裂けては通れません!

春野 土筆

第1話 この人を裂けては通れません

 多くの人が行き交うビル街。

 僕は自分が出せる一番早い速さで人々の間を駆け抜けていた。

「ヤバいな、このままじゃ……」

 今日からバイトだっていうのにいきなり初日から遅刻しそうになっている。どうやら昨日夜更かししすぎたのが響いてしまったらしい。

 疾駆する足に力をこめる。

 入って早々店長から説教を受けたくない。

 だが腕時計を確認すると、時間はもう十分を切っていて。

 このまま行けば遅刻はほぼ決定的だ。

 これはアレを使うしかない。

 僕は進行方向を90度回転させ、ビルとビルの間にある薄暗い通路を通ることにした。

 色々と置かれた荷物やらゴミやらを掻いくぐって通路を進んでいく。

 居酒屋の匂いやごみのにおいが充満するここは、知る人ぞ知る抜け道で。誰かとの待ち合わせや会議に遅れそうなサラリーマンもよく使っている緊急手段だ。

 今日は僕もこの路地裏を活用させてもらう。

 これなら間に合うだろう。

 物を避けながら進んでゆく。

 そしてやっとゴールである反対側の通りが見えてきたところで、この通路の先に何やら人らしきものが道を塞いでいることに気付いた。

 近くまで行って見ると女の人のようだ。

 真っ白いワンピースを着た女性が目の前に立っている。

 このご時世マスクをつけているせいで顔ははっきりと分からないが、ぱっちりとした瞳をしており、年齢は20代くらいに見えた。

 彼女の双眸は迷いなく、まっすぐに僕を見据えて離さない。

「あの、すいません。道を開けて頂けませんか?」

 不気味な感じを覚えた僕は、さっさとその場を離れようと彼女に道を開けてくれるように頼むが。

「ねぇ、私ってきれい?」

 僕の言葉を無視して彼女は質問をぶつけてくる。

 今それどころじゃないんだけどな……。

「ああ、うん。きれいなんじゃないですか」

 適当に返事する。

「だから早く開け――」

 それよりもこっちは速く道を開けてほしい。僕は彼女に詰め寄ってさっき言った事を繰り返した。

 だが彼女はそんな俺からの頼みをさらに無視し。

「これでも――――」

 自分のマスクを外そうと、左の耳に指をかけた。

「ちょっと待って!」

「な、何よっ」

 咄嗟にマスクを外そうとする彼女に声をかける。

 それがちょっと大きな声だったせいか、少し驚いた彼女はマスクを外そうとする手を止めて怪訝そうな声を出した。

 僕はため息をついてから。

「今のご時世、人前でマスクを外そうとしちゃダメですよ?」

「あっ、はい……」

 大声を出した理由を説明する。

 マスクを着けて外出するのが必須ともいえるこの時代に、自らマスクを外そうとする行為は極力しない方が良いだろう。

 僕は彼女に説教じみた感じになりつつもマスクをつけることの重要性を話した。

 話し終え、再び腕時計を確認する。

 残り五分しかない!

「あの、本当にどいてもらえますか?」

「ああ、ごめんなさい……」

 彼女はおずおずといった様子で、立ち塞がるのをやめて僕に道を開けた。

「ありがとうございます」

「邪魔して悪かったわね……」

 謝る彼女の横を颯爽と通り過ぎる。

「……ってちがーーう!」

 そして通り過ぎようとした瞬間、何かを思い出したように彼女は僕の背中に向けって叫んだ。

 ギョッとして振り返る。

「私は口裂け女よ……そのままスルーされても困るわ」

 マスクを着けたまま彼女は話し始めた。

「口裂け女って、あの?」

「そうよ」

 最初の時のような不気味なオーラを纏いながら僕と対峙する自称・口裂け女。

 マスクをしているからその真偽は分からないけど。

「ち、ちょっと待って……」

 口裂け女と言えば、べっこう飴が大好きだという事は聞いたことがある。

 僕は急いで手持ちの鞄をがさがさと漁った。

 しかし、お目当てのものがなかなか見つからない。

 うーん、この中に入れてはずだけどな……。

「も、もしかしてべっこう飴を探しているの?」

 律儀に僕の「ちょっと待って」を待っていた彼女は、しばらく経ってからおずおずとした様子で尋ねてきた。

 見つからないので、再び彼女に「待ってね……」と適当に返しながら探していると。

「あっ、あった!」

「べっこう飴あったのっ⁉」

 見つけたことを告げると、彼女はテンション高く返事をした。

 顔を見るととても嬉しそうだ。

 そんなに嬉しそうにしてくれるのなら探した甲斐があったというもの。

 鞄から出して彼女に見せる。

「ハイ〇ュウ」

「何でやねんっ!」

 見せた瞬間。

 パーンと手からハイ〇ュウがはじかれ、そのまま拾う間もなく地面に落ちた。

「僕のハイ〇ュウが……」

「なんでべっこう飴じゃないのよ⁉」

 地面に落ちたお気に入りのハイ〇ュウ・ストロベリー味を眺める。

 しかし彼女の方はそんな僕をよそにべっこう飴じゃなかったことを必死に訴えていた。

 人がハイ〇ュウをあげたのにそれを無下にするなんて……。

 僕はしれっとした風に彼女に吐き捨てる。

「今どき、べっこう飴なんて持ってないよ」

「な、何ですって……」

 その一言に彼女の目が大きく見開かれたと思うと、力が抜けたようにその場にへたり込む。そして、頭を抱えて「べっこう飴を持ってない……⁉」と信じられないようにブツブツ独り言を言っている。

 この一言が意外と効いたようだ。

 べっこう飴を持っていないことに対する衝撃が思ってた以上に大きかったらしい。

 てか、1970年代でもそんな持ってる奴なんていなかっただろ。

 そう言おうとしたが。

 彼女は今へたり込んで、すぐには動けないじゃないか。

 これは丁度いい。

「それじゃあ僕、急いでるんでこれで」

 彼女が頭を抱えている今がチャンスだ。

 僕は口裂け女さんを後にして、バイトに向かうべく路地裏を抜け出した。

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