第六話 悪魔のお屋敷

鎮くんの予想通り、魔女の森だよ

 本格的な夏が始まるまであと少し。浮かれた空気が小学校の教室を包む。夏休みに入ったら家族旅行にいくとか、友達同士で集まって遊ぼうだとか。そういう楽しい予定を立てることに小学生は忙しかった。

 晃生もその中の一人で、仲のいい友達たちと顔をつきあわせて遊びの計画を立てる。宿題そっちのけで作られた予定表は隙間なく埋まっていて、楽しい夏休みを予感させた。


 小学生の晃生は外であそぶ子供だった。宿題をやらなかったり、子供が入ってはいけない場所に入ってしまったり。公園でキャッチボールをして近所の窓ガラスを割ったり。やんちゃとしか言いようのない子供で、両親や先生に手を焼かせた。

 怒られる晃生をみて、元気だな。と笑って許してくれたのは兄で、晃生が叱られたとき一緒に謝ってくれるのも兄。勉強なんか嫌いだとだだをこねる晃生に根気強く勉強を教えてくれたのも兄だった。

 晃生は揺るぎないお兄ちゃん子だった。両親と先生の言いつけは守らなかったが、兄の言うことはよく聞いた。


 そんな兄は高校進学と同時に下宿に入ってしまい、晃生は寂しかった。兄が通っている学校は県をまたいだ所にあり、まだ小学生の晃生が一人で会いに行くことは出来ない。時折電話がかかってくるが電話の時間は短く、お兄ちゃん子の晃生には満足いくものではなかった。

 だから晃生は兄が帰ってくる夏休みを心待ちにしていた。帰ってきたら一緒にキャンプにいこう。自由研究も手伝ってくれる。学校の話も聞かせてくれる。そう約束していた。

 兄が今通っている学校はごく一部の、本当に頭のいい人しか入れない学校らしい。そんな場所に通っている兄が晃生は自慢だったし、好奇心旺盛な晃生は兄の通う学校がどんなところなのか気になって仕方がなかった。


 兄に会える日を晃生は指折り数えて待った。


 そんな晃生の元に、兄は思ったよりも早く帰ってきた。けれどそれは、晃生が望んだ形ではなかった。


 その日の晃生は退屈な授業に飽きて、練り消しを作って遊んでいた。会心の出来に一人満足していると教室に先生が駆け込んできた。その後に続いたのは両親で、晃生が目を瞬かせている間に晃生の手を取り、学校を後にした。晃生はなにがあったのと両親に聞いたが、両親はなにも答えなかった。ただ2人とも顔が青く、うろたえているのが子供の晃生でも分かった。


 車に乗り込んで何時間も走り、たどり着いたのは全く知らない病院だった。車を降りた晃生は父親に抱き上げられ、堅い表情の母親がカウンターで話している。母親の話を聞くと対応していた看護婦の顔色が変わり、気遣わしげに晃生たちをみてから「こちらです」と先をうながした。


 小学生の晃生にとってこの時が一番怖かった。険しい顔をした両親。初めて来る病院。コツコツと廊下に響く足音と、静まり返った白い空間。父に抱きかかえられて視線がいつもよりも高いのも、父の動きに合わせて体が揺れるのも、なにもかもが怖かった。

 この先に待っているのがなんなのか、幼い晃生には何一つ分からず、なんの予想も立てられなかった。


 だから、それを見た瞬間、心臓が止まるかと思った。


 看護婦が開けたドアの先にいたのは兄だった。白い病院のベッドの上、上半身を起こしてぼんやりと宙を見ている。その姿は記憶の兄とはまるで違った。兄はいつだって優しく笑ってくれたのに、晃生と両親に兄は視線すら向けなかった。

 母が兄に向かってかけだした。ベッドの脇に膝をつき、兄の顔をのぞき込みながら手を握り、兄の名前を呼びかける。


 雄介。雄介。

 そう何度呼んでも兄は反応しなかった。

 母が肩を揺さぶっても、やがて抱きしめたまま泣き崩れても、兄の目は母を見なかった。ずっと宙を、なにもない場所を見続けて、その瞳に光が宿ることはなかった。


 兄は死んではいない。けれど生きてもいない。治る見込みもない。

 その説明は幼い晃生にも理解出来た。


 晃生が10歳の初夏。兄は抜け殻になって帰ってきた。



 ***



 響は混乱のあまり固まった晃生と慎司に、私服に着替えてから下宿の前で待っていてくれ。そういうなり姿を消した。慌てて後を追いかけた鎮の背中が見えなくなっても、晃生と慎司は動くことが出来なかった。


「生け贄……?」


 ぽつりとつぶやく。慎司が青い顔で晃生を見上げた。慎司の顔は引きつっている。信じられないと、信じたくない。嘘であってほしい。そんな感情が混ざり合った表情は晃生の内心と一緒であった。

 しかし、響の言うとおりであれば今まで感じた違和感は納得がいく。病院から動けない身となった兄。自分たちを値踏みする他の生徒たち。怯えた顔をした下宿の管理人。顔色の悪かった特待生の先輩たち。すべて自分たちが生け贄であり、兄が生け贄であったのであれば納得がいく。


