第27話 妹は友達まで可愛い
「あ、来た来た! こっちっす、桜羽先輩!」
「ああ」
大声が聞こえて、春太はそちらにレイゼン号を寄せていく。
春太が通っていた中学校の近く――
道路脇で一人の女生徒がぴょんぴょんと跳ねている。
黒髪のボブカットに、赤いフレームの眼鏡。
紺色ブレザーにチェックのミニスカート、白いタイツ。
レイゼン号の元となった名を持つ後輩、
「今日はここか。急な話だったな」
ある日の放課後。
春太がレイゼン号を駐めたのは、ネットカフェの駐輪スペース。
今日は、このネカフェで冷泉と待ち合わせをしていたのだ。
「母上が急用でお出かけしちゃって。さすがに、美少女JCと男子高校生が二人きりで秘密の家庭教師ってわけにはいかんでしょ?」
「……ここの支払いは冷泉持ちだよな?」
「セコいこと言うっすね。女子で後輩で中学生のボクにおごれとか、並みの神経じゃ言えないっすよ」
「金のためならプライドも捨てるんだよ。つーか、仕事だからな?」
「ハイハイ、ちゃんとオカンにお部屋代ももらってるっすよ」
冷泉はニヤリと笑って、先に店に入っていった。
「ペアシート、3時間。鍵付き防音個室でいいっすよね?」
「……ああ」
前にも、冷泉とは何度かこの店を利用している。
二人はドリンクバーで飲み物を取り、部屋へと向かった。
ペアシートはフラットなマットが敷かれていて、クッションも二つ置かれている。
壁にはテーブルがあり、そこにはミニタワーのデスクトップPCとモニター。
当然、二人が並んで座れるし、寝転がることも充分可能なスペースがある。
「じゃ、二人きりで秘密の指導をよろしくっす」
「怪しい言い方すんな」
ペアシートは、本来はどういう関係性の者たちが使うかは――春太はもちろん、冷泉も知っている。
実は、春太はこの夏から冷泉の家庭教師のバイトもしている。
冷泉も春太と同じ悠凛館高校を受験する予定で、もちろん塾には通っている。
その上、心配性の両親が家庭教師もつけたいと言い出したらしい。
冷泉自身は「やりすぎ」と反対し、「現役の悠凛館の人に教わりたい」というところまで折れた。
悠凛館の長所を聞いてモチベを上げ、合格者のメソッドを直接聞く、というやり方なら家庭教師もアリだと考えたらしい。
冷泉は、現役生の知り合いとして両親に春太を紹介し、面接を経て採用された。
知り合いの家庭教師とはいえ、正式な仕事で報酬も悪くない。
春太に断る理由はなかったし――
この仕事には、魅力的な役得がある。
「でも、この適度な狭さが落ち着くんすよね。家とかファミレスじゃこうはいかないっすから」
「まあ、冷泉が集中しやすいなら俺に文句はない」
冷泉は春太と肩がくっつくくらいそばに座っている。
この女子中学生の身体からは、甘ったるい香りがする。
春太のほうは、若干集中を削がれる環境だが――
勉強を教えるには声を出さないわけにもいかないので防音は必須。
邪魔が入っても困るので、鍵付きで料金が割り増しになるのはやむをえない。
「さて、まずは仕事だな。今日の分を出してくれ」
「はーい、先生」
ふざけて言いつつ、冷泉はカバンから数冊のノートと問題集を出してきた。
春太はノートと問題集をじっと眺めていく。
「ふーん……真面目にやってるじゃないか」
「そりゃ、もう十月っすよ。受験勉強も後半戦っすから」
「審判の日は嫌でも近づいてくるからな」
「破滅が待ってるみたいな言い回し、やめないっすか?」
春太はそれには答えず、引き続きノートと問題集を確認する。
しばらく、雑談を振ってくる冷泉を軽くあしらいつつ、一通りチェックを終えて――
「うん、だいたい予定どおりに進んでるみたいだな。これなら、俺は必要ないんじゃないくらいだな」
「必要なくても必要なんすよ」
「なんだそれ、謎かけか?」
「そうとも言うっすね。どっちみち、こっちは金を払ってるんで、仕事してもらわないと」
「払ってるのはおまえの親御さんだけどな」
「親の金は子供の金っす!」
「そうだとしても、おまえ遠慮なさすぎだ!」
春太は、頭が痛くなってきた。
冷泉とは、家庭教師を始めるまで二人で話したこともほぼなかった。
こんなに相手をするのが大変だとは思っていなかった。
「まあ、いい。それじゃ、説明を始めるぞ」
