第83話 妹はまだ愛を歌えない

 春太は人けのない校舎の廊下を早足で進み――

 軽音楽部の部室のドアを開けて、中に入った。


「あれ、ハル?」


 晶穂は、狭い部室の真ん中にあぐらをかいて座っていた。

 ギターを持ち、床にはなにやら書きつけられたノートが開いて置いてある。


「ハル、ホントに来たんだ?」

「おまえが来いっつったんだろ」


 春太は晶穂の前に座りながら言う。

 確かに、別に迎えにくる必要はなかったのだが――


「私服だとマズいかな。一応、教師には見つかってねぇけど」

「あたしだってちゃんと制服で来たのに。ハル、ふりょーだね」

「不良とはまたえらい古語が出たな……」


 髪にピンクのメッシュを入れている晶穂には言われたくはない。


「RULUに行ってきたんだよね。ちゃんとお礼言ってきた?」

「ああ、一応な。氷川のヤツに、店の手伝いまでさせられたけどな」

「ハルは、女に逆らえないタイプだねえ……」


 じゃららーん、と晶穂はギターを奏でつつ呆れている。


「おまえこそ、どうしたんだよ。ギター弾きまくるんじゃなかったのか? ずいぶんおとなしいじゃないか」

「ああ、ちょっと作曲モードに入ったんだよね。いいメロディが降りてきそうで」

「ふうん……」


 ノートには作曲のメモを書きつけているらしい。


 春太は、晶穂の姿をあらためて眺める。

 いつものパーカー姿にミニスカート。

 部室は暖房が効いていてあたたかいからか、ブレザーは脱いでいる。


 エレキギターをじゃんじゃん奏でている姿は、どこからどう見ても健康そのものだ。

 身体になにか問題があるようには見えない――


「なに? ずいぶんじろじろ見てくるじゃん。そろそろ、ヤりたくなってきた?」

「だから、そういう誘惑をするなって……ああ、晶穂、おまえ昼メシは食ったか?」


「あ、忘れてた」

「だと思ったよ」


 晶穂は音楽に夢中になると他のことをすっかり忘れる傾向がある。

 作曲に切り替わったなら、なおさらだろう。


「つーか、雪季ちゃんランチを一食逃したのはもったいないよね」

「雪季ちゃんランチじゃなくて悪いが、これ食っとけ」

「ん? もしかして、RULUのサンドイッチ?」

「ああ、氷川につくってもらった」


 たまごとツナとハムチーズ、それにいちごのサンドイッチ。

 それぞれ一口サイズだ。


 もう午後三時近くになっている。

 昼食には遅い時間なので、軽めのサンドイッチがちょうどいいだろう。


「へぇー、今カノに元カノがつくった料理を食べさせるなんていい度胸だね」

「氷川は元カノじゃねぇよ!」


 もしそうだったとしても、別に悪いことでは――

 悪いことなのだろうか?


