最終話 化物の餌

あと何人残ってるんだろうな……

 羽澤の双子は半身にあったことがない。生まれてすぐに引き離されて別々に育つため、ある程度大きくなるまで双子であることすら知らない者も多い。

 会ったことがないものはいないのと一緒。会ったことがないのだから情を抱くはずもなく、双子の弟や妹たちは兄や姉がどんな場所で、どんな風に過ごしているのか興味すら持たない。


 それが羽澤家では普通だった。

 だが、時折普通から外れる子供がいる。親が教えない幼いうちから自分の半身の存在に気づき、わざわざ隔離施設まで会いにくる。そんな珍しい子供の一人、それが羽澤咲月であった。


 自らの足で隔離施設にきた双子の下は追い返さない。それが昔からの決まり事だった。だから双子たちを監視、研究する大人たちは気味が悪いという顔を隠さなくても咲月が双子の元に通うことを許した。

 だから咲月と、咲月に「イツキ」という名を与えられた双子は出会い、共に遊び、こっそり入れ替わるようになった。


 二人が入れ替わっていることに施設の人間も羽澤の人間も気づかなかった。両親だけはそれに気づいていたが気づかないふりをして、咲月もイツキも同じように愛してくれた。

 だからイツキは満足だった。一度も施設の外に出たことがない他の双子に比べて自分は恵まれている。世界を知っている。親の愛を知っている。双子の弟が会いに来てくれる。それだけでイツキは十分だった。なにも望んでいなかった。


 しかし、咲月はそうじゃなかった。


 きっかけは夢だった。怖い夢を見る。そう咲月はいうようになり、しまいには夜中に家を抜け出してイツキに会いに来るようになった。ただの夢だとイツキがどれほど慰めても咲月は恐怖に震え続けた。

 それは羽澤の双子に時折おこる症状らしい。原因は分らない。精神的なものだろうと医者はいうが具体的な治療法は見つかっておらず、本人の精神力に任せるほかなかった。


 咲月は大丈夫だとイツキは信じたかった。日に日に弱っていき笑顔を見せなくなっても、イツキは信じ続けた。きっと咲月は大丈夫。また前のように笑ってくれると。


 あの日、イツキが何度も何度も思い出しては後悔したあの日、咲月は久しぶりに入れ替わろう。そういった。

 その頃の咲月は眠るのをいやがり顔色は悪く、濃いクマが出来ていた。そんなイツキを薄暗い牢屋に残して行くのが嫌でイツキははじめ断ったが咲月は譲らなかった。


 家では不安になる。両親に心配かけたくないし、使用人に心配かけるのも嫌だ。学校は先生や友達の目があって落ち着かない。誰も来ないこの部屋でゆっくり眠りたい。

 そう咲月に言われてイツキは折れるほかなかった。たしかにこの部屋は暗くて狭い。一日ぐっすり寝るくらいだったらちょうどいいかもしれない。咲月が持ち込んだ暖かい毛布をかぶせて、ゆっくり眠って元気になってくれ。そうイツキは咲月にいった。元気になったらまた遊ぼうとおでこをくっつけると咲月は笑っていた。


 笑っていたけれど、後になって思い返せば咲月は頷きはしなかった。きっとあの時、もう決めていたのだ。咲月はすべてが嫌になってしまっていたのだ。


 咲月の代わりに学校にいき帰ってくると、咲月は部屋の真ん中にぶらさがっていた。ゆらゆらと宙で揺れる足、力なく垂れ下がる手にうつむく顔。

 

 ただ叫んだ。あれ以上叫ぶことは一生ないだろう。喉が潰れるのも構わず泣き叫んで、どうにか咲月の体を下ろそうとした。

 イツキの絶叫に大人たちが慌てふためいてやってきて、ぶら下がる咲月と泣きじゃくるイツキを見て顔をしかめた。


 後で聞いた話だが、羽澤家で双子の片方が死ぬことは珍しいことじゃなかった。双子の上は人生に絶望し、変化する己の体に恐怖を覚え自殺する。それを目撃した双子の上が泣き叫ぶことも、ここでは珍しいことではなかった。

 しかし咲月とイツキの場合は双子の上下が違った。死んだのは下の咲月で、その死に泣き叫んだのは上のイツキ。入れ替わっていることに施設の人間は最後まで気づかなかった。


 違う。違うんだ。死んだのは咲月なんだ。

 そうイツキがいくら泣いて訴えても施設の人間は聞く耳を持たず、半身の死で錯乱していると結論づけて咲月を家に帰した。二人の入れ替わりを知っていた両親はイツキと一緒に泣いてくれたが、それでも傷は癒えなかった。


