当主によろしくな

 憎悪で固めたような声が耳をうつ。

 みれば星良の父が娘の傍らに移動していた。星良を抱きしめながら憎悪に歪んだ顔でこちら……正確にいえばリンを睨み付ける。


「廃人にならない方法があったのならなぜ星良を! 嫉妬や憎悪が嫌いならばそれだけでも残してくれれば、この子は……この子はこんな風にはならなかった!」

「おいおい、食ってくれっていったのは星良だぞ。ソイツは心の底から俺に食べられることを望んでいた。俺が強要したわけじゃない」


 リンは肩をすくめる。航からみても星良は本気でリンに食べて貰いたがっていた。理解は出来ないが、あの幸せそうな死に様を見れば認めるほかない。

 それでも父親にとっては認めがたい現実だったのだろう。怒りに濡れた瞳でリンを睨み付ける。

 そんな男をみてリンは肩をすくめる。少しも気にした様子がなかった。


「嫉妬や憎悪だけが残った人間はろくなもんじゃない。それはもう元々のお前の娘とは別人だ。人間はな、いろんな感情が入り交じって個人をつくりあげる。一つでも抜けたらソイツは別物。元の人格が戻らないならそれは死んだも一緒だ。だから全部食ってやってるんだよ。後腐れがないように」

「それならば響様だって全部食べればいいだろう!」


 男の怒声にリンは片眉をあげて動きをとめた。余裕の表情が消えうせ、表情が険しいものになる。


「一つでも抜けたら別物だというのなら、今日の記憶を抜かれた響様も別物のはずだ。それはもう死んだと同じなのだろう。ならばなぜ生かす。うちの娘は殺したのに、なぜ響様は!」


 男はそういって星良の体を抱きしめた。嗚咽が聞こえ、涙が頬を伝う。抱きしめた星良の顔に涙が落ちても星良はピクリとも動かない。

 気まずい空気が流れた。航は響を抱えたまま周囲を見渡す。快斗は知らぬ間にリンから距離をとっており、なんとも言えない顔で男とリンを見比べていた。深里はもはや興味が失せたらしく男などいないかのように地面をにらみつけている。


 リンはじっと泣き続ける男を見下ろした。笑みが消え失せたリンは恐ろしい。笑っている時も恐ろしいのだが、笑みが消えるととたんに人間味が消え失せる。

 男を見つめるリンがなにを考えているのか航には少しもわからない。それが恐ろしく航は抱えた響を抱きしめた。温かい体に少しだけ安堵する。


「……そうだな、なんで響は殺さなかったんだろうな……。いや、理由としてはある。響は星良よりも価値がある。星良も上質ではあるが星良と同じくらいの質の奴はいっぱいいる。だが、響はいない。この先響と同じくらいに綺麗な魂が生まれる保証はない」


 リンはそういいながら男に近づいた。男は近づいてきたリンをにらみつけ続ける。その頬は涙で濡れ、娘を抱きしめる姿は哀れみを誘うものだった。

 しかし、リンは無表情のまま男と星良の体を見下ろした。


「響は生かさなければいけない。羽澤家はそのためにある。アイツらが生まれないなら羽澤の血筋を残す必要ない。あーでも、そんなの俺には関係ないはず。ないのに何でだろうな。なんで最近の俺は必死に血筋を残そうとしている? アイツらが生まれなくたって、俺は困らない。いや、困るか、暇だもんな。じゃあやっぱり俺の行動は正しいか?」


 リンはブツブツと航には意味不明な言葉をつぶやいた。リンをにらみつけていた男の顔も次第に困惑へと変わる。

 リンはうなるといらだった様子で髪をぐしゃぐしゃとかき乱した。


 次の瞬間、リンは男の額に手を突き入れていた。あまりの速さにずっと見ていたはずの航すら理解が追いつかなかった。

 男は呆けた顔でリンを見つめる。己の額にリンの腕が刺さっている。それすら分かっていないような顔で。


「めんどくさ。どうせ皆殺しにする気だったんだ。死ぬ奴の言葉を考えても無意味だな」


 冷たい声でそういうと手を引き抜く。やはりなんの痕もない。それでも男の体はゆっくりと傾く。星良を抱えたまま、目を見開いた男は地面に倒れた。


「朝になったら死体と一緒に片付けろ。それまでは森に入るなよ。俺がうっかり食うか、咲月がうっかり殺しちまうか。どちらにせよ生きては帰れない」

「……皆殺しですか……」

「今年の御膳祭は俺の思った通りにしていいんだろ?」


 ダメだとは言えなかった。見逃してやる。そうリンは言ったが、いつ気分が変わるかも分からない。響を抱えている航はまだ温情をもらえるかもしれないが快斗や深里は分からない。死の恐怖を前にして航がとれる選択肢などなかった。黙って頷く。それだけだ。


「当主によろしくな」


 リンはひらりと手を振って歩いて行く。足下に転がる生きているだけの屍も、血に染まった死体も気にせず、悠々と。

 三日月のか細い光ではその姿を長く照らすことも出来ず、あっという間にリンの姿は闇に溶け込んだ。


 その後ろ姿をしばし無言で見送り航はため息をついた。危険が消えたと分かった快斗がそろそろと近づいてくる。猫のように周囲を警戒する姿を見て、無事なのだと安堵した。

 深里はずっと黙りこくって地面を見つめている。死体も惨劇もなにもかも、自分には関係ないという姿にリンとは違う恐怖を覚えた。


「深里……」

「帰ります。父上への報告は兄上がなさるのでしょう。今夜は疲れました」


 航が声をかけると深里は一方的にそういってリンが消えた方とは真逆の方角に歩き出す。いつも不自然なほどに浮かべていた笑みが消え失せ機械のように無機質だ。

 一瞬響を見た深里の目がゾッとするくらい冷たかった。その意味を航はあえて考えない。


「……俺たちは見逃してもらえたんだよな」


 快斗の声は震えている。いつだって自信満々な快斗が不安げに周囲を伺っている姿を見て、それほどまでにリンは恐ろしかったのだと実感した。

 今になってリンに対して怒りをぶつけた自分に背筋が凍る。自分が響の兄だから見逃してもらえたのか、もっと別の理由があったのかは分からない。運が良かった。リンにとって不要だと判断されたならば結末は星良の父と変わらなかった。それくらいのことは航にもわかる。


「……快斗、お前は前に俺たちは選ばれたといったな」


 航の言葉に快斗が怪訝な顔をした。それに構わず抱きかかえた響の顔を見つめながら言葉を続けた。


「選ばれた者がいるとしたら響だけ。それ以外の羽澤の人間はみな、連れてこられた生贄と等しく……」


 逃げていった少年たちの後ろ姿を思い出す。彼らはきっと無事ではいられないだろう。


「捧げられるだけの家畜だ」


 ただ肥え太るのを待たれていただけなのに、特別だと勘違いして怒りを買った。なんて愚かなのだろうと航は三日月を仰いだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る