 晶穂が初カノである春太には判断がつかない。


「とにかく、食え。これくらいの量にしとけば晩メシも余裕だろ」

「うん、助かる。でも、あたしがお昼食べてたらどうする気だったの?」

「俺が食うよ。これくらい食っても、晩メシは余裕で入る」

「さすが、無駄にデカいわけじゃないね」


 一口サイズのサンドイッチ四つくらい、春太には軽いおやつのようなものだ。

 成長期の身体は、いくら吸収しても足りない。


「うわ、美味しっ。RULUはフードメニューもイケるよね。こりゃ、ハルが跡継ぎの座を狙ってもおかしくない」

「どういう理由で俺が店の跡継ぎになるんだよ!」


 似たようなツッコミをついさっきしたような、と春太はデジャブに襲われる。


 晶穂はあっという間に四つのサンドイッチを平らげて――

 そばにあったペットボトルのお茶をごくごくと飲んだ。


「はー、美味しかったー。涼華さんが跡継ぎなら、RULUは安泰だね」

「おかげで大繁盛で、今日も大忙しだったよ」

「でも、ハルはウチのチャンネルの最重要スタッフだからなー。カフェに引き抜かれたら困る」

「そりゃ最重要なのは間違いねぇな」


 なにしろ、演者の晶穂を除けば唯一のスタッフなのだから。


「ガチで、いい曲ができそうなんだよ。過去イチのデキになるかも」

「今つくってる曲か? それなら、見せ方を工夫しないとなあ」

「この曲の動画は、顔出しでいこうかなと思ってるんだよね」

「えっ、マジか……」


 晶穂の動画は今のところ、すべて顔を隠している。

 顔を隠した上で人気を博しているU Cuberはまったく珍しくない。

 想像をかきたてるのが、人気の秘訣でもあるのだろう。


 晶穂は誰が見ても文句のつけようがない美少女だ。

 多少は注目も集まってきている今、顔を見せれば一気にバズる可能性もある。


「バズったらバズったで、ちょっとヤバい気もするが……変なストーカーとかつかないか?」

「ホント、ハルって心配性だよね。雪季ちゃんにだけかと思ったら、意外とあたしにまでたま~に優しいんだからさあ」

「たまにで悪かったな」


 晶穂は、実態はどうあれカノジョなのだ。

 むしろ、優しくしない理由がない。


「優しさは、雪季ちゃんとトーコちゃんに向けとけばいいよ。あたしは、しばらくはこの曲に夢中だから。むしろこっちがハルにかまってあげられないしね」

「そりゃ残念だな」


「ベースができれば、あとはギターなしでもスマホで作曲できちゃうし」

「便利な世の中だな。ウチの親たちの世代は、ギターとかピアノ弾きながらつくってたんだろうか」

「今もそういう人が多いよ。あたしもめちゃくちゃに弾きながらいいフレーズが出るのを待つやり方だしね」


 じゃららーん、と晶穂はギターを奏でる。


「ねえ、ハル。わかってんの?」

「なんだよ?」


「雪季ちゃんにかまえるのは、今のうちだけかもしれないんだよね?」

「……俺は、雪季が家を出るのを認めたわけじゃない」


 雪季は受験に合格したら、家を出てアパートで一人暮らしをする。

 その話は消えたわけではなく、むしろ時期が近づいてきて現実味を帯びてきている。


 春太の選択次第ではあるが、その選択も受験が終わり次第、決めなければならない。


「でも、雪季ちゃんが一度家を出ちゃったら、今度こそ戻ってこないよ?」

「だろうな……」

「だから、兄妹で暮らせるのは今が最後かも。それに大事な時期なんだし、雪季ちゃん最優先でも晶穂さんは怒んない」


 実際、晶穂の言うとおりだろう。

 雪季は人生がかかった受験を控えた身で。

 もしかすると、あと三ヶ月のうちに家を出てしまうかもしれない。


 雪季との時間を大切にするべきなのだろうが――


 春太の選択は、晶穂にも無関係ではない。

 ある意味では――春太が晶穂と雪季、どちらを選ぶのかという話でもある。


 カノジョと妹。

 妹とカノジョ。

 春太には、晶穂と雪季、どちらをカノジョにしてどちらを妹にするのか。

 突きつけられた選択は、あまりにも難しすぎる。


 だが、遠からず選ばなければならない。

 春太自身の意志で、決して流されることなく。


「晶穂が怒るか怒らないかじゃないんだよ。俺がどうしたいかって話だ。晶穂のことも放ってはおけないだろ」

「たま~に凄く優しいね。そんなに優しくされたら、優しい曲ができちゃいそう」

「いいことだろ、そりゃ」


 ハードなロックもいいが、優しいバラードも悪くはないだろう。

 春太は素直には口に出せないが、晶穂のバラードも嫌いではない。


「優しいハルに、歌詞を考えてもらうのもいいね。あたし、曲と歌は自信あるけど、実は歌詞はちょっと。なんか荒んだ詞になっちゃうんだよね」

「やっと気づいたのか」


 晶穂の歌詞はやたらと攻撃的で、詞にファンもついているくらいだ。

 だが、ワードセンスが独特すぎてやや理解に苦しむところもある。