 だからこそ、おかしい。なんで今の時代に生け贄なんて異常な事がまかり通っているのか。


「……響に話を聞くしかないな」


 晃生の言葉に慎司は制服の裾を握りしめた。震える手を見れば慎司が恐怖を抱いているのはすぐ分かる。晃生もまた表に出さないだけで動揺していた。恐怖なのか怒りなのか困惑なのか。それは自分でも分からなかったが、とにかく事情を聞かなければどうにもできない。

 他の者は晃生たちに余計なことを教えたくないようだったが響は違う。そう信じるほか今の晃生に出来ることはなかった。


 無言で下宿に戻り、響に言われたように私服に着替える。なぜわざわざ私服に着替えろといったのか。それも分からないまま、晃生と慎司は無言で部屋の前でおちあって、無言のまま下宿の外に出た。

 玄関前でじっとしていると管理人さんや先輩たちに見つかって怪しまれそうだったので、少し離れた場所で慎司と共に待つ。慎司はずっとうつむいたままで、見ていて痛々しい。けれどそれを慰めるほどの余裕も晃生にはなかった。


「待たせただろうか?」


 どれほど時間がたったのかは分からない。ただぼんやりと空を見上げていると、響の声がした。みれば走ってきたのか息を切らした響が目の前にいる。学校にいるときとは違う私服だが、お坊ちゃまにしてはシンプルなパーカーにジーンズ姿。目深にかぶった帽子で顔は見えにくい。

 その後ろに私服に着替えた鎮がいる。派手な柄物や色物をこのむ鎮らしからぬ落ち着いた色合いのシャツ。無言で響の後ろにたつ鎮の顔ははいつもよりも緊張して見え、つられるように晃生の体が硬くなった。


「いきなりで悪いが、着いてきてくれ」


 なにも言葉を返さない晃生と慎司に嫌な顔もせず、響は歩き出す。キョロキョロとあたりを見渡す響はなにかを警戒しているようで、響もまた焦っているのだとわかった。響の後に続けば慎司が無言で着いてくる。

 気づけば鎮が隣にいた。いつもおしゃべりな鎮らしからぬ静かな態度にゴクリとつばを飲み込む。


 響は一体どこに行こうとしているのか。本当にすべてを話してくれるのか。実は罠なのではないか。そんな疑問と不安が晃生の足を重くする。それでも晃生は進んだ。進まなければ真実はつかめない。兄の真相にたどり着くことは出来ない。


 父と母も死んだあの日、兄の病室で誓ったのだ。家族の幸せを壊した原因を必ず見つけてみせるのだと。


 拳を握りしめて前を向く。この先なにが待っていようと自分は真実を突き止める。そう改めて決意した晃生は前を歩く響をにらみつけた。そんな晃生をみて鎮はなにかを口にしようとして、なにも言わずに前を向いた。

 慎司は青い顔のままふらふらと着いてくる。4人もいるのにやけに静かで、自分たちの足音だけが響いた。


「……周囲に誰もいないな?」


 響が小声でつぶやくと周囲を見渡す。晃生も戸惑いながらあたりを見渡すが、視界に入るのは羽澤家をぐるりと囲む白い塀。対面には民家の木の塀があるが人の姿は見えない。

 このあたりは古い家が多い。すんでいる人もお金持ちが多いのか、敷地も広い家が多く、やけに静かである。下宿に来た直後、周囲を散策した際にはどこまでも続く塀と静かな空間に異世界にでも迷い込んだかと思った。


「誰もいませんよ」


 周囲を見渡していた鎮が小声で答える。その言葉に響はやっと安心した様子で息を吐き、これは他言無用で頼む。そうつぶやいてから、白い塀の一部を押した。


 ガコン。と音がする。どこから? と晃生が思う前に、響が押した塀が綺麗に倒れた。晃生も慎司も目を見開いたが一番動揺したのは鎮で、とっさに叫びそうになった口元を自分の手で押さえていた。


「中に入って」


 響があたりを見回しながら晃生たちを呼ぶ。急げ。と視線で訴えられたので晃生はすぐさま開いた穴をくぐる。

 大人が一人ギリギリ通れるような高さのため身をかがめて中に入る。向こう側に見えるのは木々。青々とした緑と土の匂い。コンクリートで塗装された場所になれた晃生には久しぶりに見る自然だった。


 振り返れば慎司が中に入ってくるところだ。もたつく慎司を先に中に入っていた響が引っ張りだし、その後に続いた鎮は苦もなく穴をくぐり抜ける。猫のようにしなやかな動きをみて、そういえばコイツは運動神経も良かったと晃生は体育の授業中の鎮を思い出した。


「響様、ここはもしや……」


 立ち上がって周囲を見渡した鎮が何故か青ざめた。響はそれに答えることなく倒れた壁を持ち上げて元通りにはめる。ガコンという音がしたかと思うと塀は綺麗に元に戻っている。近づいて見てみてもつなぎ目はわからない。ここが開くという知識がなければまず見つけられないだろう。


「鎮くんの予想通り、魔女の森だよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る