第56話 妹は最終決戦に挑みたい

「へえ、意外と普通なんだな」


 春太は周りを見ながら、素直に感心してしまう。


 ここは、霜月透子が通っている中学校。

 つい数ヶ月前まで雪季が通っていた学校でもある。


 今日は日曜なので、生徒の姿はほとんど見かけない。

 たまに、部活で登校しているらしい生徒たちがいるくらいだ。


「普通って……どんな学校を想像してたんですか、お兄ちゃん?」

「いや、田舎の中学っていうから木造の“戦前からあります”みたいな建物かと」


「お兄ちゃんは田舎に偏見があるみたいですね」

「雪季も似たようなこと思ってたんじゃねぇ?」

「……バレましたか」


 ぺろり、と舌を出す雪季。


「雨漏りして床が抜けてる木造校舎で、グラウンドにタヌキとか現われるんじゃないかと思ってました」


「……イノシシなら、前にグラウンドに現われましたね」

「危ないじゃないですか!?」


 ぼそりとつぶやいたのは、透子だ。

 雪季だけでなく、春太もぎょっとしてしまう。

 そんな危ないところに、可愛い妹を通わせていたとは。


「……そのイノシシ、生徒が狩って食ったのか?」

「桜羽さん、私たちを未開の部族だと思ってませんか?」

 透子は大変に不満そうだ。


「あ、トーコちゃんトコのイノシシ鍋、美味かったよ。イノシシ、初めて食べたけど思ったよりクセがなくて味わい深かったなー」

「晶穂、おまえだけのんきそうだな……つか、良いもん食ってんな」


 一人だけ、そうげつで夕食をとった晶穂がなにを食べたのかまでは、春太も知らなかった。


 とりあえず――


 そんなわけで、春太と雪季の兄妹、いとこの透子、それにオマケの晶穂の四人は中学の中を歩き回っている。


 一応、日曜も出勤していた教師に許可はもらっている。

 ずいぶんあっさり許可をもらえたので、春太は拍子抜けした。

 このご時世に、部外者を校内に簡単に入れてもらえたのは意外だった。


「そういや、俺らは名物とか全然食ってねぇな」

「ママと私の手料理でしたからね。確かに、こんな遠くまで来て家庭料理だけというのも……」


「……よかったら、ウチのイノシシ鍋の通販セットをお送りします。お肉とスープの冷凍セットです」


「やったね、ハル。高級鍋ゲットだよ」

「おまえ、自分だけ食ったくせに、通販用もせしめる気かよ……って、そんなことはどうでもいいんだよ」


 春太は立ち止まり、周りを見る。

 校舎前の中庭で、他に人の姿は見当たらない。

 大事な話をするにはちょうどいい――


「やっぱ、俺と晶穂は外そうか? 雪季、霜月と二人のほうがいいんじゃねぇか?」

「お兄ちゃんは、妹の命が大事じゃないんですか?」

「私と二人きりだと、生命の危険があると思ってるんですか、冬野さん」


 じろり、と透子が雪季を睨みつけている。

