかと晃生は思った。白いということは天国でいいのだろうか。両親には会えるのか。そんなことを考えていると、なにかが視界を塞ぐ。見えたのは黒い髪、そして爛々と光る真っ赤な目。


「!?」

「おー、元気だな。起きがけそれだけ動ければ問題ないだろ」


 とっさに晃生は飛び起き、その赤い目の持ち主――リンから距離をとった。さらに距離を広げようとした結果、壁に体をぶつける。

 辺りを見合わすとそこは窓がない白い部屋。晃生にはまるで見覚えのない場所だ。


「お前どこまで覚えてる? 俺に食われそうになったことは?」

「……覚えてる……」


 咲月が晃生の手をとろうとした瞬間、上からリンがふってきた。その後は抵抗する間もなくリンは咲月と晃生の体に文字通り手を突っ込み、気づけば体から力が抜けていた。

 たしかに最後、リンが自分の体から抜いた青い炎を口の放り込んだのが見えた。だから自分は兄と同じく死んだのだ。そう思ったのだが。


「……生きてる……?」


 晃生は自分の体をペタペタと触る。温かい。手足を動かしても違和感なく動く。あの時感じた大事ななにかが抜け落ちた感覚、それもない。


「俺たちは食うのにも段階があってな、口に入れて飲み込んだら食ったってわけでもない。俺たちが食いたいって思ったときに初めて食える。簡単にいうと腹の中に食料庫があって、腹減ったらそこから取り出して食ってるわけ」

「……つまり……?」

「俺が本当の意味で食うまでは、抜いた体に戻すことも可能」


 あまりのでたらめさに晃生は間抜けな顔でリンを見つめた。

 そんなことが本当に可能なのか。いくら考えても目の前の存在が出来る。そういっているのだから出来るのだ。それがいくら不可思議であり得ない現象であっても。


「……ってことはお前はわざわざ俺から一度感情を抜いて、それから戻したってことか? なんで?」

「そうしないと羽澤の連中がごちゃごちゃうるさいだろ。逃げた生贄が全員無事で、自分達だけが食われたって知ったら」


 リンはそういうと心底面倒くさいという顔をした。


「けどなー、お前らのうち誰かくったら響が悲しむ。でも他の奴らにごちゃごちゃ言われるのも面倒。じゃあどうするか。そうだ! 一度殺そう。って思ったわけ」


 俺、天才じゃねえ? とリンは無邪気な顔で笑う。晃生はなんとも言えなかった。そんな軽い気持ちで一度殺されたのかと思うと複雑だ。


「じゃあ、ここはどこなんだ?」

「お前が助けを求めた組織の本拠地。でもって今日からここがお前の家」

「どういう事だ?」

「どういうことって当たり前だろ、お前死んだんだから」


 清水晃生は死んだ。だから表舞台には戻れない。別人として影で生きていくほかないのだとあっさりリンは告げた。


「なに、不満? せっかく生かしてやったのに。死にたいなら食ってもいいぞ」

「……いや、ありがたい話だが……」


 これで羽澤家との接点は切れた。晃生は死んだのだから追っ手がかかることもない。リンを疑うなんて恐ろしいことをあの惨劇を見た後の羽澤の人間ができるはずがない。


「鎮や慎司、由香里たちは……?」

「お前の友達は羽澤に残るらしい。まー手を出すなって俺がいったから後は自分たちでなんとかするだろ。魔女のところにいた双子もお前と一緒に保護された。あいつらも後は自分で生き方決めるだろうよ」