「拝聴するっす!」
ビシッと敬礼する冷泉。
真面目そうな外見なのに、ふざけた女子中学生だった。
春太は、直接多くを教えていない。
冷泉は塾での学習がメインだ。
春太は、自分の受験の経験を踏まえて“なにを勉強すればいいのか”指示している。
もちろん、そんなことは塾でも教えてくれる。
あくまで、実際に悠凛館の受験をくぐり抜けた人間が経験を踏まえた指示を下しているのだ。
塾の先生方は豊富な知識と経験を持っているが、実際に受験したわけではない。
春太は、自分がどんな勉強をしたのか記憶を探りつつ冷泉に説明している。
「……ふーん。今回もけっこうやること多いすね」
「後半戦だが、後半戦の序盤だ。今は分量を多くこなしておけ」
「ボク、二年の秋から塾通ってるっすけど、この夏に桜羽先輩の指導を受け始めて、マジで成績上がってるっすからね」
「下がられちゃ困る」
実際、今年の夏まで、冷泉の合格判定はギリギリだった。
塾からは志望校変更の提案もあったらしい。
しかし、春太に教わるようになってから、明らかに成績が急上昇した。
まだ油断は禁物だが、合格は射程内に入ってきている。
「ただ、やっぱりまだ国語が弱いな。もっとテクニカルに解けるようにならないと」
「てくにかる……」
眼鏡の冷泉は一見文学少女のようだが、本などほとんど読まないらしい。
日本語が苦手、とまで言っている。
悠凛館の受験は国語・英語・数学の三科目。
冷泉は英語と数学は高得点が充分狙えるので、国語にある程度集中できる。
春太は、首席合格のクラスメイトにも相談して、冷泉を合格させるためのプランを練っている。
二時間ほどかけて、実際に問題集を解きながら冷泉の改善点を解説して――
「ふいー、疲れたっす!」
「無理してでも悠凛館に入りたいんだろ。頑張れ」
「適当な励ましっすねえ……」
冷泉は、水をごくごくと飲む。
一杯目のアイスティーだけでなく、既に四杯のグラスをカラにしている。
「
「あいつ、勉強できるなんてマジで全然知らなかった」
氷川も、冷泉と同じく悠凛館高校が第一志望だ。
「ヒカは成績トップクラスっすよ。ショートで肌焼けてるんでスポーツタイプに見えるけど、実は営業スポーツ少女ですから」
「営業って……でもまあ、松風狙いは厳しいぞ。あいつ、背ぇ高いしバスケも上手いから女子に人気あるんだよな」
「えっ? あれ?」
「昔から、松風は特に後輩にモテるんだよな。年下殺しっていうか」
「……ヒカが松風先輩狙ってるって気づいてたんすか」
「俺も別ににぶくはないんだよ」
松風は、少なくとも春太よりはずっとモテる。
彼に熱い視線を送っている女子は、何人も見てきた。
「あー、いるっすよね。人のことには鋭いくせに、自分のことだとブタのようににぶい人。ぶーぶー」
「なんのことだよ……」
冷泉は、眼鏡の奥でじっとりした目つきをしている。
「でもまあ、桜羽先輩もバイクに後輩女子の名前をつけたりして、ボク狙いだと思われてるっすね」
「おまえのせいだろ!」
家庭教師の休憩中に、バイクの車種について冷泉に相談したことがあった。
冷泉はキャメルカラーのジョルノを気に入り、これしかないと押し切ってきた。
ちょうど程度のいい中古も見つけたので、春太は特にこだわらずに冷泉の意見に従った。
冷泉の家庭教師にもそのバイクで通っていたら――
ある日帰りに、“レイゼン号”という名前がシールで貼られていることに気づいた。
冷泉は席を外すフリをして、家の前に駐めてあった春太のバイクにそれを貼りつけたらしい。
選んだのは冷泉なので、この名がふさわしいと。
別に春太も怒りはしなかったが……。
「そんな話はいいんだよ。家庭教師は終わりだ。それじゃあ、本題に入るぞ」
「本題ねぇ……始めますか、“意見交換会”を」
ぐいっと冷泉が距離を縮めてきた。
彼女の肩が春太の腕に当たってしまっている。
「といっても、新しい情報はないっすけどね」
「実は、俺もたいしてない」
春太はスマホをテーブルに置き、その画面には写真アプリのサムネ一覧が表示されている。
すべてが、雪季の写真だ。
春太の写真フォルダには、晶穂、美波、松風たち学校の友人、それに隣にいる冷泉の写真もかなり多い。