 咲月の葬式はひっそりと行われた。イツキと両親だけ。咲月はイツキとして死んでしまったから、咲月の学校の友達を葬式に呼ぶことは出来なかった。咲月を心配していた学校の先生や近所の人も、誰も咲月の死を伝えることは出来なかった。

 咲月は生きている。死んだのは最初からいないものとして扱われていた双子の上であるイツキ。誰も知らない。誰も会ったことがない。だから最初からいないのと一緒。誰もその死を悼まない。


 違うのに、死んだのは咲月なのに。

 そうイツキがいくら思っても、真実を伝えようと両親に訴えても両親は首を縦には振らなかった。咲月の代わりに生きてほしいと泣きながらイツキに頼んだ。


 だから、イツキは咲月になった。

 前々から入れ替わっていたこと、咲月が死ぬ直前精神的に参っていたこと。そういったことが重なって咲月の性格が別人のように変わっても周囲が気にする事はなかった。

 一部の大人は咲月が双子の下であることも、双子の上が自殺したことも知っていた。だからそういうこともあるとあっさり受け入れたのだ。


 それが咲月には心底気持ち悪かった。


 咲月に不満はなかった。時折会える両親に弟がいればそれで良かった。狭くて暗い部屋に閉じ込められたって、外に一生出ることが出来なくたって、それだけで十分だった。

 十分だったのに、その幸せはあっさり消えた。


「だから、変えようと思ったんだ……」


 ナイフを握りしめて咲月は語る。目の前の男がどれほど話を聞いていたかは分らない。ただ震えながら、許してくれ、助けてくれ、見逃してくれ。そう繰り返すだけで、咲月の言葉など何一つ聞いていなかったのかもしれない。

 それでも別にいいと思った。聞いて欲しかったわけじゃない。心の整理がしたかった。ただそれだけだったから。


「変えようと思ったのに、やっぱり俺じゃ変えられない」


 ナイフを掲げる。男の顔が絶望に染まった。すでに男の足にはナイフが突き刺さり血が流れている。あの傷で逃げるのは不可能。放っておいても出血多量で死ぬだろう。この状況で男を助けに誰かがやってくるとは思えない。だから遅かれ早かれ死ぬのである。

 それでも男は泣き叫ぶ。助けてくれと。その姿を滑稽だと咲月は思った。


「咲月はさ、手紙を残してた。そこに書いてあったんだよ。本当は呪いをときたかったけど、俺にはその資格がなかった。だからせめて、イツキに人生を返す。って」


 咲月は男の喉元にナイフを突きつけた。恐怖で震える男の顔をのぞき込む。返り血で真っ赤に染まった自分の姿が男の目にうつりこんでいる。さぞ恐ろしい存在として男の目に自分は映っているだろう。そう思った咲月は笑う。予想通り男の顔がさらなる恐怖で歪んだ。


「この意味わかるか?」


 男はブンブンと首を左右に振った。ウソをついている様子はない。この状況でウソをつけるほど男に度胸があるようには見えなかった。


「そうか……残念だ」


 咲月がそういって息をはき身を引くと男は安堵の表情を浮かべた。自分は見逃してもらえる。そう思ったらしい男の心臓にナイフを突き刺す。


「がっ……あっ……?」


 なんでという顔で男が咲月を見た。なんでと言われても、遅かれ早かれ死ぬのだから今殺そうが一緒だろう。そう咲月は思ったが口には出さなかった。言ったところで男が理解できるとも思えなかった。


 ナイフを勢いよく引き抜くと血しぶきがあがる。男の体がその場に倒れ血だまりを作る。

 これで何人目だったか咲月は覚えていない。とりあえず手当たり次第に殺してみたがまったく気が晴れない。


「あと何人残ってるんだろうな……」


 あの場にいたのは二十人ほど。何人かは森から逃げて羽澤本家へ救援を呼びにいったかもしれない。何十人も武器をもってやってこられたら勝てないだろう。それでも別にいいかと咲月は思った。どうにかできないかと、咲月の夢を叶えられないかと足掻いてみたが、自分にはどうにもならなかった。

 ならばせめて、人知れず死んでいった咲月への手向けに殺せるだけ殺してやろう。そう思い咲月は歩き出す。


 そこに理性などない。ただ憎悪が、怒りが体を動かす。目の前にあるものを殺せ。そう訴えかける。それに身を任せると生まれて初めて高揚感を感じた。理性を捨て去り本能のまま動くのはこれほどまでに開放的な気持ちになるのかと、咲月は喉の奥で笑った。

 目から涙がこぼれ落ちたが、咲月は自分のことなのにまるで気づいていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る