 リンはそういうと椅子から立ち上がる。向かったのはカーテンで区切られな場所。なにをするのかと眺めているとおもむろにカーテンを開く。

 固まる晃生を振り返ってリンは楽しげに笑った。


「でもって、お前といい感じに共感してたコイツも連れてきた」


 カーテンの先にあったのはベッド。そこには咲月が眠っていた。額にあった角は消え、穏やかに寝息を立てる姿はただの人間にしか見えない。

 リンが騒いでも起きないということは熟睡しているらしい。


「双子の上が生き残るの珍しいからな、今後の参考として生かしておいた」


 ウキウキと新しいおもちゃでも語るような口調でリンはいう。人を人とも思っていない。それは分っていた。分っていたからこそ不思議で仕方ない。


「……なんで俺を助けた」

 晃生の言葉にリンが怪訝な顔をする。またそれか。という顔をされても晃生は納得がいかない。


「俺が死んだら響が悲しむ。お前にとって響はそれほど大事なのか」

 呪われた双子を生み出すための家畜。そうじゃないのかと問えばリンは目を見開いた。


「最初は俺たちの中から適当に食べて終わらせるつもりだっただろ」


 森で最初にリンと向き合ったとき、意識は晃生たちに向いていた。それが変わったのは快斗に蹴られボロボロになった響を見てからだ。


「お前にとって響はなんだ」


 呪われた子供を生み出すための道具。そう魔女はいった。けれどそれにしては、リンは響を気にかけている。今回だって、こんな面倒なことをするよりも全員食べてしまった方が楽だったはずだ。

 答えを聞きたくてリンを見つめる。リンは晃生から目をそらして宙を見つめた。


「この感情を人はなんて呼ぶんだろうなあ……愛って呼ぶのか?」


 リンの独り言のような言葉に晃生は答えられなかった。リンが響に向ける感情がどういったものなのか、晃生には想像することしかできない。けれど、それはたしかに愛と呼んでも良いものに思えた。


「人間を食べる化物が人間を愛してしまったら、ソイツは化物でいられると思うか?」

 リンはそういいながら晃生をみた。その顔は苦しそうで晃生はなにもいえなくなる。


「今回は俺が勝った。俺は羽澤に自分こそが強いと見せつけられた。しばらく羽澤は大人しいだろうよ。だが、それもいつまで続くか……」

「また、今回みたいなことが起こるっていうのか?」

「起こるだろうな。呪いは解けてない。呪いが解けるまで根本的な問題は解決しない。この先も羽澤はもめる。響はそれに巻き込まれる」


 リンは遠い目をした。はじめてみる、人間みたいな顔。


「生まれてはじめて少しだけ後悔してる。響が巻き込まれるのは俺のせいだ。アイツは平穏に暮らしたいだけなのに」

「……どうにかならないのか?」


 晃生の言葉にリンは力なく笑い、首を左右にふった。


「魔女と話しただろ。俺にも呪いをとく資格はない。とけるのは二人だけ。魔女に呪われた最初の双子だけ。アイツらが次生まれたら、俺ももう終わりかもなあ」


 気弱な言葉に晃生は驚いた。リンは圧倒的だった。リンに勝てる生き物なんて世界には存在しない。そう思うほどの力の差を感じた。


「俺は食えなくなってきてる。肉体的にじゃない。精神的にだ」


 そういいながらリンは晃生に近づいて、晃生の首にふれた。絞められるかと思い身構えるが、リンはただ触れているだけ。悲しげな顔で。


「前だったら、迷うことなく食ってたよ。響のことなんて気にしなかった。響はそれが人の心だと喜ぶけどな、お前はどう思う? 化物に人の心は必要か? 人を食べる化物に人を愛する心は必要か?」


 必要ない。

 きっとそれが答えだ。

 人を愛したら、家畜に愛情を覚えてしまったら、もうそれを食べ物だとは思えない。食べられなければどんな生き物も死ぬ。それが化物と呼ばれるものであっても。


「人を憎むことが魔女を魔女たらしめた。だから憎悪を抱けなくなった魔女はもうダメだ。人を食べることで恐怖を植え付け、悪魔と呼ばれてきた俺も同じ。俺たちはもう過去のものになる」

 リンはそういって晃生の首から手を離す。


「次に化物と呼ばれるのは誰だろうな。そこに寝ている奴か……それとも……」


 リンは言葉を区切り目を伏せた。なにか、明確なイメージがリンの頭には浮かんでいるようだったがそれがなんなのか晃生にはわからない。

 それでも近い将来、羽澤に巣食った化物は消え、新たな化物が生まれる。悪魔や魔女と呼ばれた化物を栄養に育ったそれが一体どんな姿でどんなものとして生まれてくるのか。それを想像した晃生は背筋が凍るような不安を覚えた。


「お前らは大人しく死を待つ気なのか」


 魔女は疲れていた。リンは化物だと思っていたが、リンもまた長く続いた羽澤の呪いに疲れはてている。解放されたがっている。


「どうだろうなあ……俺たちは死にたくないって感情だけは何よりも強いからな。あがいて、あがいて、生にしがみつくかもしれない。もし、仮に俺が自ら死を選んだら、その時俺は本当の意味で化物じゃなくなるんだろうよ」