それでも雪季の写真量は圧倒的だ。
実のところ、以前はあまり雪季の写真を撮っていなかったが、彼女が引っ越してから毎日のように本人から送られてくる。
1日に10枚ほど送信されることもあるので、雪季の写真が内蔵メモリを圧迫しつつある。
「ここ数日は、ずっとセーラーの写真ばっかだな」
「ウチに来るのもそうっす」
雪季は、春太と晶穂だけでなく、もちろん友人の冷泉と氷川にもLINEでメッセージや写真を送っている。
十月になって衣替えがあり、雪季の中学は紺色ワンピースの夏服から、黒いセーラータイプの冬服に変更になった。
意見交換会――
要するに、雪季に関しての情報をお互いに教え合うというだけだ。
家庭教師のオマケであるが、春太にとってはこちらが本題だ。
「まあ、これもフーは気に入らないみたいっすね。送られるたびに、スカートの長さが微妙に違うっす」
「え? あ、言われてみれば……つーか、1センチとか2センチの違いじゃねぇ?」
「あからさまに短くできないから、微調整してるんじゃないすか? フーってば、あきらめ悪いっすね」
そういえば、前の制服でも可愛く見える長さを見極めてると言っていた。
春太は、そんな何気ない会話を思い出す。
「あいつ、あっちの生活は不満多そうだなあ……」
「夏に会ったときは、元気だったっすけどね」
夏休みに、冷泉は氷川と二人で雪季のところへ遊びに行っている。
三泊四日で、川遊びやキャンプ、温泉を楽しんできたらしい。
「そういや、あのときの写真、先輩にはピックアップして送ったっすけど、全部は見せてませんよね」
「30枚くらいもらったっけな。まあ、冷泉たちが写ってる写真は特に興味ねぇし……」
「気を悪くするっすよ、ボク」
ずいっと冷泉が身を乗り出して睨んでくる。
「こんな大サービスショットだってあるのに!」
冷泉はスマホを操作して、一枚の写真を表示する。
露天温泉に浸かっている、冷泉の自撮り写真だった。
乳白色のにごり湯なので、胸から下はほとんど見えないが――
「なにしてるんだ、おまえは」
「リアクション、軽っ。女子中学生の入浴シーンっすよ!? 温泉回っすよ!?」
「なんだ、温泉回って。温泉にスマホを持ち込むのはいかがかと思う。他の客を写したら悪いだろ?」
「ここは貸し切りにできるんっすよ。ボクらも馬鹿じゃありません」
ボクら、というのは雪季と氷川もいるということだろう。
実際、氷川の顔がわずかに見切れている。
「あー、でも楽しかったなー。クッソ遠いことを除けば最高の旅でしたよ」
「おまえ、ずっとそれ言ってるな」
「マジでフーの家、遠かったっすから。途中で引き返そうかと思ったっす。ええい、今すぐ電車を逆走させい! って」
「大事故だよ」
とんでもないことを企む中学生だった。
「電車で三時間近くって、やっぱ遠いっすよ」
「ま、ご苦労だったな。本当に田舎なんだなあ。あいつ、髪型も制服も、田舎に染められてたし……」
「あー……」
冷泉は、今度はスマホに制服姿の雪季を表示させる。
川原のようなところで自撮りした写真だ。
「フー、“黒い髪はなんか重たい”とか“制服が幼稚園みたい”とか文句ばかり言ってましたけど、クッソ可愛かったっす。あいつ、元々清楚系ですし。野暮ったいというより、お嬢様っぽいっつーか。女のボクでも物陰に連れ込みたくなったくらいっす」
「おまえ、ホントに危険思想の持ち主だな……」
電車逆走に続いて、危なすぎる後輩だった。
「先輩も行けばよかっ――っと、女子中学生三人のハーレムは贅沢っすよね!」
「三人じゃ少ないな。もう二、三人追加してほしい」
「底無しっすね、先輩は……」
冷泉はごまかしたが、春太が“行かなかった”のではなく“行けなかった”ことは薄々察しているのだろう。
春太の両親は、息子と娘を引き離したい。
五月に引っ越して、一年も経たずに再会してもらいたくないだろう。
両親が期待しているのは、距離が離れることで二人の気持ちが冷めることだ。
だが、春太の気持ちは少しも冷めていない。
最悪の場合は両親の意図など気にせず、雪季を引き取るつもりだ。
とはいえ、今すぐに両親に逆らうのは悪手だろう。
今は、雪季とネットを通じて連絡できるだけで満足しておかなければ。