 いつぞやの、吊るし上げのときの霜月透子を思い出す目つきだった。


「まあ……従姉妹同士だから仲良くしろ、なんて言わねぇけどな。二人とも、モヤモヤしてるなら、今のうちにケリをつけることだな」


「そうだね。大事なことをうやむやにしておくと、あとで取り返しのつかないことになっちゃうね」

「…………」


 晶穂の物言いはクールすぎて、実感を込めているのか、他人事なのか、よくわからない。


 春太も、「おまえが言うな」と突っ込むべきか迷ってしまう。


「でもさ、ハル。可愛い妹と可愛い妹と、いとこちゃんなんでしょ? あたたかく見守ってあげなよ」


「ん? 晶穂さん、なんで今“可愛い妹”を二回言ったんですか? まあ、強調してくれるのは嬉しいですけど」


「気にしないで、雪季ちゃん。でも真面目な話、お邪魔だったらあたしとハルはその辺の物陰でいやらしいことでもしてるよ」


「「ダ、ダメです!」」


 同時に、雪季と透子が身を乗り出すようにして叫んだ。


「……霜月さん? どうして、あなたが反対するんですか?」

「え? い、いえ、ここは私の学校ですから。神聖な校舎でそんな……いやらしいことなんてダメですから」

「本当でしょうか……」


 じとーっと、雪季が半目で透子を睨んでいる。


「おっ、ハル。これは期待できそうだよ。女子同士が髪を掴んで引っ張り合う光景って、ちょっと興奮しない?」

「しねぇよ。どんな性癖だよ」


「か、髪の毛の引っ張り合いなんてしません! 晶穂さん、私をなんだと思ってるんですか!」

「私は、冬野さんに髪の毛を引き抜かれても仕方ないと覚悟はしてます」


「霜月さんも、私を誤解してます! お兄ちゃん、なんとか言ってやってください!」

「さすがに、そこは自分で反論してくれ」


 春太は妹に無限に甘いが、さすがに多少は自力で頑張ってもらいたい。


「うう~……し、霜月さん」

「は、はい」


「私、あなたのことが嫌いです! 大っ嫌いです!」


「…………っ!」

 霜月がぎょっとして固まってしまい――


 春太も、思わず晶穂と顔を見合わせてしまう。

 普段クールな晶穂も、珍しく驚いているようだ。


 雪季がここまではっきりと、敵意を人に向けるとは思っていなかったのだろう。


「……でも、これをもっと早くに言っておくべきだったのかもしれません。私は、あなたと向き合おうとしてませんでした」

「それは……私は数人がかりで冬野さんに――ですから、向き合えなくても当然だと思います……」


 まったくそのとおりだろう、と春太は思った。


 少なくとも、雪季がイジメられた件について、妹に落ち度があったとは思っていない。


「いいえ。私が好きな人は――相手が何人だろうが、こうと決めたら立ち向かっていくような人なんです。だから私だって、人数が多くたって、ポニテの目つきの悪い女が怖くたって、怯んではいけなかったんです」


