それは羽澤当主の意見か?

「俺的にはそっちがいいな。なかなか美味しそうだ」


 男がそういって指さしたのは晃生だった。味でも想像するかのように細められた目と笑みの形を作った唇。口からのぞいた歯はとがってはいなかったが綺麗に並んでおり、それが不気味で仕方ない。


「リン……今年は生け贄を出さない方向でお願いしたいんだ」

「へぇー」


 リンと呼ばれた男は響に視線を向けた。こちらを見る目は食べ物を見る目であったが、響に向ける表情はどこかあどけない。

 視線がそらされた事にほっとして息を吐く。鎮も力が抜けたようで震えが止まり、すぐ近くで慎司の気の抜けた声が聞こえた。慎司が晃生の制服をつかんでいたことに今更気づく。それほどまでに晃生は目の前にいる男に怯えていたらしい。


「それは羽澤当主の意見か?」


 リンは首をかしげて響を見た。見た目は成人しているように見えるが仕草が子供のようである。先ほどこちらを舌なめずりでもしそうな顔で見下ろしていた男とは思えない。


「いや、俺個人のお願いだ」

「じゃあ無理だな」


 リンは実にあっさりとそういった。唖然とする響とは対照的にその顔には笑みが浮かんでいる。鎮の体に再び緊張が走るのが分かった。


「リンは食べなくてもいいだろう?」

「食べなくてもいいけどな、くれるっていうなら貰うだろ」


 さらりと言って笑う。邪気のない笑顔だったが薄ら寒い。食べるだの、貰うだのいっている対象が自分たちであると、いくら鈍くても分かってしまう。

 目の前の男が何者かは分からない。響は「悪魔のお屋敷に行く」といっていたから、こいつが悪魔なのか。そう思いながら晃生は凝視するが見た目は人と変わらない。


 けれど、本能のようなものが叫ぶ。

 これは人ではない。化物であると。


「なるほどなー。響は優しいしな。情がわいちまったのか。あんまり近づくなっていったのに、やっぱ気になってみにいっちゃったんだな」


 リンはそういうと目尻をさげて響の頭をなでた。兄が弟にするような慈愛の表情を浮かべているが、晃生には薄ら寒く見える。


「晃生ねえ……そっちが気に入ったのか。じゃあ、向こうの慎司とかいう奴で俺はいいけど?」


 視線を向けられた慎司が晃生の服を握りしめた。ガタガタと震えて奥歯がなっているのが分かる。とっさにかくまうように体を動かしたがリンは目を細めて笑うだけだ。


「これ以上、部外者を巻き込むのは……」

「っていってもなー俺は食えれば誰でもいいし、部外者を巻き込むって決めたのはお前の祖先だし、俺が食わなかったらピーピー騒ぐのはお前以外の奴らだろ」


 リンはそういうと腰をおり響と視線を合わせる。真っ赤な瞳が優しげに緩む。その表情は慈愛にみちたものであり、響の頬をなでる手も優しい。けれど、響が望む言葉は口にはしない。

 薄気味悪い。そう思った理由に気づく。優しく見えるがリンは響を見ていない。ただの一方的な人形遊び。ただ優しい人の姿をまねているだけで中身はなにも詰まっていない。


「お前に言われて俺がやめたら、お前はまた色々言われるだろ。勝手なこという奴らなんて食っちまえばいいと思うんだけどな、お前はそれも嫌なんだろう?」


 響の目をのぞき込んでリンは困った顔をする。


「響は優しいな。優しくて損をする。お前を腫れ物のように扱う両親も、お前を毛嫌いする兄たちも響には必要ないだろ。俺ならばすべて美味しく食べてやるのに、なんでそれをのぞまないんだろうな」


 リンはそういうと息を吐き出す。理解できないものを前にしたような困った顔をすると立ち上がり、晃生たちを見渡した。


「まーあがってけ。内緒話するにはここが一番都合がいい。俺のところにわざわざ探り入れてくるようなバカいないからな」

「それは協力してくれるってことでいいのか?」

「いや、お前らは俺が寝ている間に勝手に入ってきて、勝手にしゃべって、勝手に帰っただけで、俺はなーんにも知らない」

 リンはやけに無邪気な顔で笑った。


「そうじゃないと困るのはお前らだ。分かってるだろ響」


 ポンポンと兄のような顔でリンは響の頭をなでるとするりと玄関から中に入ってしまった。その場に立ち尽くした響は下を向く。握りしめた手に力が入っているのが見えた。


「……申し訳ない。私にはどうにも出来そうにない」


 響の泣きそうな声に晃生は息が詰まった。事情は未だよく分からない。それでも響が何かをしようとしてくれた事だけは分かった。


「……説明しよう。中に入ってくれ」


 振り返った響は弱々しい笑みを浮かべていた。それに晃生は何も言い返すことが出来ず、ただ無言で頷いて玄関へと進む。後ろから恐る恐る慎司と鎮が近づいてくるのが分かった。


「いらっしゃいませ。悪魔のお屋敷へ」


 中に入るとすでに姿を消したと思ったリンが廊下に仁王立ちしていた。ぎょっとした晃生たちを見て楽しげに笑う。こちらの不安も恐怖もすべて分かったうえで観察しているような、実に意地の悪い笑みだった。


「安心してくつろいでくれ。まだ、とって食いやしないから」


 ニヤニヤ笑いながらそういうとリンは今度こそ廊下の奥へと進む。その姿が完全に見えなくなるまで晃生たちは動くことが出来ずに固まっていた。

 まだ。とわざわざ強調した言い方が癪に障り、晃生は隠すことなく舌打ちした。

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