「しかし、フーもマメっすね。毎日ちゃんと写真もメッセージも送ってくるんすから。自撮りのスキル、上がりまくりっすよ」
「今日のこれなんて、三脚に固定して撮ってねぇ?」
冷泉のスマホに、今日送られてきたばかりの写真が表示された。
これも川原で撮った写真で、黒セーラー服姿の雪季が微笑んでいる。
いい感じに長いスカートが風でめくれ、ずいぶんと映える写真だ。
「フー、ボクらに写真を送るためだけに頑張りすぎじゃないっすかね……勉強してないんじゃないっすか?」
「おい、それ考えないようにしてたんだから」
春太は、雪季が欠かさず連絡してきてくれるのが嬉しい。
とはいえ、雪季は受験生。
毎日、凝った自撮りをしている暇があったら勉強するべきだろう。
「ね、桜羽先輩」
「ん? うおっ!」
冷泉は、ぴとっと春太に寄り添うと互いに頬をくっつけて――構えたスマホでパシャリと写真を撮った。
「さらに、こんなのも!」
「おっ、おいっ!」
冷泉は勢いよく飛びついてきて、春太はフラットシートに押し倒されてしまう。
後輩女子は、仰向けに倒れた春太に抱きつくようにして、またパシャリと。
むにっ、と中学生らしい適度なふくらみが押しつけられてくる。
「なにしてんだよ、おまえは!」
「これは、フー激オコ案件っすわ」
「煽ってどうすんだよ!」
完全にバカップルのイチャイチャツーショットだった。
しかも、冷泉は手際よくLINEで雪季に送っている。
「あ、既読ついちゃったっす」
「そりゃつくだろ……」
雪季に今の写真を見られたのが、怖すぎる。
春太は、フラットシートに横になったまま起き上がる気にもなれない。
横に寝転がっている冷泉は、クスクスと笑っている。
「フーってば、引っ越してからLINE既読つくの爆速なんすよね。まるで待ち構えてるみたいに」
「そんなことより、返事は?」
「んー、来ないっすね。あいつ、怒ると会話が途切れるタイプなんすよ」
「俺とは会話途切れたことねぇけど……」
雪季は、友人たちの前では別の顔を持っているらしい。
「いつだったか、ヒカが“桜羽先輩より松風先輩のほうがモテるよね”みたいなことをLINEで言ったら、フーのヤツ、そのあと3日間既読スルーっすよ」
「マジか」
「しかも、教室では何事もなかったようにヒカと普通に話すんすよ。怖くないっすか?」
「……怖ぇな」
LINEでもリアルでもスルーされるほうがまだマシだ。
春太は、雪季の意外な一面に驚いてしまう。
「そうだ、CS64でしたっけ。夏にフーの家に行ったときに、みんなで遊んだんすよ」
「あいつ、ゲーム機買ったのか」
春太と雪季が共用にしていたゲーム機は、桜羽家にある。
ゲーマーの雪季は桜羽家に残していったものの、やはり我慢できなくなって買ったのだろう。
雪季がゲームを楽しんでいることを聞いて、春太はほっとする。
「ヒカが、フーを驚かせようとしてめっちゃやり込んでいって、フーをボコったんすよね」
「氷川も受験生だよな? なにやってんだ、あいつ」
それでも成績優秀なのだから、たいしたものだ。
「そのときも、フー怒っちゃって。ムキになってヒカとずっとやり合ってたっす。ボクは苦手なので見物してたっすけど」
「そりゃ悪かったな。せっかく遠くまで行ったのに、一人だけ蚊帳の外――」
「別にかまわないっす。ムキになってるフー、可愛かった――って、どうかしたんすか?」
「……おまえら、雪季の家でCS64やったのか?」
春太は、横に寝転がっている冷泉の顔をじっと覗き込む。
「わっ、近いです……近いっす。あ、遊びましたけど……どうかしたんすか?」
「いや、なんでもない。俺、SSランクだけど雪季はランクどうなったのかと思ってな」
「ランク……なんか言ってましたけど、ボクはよーわからんので」
「だよな」
春太は寝転んだまま、天井を見上げる。
なにかが頭に引っかかっている。
それがなんなのか、少し整理すればわかりそうだ。
春太は妹と遊び回っていても、進学校に合格できる頭脳を持っている。
決して馬鹿ではないし、にぶくもない。
答えはすぐにでも出てきそうだが――その答えが、少し怖かった。
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