「雪季ちゃん、割とずけずけ言うね」

「……意外と頼もしいだろ?」


 春太はささやいてきた晶穂に答えつつ、子供の頃を思い出す。


 幼い頃、春太は数人の悪ガキどもにいじめられていた雪季を助けたことがあった。

 雪季はそのことを言っているのは間違いない。


 それと、その劇的なシーンは、晶穂にも目撃されていたらしい。

 おそらく、晶穂も雪季がなんのことを言っているのかわかっただろう。


「もう遅いですけど……でも、言っておきます。霜月さんが私にしたこと、許せません」


「はい……」


「でも、でも……もう私はお兄ちゃんのところに戻って、あなたのいない生活を始めています。だから……許せないけど、忘れます」


「……冬野さん……ごめんなさい」


 透子は小さくつぶやき、顔を伏せた。ポニーテールの尻尾が、軽く揺れる。


「クラスの霜月さんとのことは……これでもう終わりにします。だから、これからは――」


「え?」


「これからは、従姉妹の透子ちゃんだと思うことにします」


「そ、それって……」


「私のことも、従姉妹だと思ってください。雪季さんって呼んでいいですから」

「冬野さ――ふ、雪季……さん……」


「はい」

 雪季は少しだけ――困ったような恥ずかしいような笑みを浮かべた。


 芝居がかった台詞に、自分で照れているのかもしれない。

 春太は妹の話に意外さを感じつつも――


「雪季、さりげなく自分だけさん付けさせてんな……」

「雪季ちゃん、けっこうちゃっかりしてるね」


「晶穂の悪影響じゃねぇだろうな」

「あんたも、さりげに人のせいにするあたり、妹に悪影響与えてそうだよ」

「……そうかな」


 春太はなんとなく納得できないが――とりあえず、雪季と霜月透子の関係にはケリがついたのだろうか。


 決して、これで万事解決とはいかないだろう。

 雪季も透子はこの数ヶ月で、関係性がまったく変わってしまった。


 もう同じ中学の同級生でもないし――今や、赤の他人でもない。


「ああ、そうだ。霜月、おまえバスケやってたんだよな?」

「え? はい、夏で引退しましたけど……」


「グラウンドに、ゴールあるな。ボールくらい持ち出してこれるだろ」

「は、はぁ……ボールくらいはなんとでもできますけど……」


 春太は中庭の向こうにあるグラウンドに、バスケットのゴールがあることに気づいていた。


「ちょうど、二人ずつでチーム組めるし、軽く遊ばないか」

「えーっ! お、お兄ちゃん、私に運動で透子ちゃんと勝負しろって言うんですか!?」


「勝負とは言ってねぇだろ。こういうときは、一緒に汗を流してわだかまりも水に流すんだよ」


「お兄ちゃん、基本的に体育会系なんですよね……爽やかな発想はけっこうですけど、私みたいなインドア少女にはちょっと」


「雪季は俺の言うことは聞くから大丈夫だ。霜月、よろしく」

「あ、はい」


 透子は、グラウンドの隅にある体育倉庫へと走って行く。

 ゴールがあるのだから、屋外で使うためのバスケットボールもあるのだろう。


「わ……私も手伝います、透子ちゃん!」


 少し躊躇いつつも、雪季も透子を追って走り出した。


 春太は自分がなにも言わなくても、雪季が行ってくれたことが嬉しかった。


 妹は優しい女の子に育ってくれた。

 すべてを水に流せなくても、いつまでも過去にこだわらずに先に進める。


 これは、できるようで誰にでもできることではない。

 まだしこりがすべて無くなったわけではないだろうが――この先は、雪季と透子、二人の問題だ。


「ハル」

 すすっ、と晶穂がそばに寄ってくる。


「なかなか強引にまとめたね」

「一応、最年長者だからな。あいつらの背中を軽く押すくらいはしないと」


「そういえば、ハルはあたしより二ヶ月年上だもんね」

「……そうだったな」


 だからこそ、晶穂は一応“妹”ということになる。


 まだ、俺にはずっしり重い問題が残っているんだった――

 春太は思い出してしまい、爽やかな気分が少しばかりよどんでいく。


「可愛い妹二人と、いとこと昼間からお戯れとはいいご身分で」

「おまえ、二人の前ではいらんことを言うなよ……?」


「わかってるよ。ま、あたしとハル、それに雪季ちゃん……この三人のことは、こんな風に爽やかに終わらないだろうけどね」


「……晶穂、おまえ結局なにが目的でついてきたんだ?」


「さあ、なんでしょう?」

 晶穂はエアギターを弾きつつ、くるくると回る。


「ま、思ってた以上の収穫はあったよ」

「そりゃよかったな。ちなみに、なにを手に入れたんだ?」

「うーん」


 晶穂は、じゃじゃーん、と適当な擬音を口ずさんで。



「…………っ!?」

 春太は、まだギターを弾くマネをしている晶穂の顔を、まじまじと眺めてしまう。


「甘すぎだね、ハル。ああいう大事な話を――他人の前でするもんじゃないよ」

「お、おまえ、まさか……あのとき、起きて……?」


 晶穂は事故で酔っ払って、ついに眠り込んでしまった――

 眠ったと思って、母が語った、春太と雪季の本当の関係。


「寝たフリじゃないよ。半分寝てたけど……あんな話をしてたら、聞こえちゃうよ」

「…………」


 遂に、身内以外にも家族の秘密がバレた――


 いや、晶穂はある意味では身内なのだが。

 雪季の問題が一つ片付いても、まだ春太の試練は終わってくれないようだ。

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