 リンはそういうと晃生の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。思ったよりもやさしくて安心する手だ。

 兄の手を思い出したことで、響がリンを慕っている理由に気づいた。実の兄とうまくいっていない響にとってリンは間違いなく兄なのだ。


「さて、お前の名前を決めないとな」

「名前……?」

「清水晃生は死んだっていっただろ。死人の名前をいつまでも使うわけにはいかないだろうが」


 リンはそういうと再びベッド横にある椅子に座り足を組む。一緒に考えるという態度に晃生は戸惑ったが、リンはやけに楽しそうだった。


「名字は緒方って名乗れ。お前の保護者になってくれるってよ」

「緒方さんが……」


 森であった眼帯姿の壮年を思い出す。あの人が保護者というのは頼もしくもあり、少々緊張もする。それ以上にそわそわと落ち着かない気持ちにもなった。

 家族がいる。それは久しぶりのことだ。


「……名前は雄介って名乗っていいか」

「雄介?」

「兄の名前」


 その一言で察したらしくリンはいいんじゃねえ。と軽い口調でいった。

 あっさり名前が決まったことに拍子抜けした態度を見せつつ、もう用はないとリンは立ち上がる。そのまま部屋をでていこうとしたが、なにかを思い出したように振り返った。


「ってことは、兄と再会したとき、ややこしいことになるな」

「は?」


 意味がわからず晃生はリンを見つめた。

 清水晃生は死んだ。だから兄のお見舞いにも行けないと思っていた。それをどうにかしてくれるということなのか。


「食えなくなったっていっただろ。とくにな、綺麗なのは勿体なくて食べれなくなった。例えばお前の兄貴みたいに他人をかばうような奴」

「ま、まさか……」


 期待で手が震える。本当にと疑問が頭を巡る。震える晃生を見てリンはイタズラが成功した子供のように満足げに笑った。


「生き残ったボーナスだ。お前の兄貴は返してやるよ。っていっても記憶は全部抜いたからお前のことは覚えてねえけど。動いてしゃべるようになっただけいいと思え」


 じゃあな。そういうとリンはひらりと手を振って、今度こそ部屋を出ていった。

 残された晃生はリンが出ていったドアを見つめたまま動けない。胸が苦しい。感情が渦を巻いている。今すぐ兄の病室にいって確かめたい。だが、それはできない。


「あーこれだから、化物は……」


 気まぐれに絶望を与えて、気まぐれに希望を見せる。人に恐れられ称えられる。それはたしかに化物の所業。しかしその気まぐれに晃生は救われたのである。

 起きる気配のない咲月を眺める。生き残った。そうしったら咲月は悲しむだろうか。この先の人生をどう歩めばいいか途方にくれるだろうか。


「……関係ないな。俺たちは死んだんだ」


 清水晃生、羽澤咲月は死んだ。だから過去は置いていってもいいのだ。

 やっと重たい荷物を下ろせた気がする。頬を伝った一滴の涙が清水晃生にさよならを告げた。



※※※



 それからは色々なことがあった。

 雄介が思う以上に世の中に化物と呼ばれる存在が平然と存在していた。そんな彼らと関わるうち雄介は何度も危ない目にあい、一緒に組まされた咲月も何度か死にかけた。

 それでもなんとか生き残ったのは複雑なことに羽澤の悪魔が見逃した。その事実が裏側でも広まっていたためだ。羽澤に巣食った化物は化物の中でも名の知れた存在だったのである。


 由香里と絵里香は名前を変え、田舎へ越した。普通の学生になり、普通の大人になる。由香里は教師に、絵里香は保育士になりたいと語っていた。時折連絡をとるが元気にやっているようだ。


 羽澤家に残った鎮や慎司が元気でいることも大鷲に教えてもらった。大鷲は羽澤家を監視することが仕事の一つで、そのついでに鎮たちの様子もみてくれた。

 生きていることは伝えられないが、元気でいる。それだけで安心できた。


 羽澤家の様子が慌ただしくなったのは響に子供が生まれた後。響の子供はリンや魔女が予想していた通り双子。呪われた羽澤の始祖だった。分かっていたことではあったが、響の息子たちが呪われている。その事実は雄介にショックを与えた。しかし、雄介以上にリンが目に見えて憔悴し始めた。


