ヌシ様
「おっちゃん、おかわりっ!」
パンくずが頬についたまま、アサヒは叫んだ。
「おっ、やっぱ若い子はよく食べるねぇ!」
皿を嬉し気に受け取ると、中年の男は鍋からスープをよそい、アサヒへ返す。
「あざっす!」
そう感謝の意を述べて、再びアサヒはスープをかき込んだ。
彼は今、湖の外れに建つ一軒家にいた。その経緯が、これだ。
※
「あのぅ……何、してるんですか?」
数刻前。そうやってアサヒたちに話しかけてきた、一人の少女。彼女の声色には、困惑の色が見て取れた。
無理もない。見知らぬ男が上半身裸で叫んでいるのだから。悲鳴を上げなかっただけ、彼女は強いと言える。
「えっ、いや、あの……腹が減ってて。魚を獲ろうかな、と」
アサヒはハッと我に返り、答えつつも服を拾い着なおす。
「お腹、減ってるんですか?」
「そうなんだよ。昨日からなんも食ってなくてさ」
同時に、彼の腹の虫が大きく鳴いた。
「あの……」
そんな様子の彼に、少女はおずおずと言った。
「家に、来ますか?」
と。
※
「ふぅーっ、美味かったぁ。ごちそうさまでした!」
「そりゃどうも、喜んでくれたようで何より」
そして今に至る。アサヒは満腹になった腹をさすりながら、満足げに呟いた。
「ありがとな、ユウナちゃん……だっけ。君がここに連れてきてくれなかったら俺、今頃飢え死にしちまってたかも」
「えへへ」
アサヒは目線を下げ、ユウナ――そう呼ばれた少女にも感謝の意を伝える。
「しっかし兄ちゃん、旅人だろ?路銀を切らしちまうなんて、随分おっちょこちょいなんだな」
「ハハ……」
そう言って、アサヒはバツが悪そうに頭を掻いた。
『無一文になってしまった間抜けな旅人』。この親子の間で、彼はそう通っていた。
「お父さん」
ユウナは、中年の男――彼女の父、ティムの前に立ち、
「何だい、ユウナ」
「私、そろそろ行ってくるね」
そう告げた。
「気を付けるんだよ」
「うん!」
彼女はドアを開け、元気に駆けていった。
「あの、ユウナちゃんはどこへ?」
「ヌシ様のところさ」
「ヌシ様……?」
※
「~~~♪」
――湖のほとり。ユウナは一人、誰かに呼びかけるように唄っていた。
「あ、いたいた!おーい!」
そんな彼女のもとに、アサヒがやってくる。
「アサヒさん、どうしてここに?」
「ティムさんから聞いたんだ」
アサヒは彼女の隣まで来ると、湖を見渡した。
「さっき歌ってたけどさ、あれ何なんだ?」
「ヌシ様が好きな唄なんです。毎日、こうしてるんですよ」
そう言うと、彼女は続きを唄い始める。それを横で聞き入るアサヒ。
《うむ。いい唄じゃないか》
(ああ。俺もそう思う)
精神内にて、ソルとそんな会話をしていた時だった。
ザバァ!突然、水面が大きく波打った。
「な、何だ!?」
驚いた様子で辺りを見回すアサヒ。次の瞬間――
「グオォォ―――ッ!」
雄たけびをあげ、水柱を立てながら30メートルはあろうかという巨大な影が姿を現した。
それは豊かな髭のようなものをたくわえた、魚の怪物だった!
「怪物っ!?」
警戒し、ユウナをかばうように立つアサヒ。しかし、
「ヌシ様!」
それを横からくぐりぬけ、彼女は嬉しそうに駆けてゆく。
「ヌシ様……あれが!?」
魚の怪物――否、ヌシ様は湖の岸へゆっくりと近づくと、その額をユウナのもとに差し出す。
彼女はそれに応じ、手を額へと重ねる。
彼女を見つめるヌシ様の黄色い眼は、まるで孫を見るような優しい目をしていた。
《どうやら、心配はいらないようだな》
ソルがつぶやく。
(ああ)
アサヒは警戒を解き、微笑ましそうに見つめていた。
「アサヒさん!」
そんな彼に、ユウナが声をかける。彼女はアサヒを呼ぶように、手を振っていた。
「ん、どうしたんだ?」
アサヒが近寄ると、そこにはヒレを差し出すヌシ様の姿があった。
「乗せてくれる、って言ってます!」
「え、いいのかよ」
「私はたまに乗せてもらってますから」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言って、二人はヒレへ乗る。ヌシ様は巧みにヒレを動かすと、二人をその背に乗せ、ゆっくりと泳ぎ始めた。
「すっげぇ!空飛んでるみてぇだ!」
ヌシ様の背から見える光景に、アサヒは興奮を隠せなかった。
地球にいたころは見たことがなかった――いや、地球上のどこへ行っても見ることなんかできない光景に、ただただ感心しきるばかりだった。
※
「ありがとなーっ!」
すっかり陽も落ちた夕方。アサヒとユウナの二人はヌシ様に手を振り、別れを告げていた。
ヌシ様はゆっくりと振り返ると、湖の奥深くへと潜ってゆく。
「もう遅いし、帰ろうか」
「はい!」
それを見届けると二人は湖を後にし、ティムの待つ家へ向かって歩き始める。
――その晩、アサヒはティムの家で世話になることとなった――
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