 もっとも、春太は自分に作詞ができるとは思えないが。


「初めての共同作業だね。作曲と歌に集中できるなら、この曲、もっとよくなりそう」

「おい、マジか? 俺が作詞って冗談じゃないのかよ」

「いいじゃん、ダメならボツにするだけだし」

「晶穂は優しさが足りなくないか?」


 作詞を依頼しておいて却下とはひどい話だ。


「あたたかい家庭で育たなかったせいかな。あ、そうだ、それで思い出した」

「ん?」


「ハル、魔女からなんか連絡来てる?」

「秋葉さんから? いや、別になにも」


 というより、秋葉からメッセージをもらったことは一度もない。


「朝、お母さんからファイルのURLが送られてきたんだけど、パスワード付きなんだよね」

「なんで俺にパスワードを知らせてくるんだよ?」

「動画みたいなんだけどね。ファイル名が“harutahimitu”になってるから」

「春太秘密? なんだ、その不穏なファイル名は」


 まさか、ショタハルタ動画の追加版ではないだろう。


「秋葉さん、単にパスワードを送り忘れたんじゃないか? 訊いてみりゃいいだろ」

「うーん、訊くのはなんか負けたような気になるね」

「勝ち負けの問題じゃねぇだろ」


 できれば、パスワードでロックされたままにしてほしいくらいだ。

 雪季の可愛い動画なら観てみたいが、幼い自分に登場されるのは恥ずかしい。


 山吹翠璃は、どれだけ春太の動画を持っていたのか。


「単純に忘れたんじゃないのかも。ウチの魔女、あれでけっこう細かい性格だから、忘れるとは思えない」

「ああ、秋葉さん、仕事できそうな感じはするな。なにもかも見透かしてるような雰囲気あるし」

「仕事はできるみたいけどね。細かいっつーか、心配性っつーか」

「心配性? それは確かにちょっと意外だな」


「あたし、中学の頃、ちょいちょい貧血になってさ。お母さん、もうしつっこくあたしを何回も病院に行かせて。自分の心臓病が遺伝してるんじゃないかって」

「えっ……あ、晶穂、それって……」


 晶穂はケラケラ笑っているが、その話はまさか――


「しかも、あたしの背が低いのも心臓に障害があるせいじゃないかって疑い出してさ」

「心臓と身長って関係あるのか……?」

「そういう研究結果もあるみたい。身長が低いほど心臓疾患が発症する人が多いってデータもあるとか」

「じゃあ、晶穂は……」


「いやいや、あたしは単にちびっこいだけだよ。つーか、あたしくらいの身長の女子高生、普通にいるじゃん」


 晶穂は笑いながら、首を振った。


「病院で念入りに検査してもらったけど、なんともなかったよ。ほら、今はめちゃめちゃ元気だし。春の体力テストの長距離走、学年で一番だったよ?」

「……俺でもクラスで三番くらいだったのに」


 ちなみに男子の学年一位は松風だ。


 そんなことはともかく――


「そうか、検査しただけだったのか……」


 春太は、ほっと胸をなで下ろす。


 わざわざ質問するまでもなく、晶穂のほうから涼華に聞かされた話の真相を話してもらえるとは。

 意外な成り行きだったが、どうやら心配しすぎていたようだ。


 確かに晶穂は春太よりエネルギッシュなくらいで、健康に問題があるはずもない。


「なに、顔がゆるんでるよ、ハル? 真面目な顔してりゃ、少しは見られるのにさ」

「悪かったな、ゆるんでたら見られない顔で」

「あはは、あたしの顔はバズらせる切り札になるけどね。ハルの場合は――」


 そのとき、スマホが振動した。

 春太のものではなく、晶穂のスマホらしい。


「ごめん、ハル。ちょっと待って」

「ああ、外に出とくか?」

「いいよ、別に」


 晶穂は首を振って、スマホで通話を始める。


「はい、月夜見晶穂です。はい、はい……えっ……いつですか?」

「…………?」


 晶穂は、わずかに目を見開いたようだった。


「はい、はい……わかりました。えーと、今すぐ行けばいいでしょうか? なにか必要なものとか……はい、はい、それなら……はい、大丈夫です。ありがとうございます。はい、お願いします……いえ、失礼します」


「なんだ、どこか行くのか? 秋葉さんの退院が繰り上がったとか?」

「うーん……」


 春太の質問に、晶穂はかすかに唸っただけだった。

 ジャンジャンと、またギターを奏で始める。


「あたしには、

「おまえ、またお兄ちゃんって……俺だけって、なんだそれ?」


 春太は質問してから――心臓がドクンと高鳴るのを感じた。


 晶穂の表情に変わりはない。

 ギターの音色も透き通っていて、手元の動きも確かなものだ。


 しかし、かすかに――晶穂の目元に陰りがあった。


 晶穂は、引きつったような笑みを浮かべて――


「お母さん、死んじゃったって」

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