 羽澤では普段通り振る舞っているようなのだが、時折ふらりと現れて雄介に響や鎮たちの話をした。

 アイツらは俺が見逃したって言うのを上手いこと使ってる。たいした奴らだと誉めながらも心は別のことを考えている。その姿は化物ではなく疲れはてた人だった。


 そうしている間に響の息子、双子の下が事故死した。これには不審な点が多く、他殺ではないかと羽澤内で噂が広がったがセンジュカは自殺だと断言。あのろくでなしがしそうなことだと吐き捨てるとセンジュカはフラりと姿を消した。


 その後、羽澤からリンが姿を消し、魔女も姿を消した。はじめてのことに狼狽える羽澤家を取りまとめたのは響で、そのまま響が当主となった。それにより先代当主、響の兄の航と快斗は隠居することになり、羽澤家から離れた田舎へと移っていった。

 快斗は不満そうであったが、航と響の両親はどこか肩の荷が降りたような様子であった。


 羽澤の呪いはとけた。

 悪魔と魔女も姿を消した。

 当主も変わり、羽澤は生まれ変わる。


 それを遠くから見守り続ける。それが自分の仕事である。そう雄介は思っていた。

 のだが……。 


「本当に、俺が羽澤担当になるんですか?」


 着なれないスーツを身にまとい、窮屈なネクタイをいじりながら雄介は眉を寄せた。せっかくだからと大鷲が用意してくれた真新しいスーツも革靴もやけに着心地がいい。値段を聞いたら着れなくなりそうなので聞かなかったが、間違いなく高級品である。

 まさか再び羽澤の地、しかも当主邸に訪れる日が来るなんて、緒方雄介は少しも想像していなかった。


「当主様とは同い年。あちらも代替わりしたんだ。こっちも変わる頃合いだろう」


 分かっていながら知らないふりをして緒方が笑う。ニヤニヤと年に似合わぬイタズラ小僧のような顔をされ、雄介はため息をついた。

 緒方の息子として生きるようになってからというもの経緯も含めて頭が上がらない。緒方がいなければリンから貰ったボーナスがあったとしても無事に今日を迎えることはできなかっただろう。


「最後の御膳祭について、ぜひお話したいと当事者を集めてもらった。今回の当主様は気さくな方で助かる」

「当事者ってまさか……」


 緒方がいっそう楽しげに笑う。今引き返したら逃げられるのでは。そんなことを考えている間に使用人によってあっという間に応接室へと案内される。

 雄介の気持ちなど知らない使用人がドアをノックし中に声をかけた。心の準備ができていない雄介を無視して、緒方はあっさり中に入ってしまう。


 中から懐かしい声が聞こえる。数年たって当時よりも大人らしく落ち着いた、それでも聞き間違えるはずがない響の声。

 響以外も人の気配がする。羽澤に残っている御膳祭の当事者。響と同席できる立ち位置にいるものといったら、鎮と慎司しかいない。


 ドアの前。部屋から見えない位置で立ち尽くす。使用人の女性に戸惑った視線を向けられるが動けない。

 気まずくて仕方ない。自分は死んだ。そういうことになっているのに、実は生きてましたなんて今さらどの面下げていえばいいのか。


 やっぱり逃げようか。そんな思考を見透かしたように緒方が杖をつく。大きな音は待たせるなの合図だ。数年、家族として暮らしてきたのだからそのくらいわかる。

 覚悟を決めろ。そう急かされて雄介は深呼吸した。


 足を踏み出す。やけにゆっくり、恐る恐るになってしまった。


 部屋の中を覗くと懐かしい顔がそろっている。一方的にこちらは知っていた。それでも直接会うのはあれから初めてだ。

 鎮は黙っていればかっこいい男に成長した。慎司は背が伸び別人のように凛々しくなった。響は当主としての貫禄のようなものが身についた。

 会わない間にみんな変わっている。それでも当時の面影があった。


「皆様初めまして。このたび父、緒方より担当を代わることになりました。息子の緒方雄介です。以後お見知りおきを」


 頭を下げ挨拶を口にする。今三人には雄介の頭しか見えないはずだ。しかし頭を下げる前、驚愕に目を見開く三人がハッキリ見えた。


「……晃生君……?」


 震える慎司の声。間違いなく呼ばれた自分の名。もう捨てた懐かしい名前に、懐かしい声に無反応を貫き通すことなんて出来なかった。


「やっぱ、バレるよな……」


 顔をあげた雄介がみたのは、泣き出しそうな顔で飛びかかってくる戦友たちの姿だった。





化物の餌 完

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