隠遁者の森④

 地下大聖堂。最奥さいおう


 押しよせる何十体ものゴースト。スケルトン。レイス。ありとあらゆるアンデッドの群れ。


「瞬殺ッ!」


 アデッサの剣の一振りでゴーストはき消え、スケルトンは崩れ落ち、レイスが断末魔だんまつまをあげる。【瞬殺の紋章】は対象に命があるか否かなど問題とせずに敵を、殺す。不死という属性すら覆し、殺す。それが魔法で動く石像であろうとも、たとえ機械であろうとも、殺す。


【瞬殺の紋章】から噴き出した赤い古代文字の帯は敵を殺すよろこびに震えるかのように宙を舞った。


 しかし、アンデッドの群れは倒しても倒しても、ふたたび押しよせてくる。


「くッ、きりがない!」


 そう吐き捨てながらも、アデッサの瞳の輝きはまだ失われてはいない。

 だが、すでに体は汗に濡れ、息は上がり始めている。


 ――このままでは……、一旦引くしかないか。


 そんな考えが頭をよぎった瞬間、アデッサの判断に迷いが生じた。その僅かな隙に、討ち漏らしたスケルトンが襲い掛かる。スケルトンが振り下ろした剣が右肩を掠めた。


「――ッ! 瞬、殺ッ!」


 返す刀でなぎぎ払う。スケルトンは粉々に砕け、その破片は床に吸い込まれてゆくように消えて行った。


 アデッサは大きく息を切らせ、ひざをついた。剣を地にして体を支える。左手を右肩の傷口へ当てた。かすり傷ではあるが、思っていたよりも深い。疲労と酸欠さんけつで目の前がくらくらする。


 だが、休んではいられない。

 視線を上げると、すでに次の敵の波が押し寄せてきていた。


 歯を食いしばり立ち上がり、ふうっと大きく息を吐く。

 その一息で、呼吸と気持ちを整えた。


 隊長――【赤のパーティ】のリーダーである女剣士の教えを思い出しながら剣を構える。


 静かな気持ちと、静かな呼吸でなければ、到達できない心の中の領域がある。怒りや焦りから解放された、その静かな領域に身を置きながら、剣を振る。そのとき、その技は完成する。


 アデッサの琥珀色の瞳が冷たい輝きを放つ。右腕の【瞬殺の紋章】から赤いルーン文字の帯がき出し、アデッサの周囲を取り囲んだ。


 正に目にとまらぬはやさで【王家の剣】が放たれる。

 追いかけるように、刃鳴はなりがあとに続いた。


「瞬ッ殺ッ!」


 そのひと声で、押し寄せたアンデッドが全滅する。



 どれぐらいの時間が経過しただろう。

 アデッサはふたたび、床に膝をついた。


 その体は何度も敵の剣を受けて血にまみれ、瞳の輝きは消えかけていた。

 手や足は敵の刃に塗られていた毒におかされ、痺れはじめている。


 これが敵の罠であることにはとっくに気づいていた。そして、どれほどの数のアンデッドをけしかけようとも、すべてを倒し切れば問題ないとたかくくっていた。


 だが、明らかに異常だ。たとえ高位の死霊使いネクロマンサーが数人いたとしても、ここまでの数のアンデッドを呼び出し、従えることなどできないはずだ。


 ――可能性は、一つしかない。


「……そこの者!」


 アデッサは崩れた祭壇さいだんかげへ視線を向けた。


「この力【神の紋章】の使い手であろう!」


 アデッサの声とともに、アンデッドの群れの襲来が止んだ。

 聖堂にアデッサの荒い息遣いだけがひびく。


 しばしの沈黙ののち、崩れた祭壇の陰から白い修道着をまとった聖職者が姿をあらわした。


 忘れもしない、リンドウと同じ修道着。ダンチョネ教の教徒だ。だが、リンドウが纏っていたそれとは違い、修道着にはくっきりと赤いラインがあしらわれていた。


「フッ、気づいたか」


 聖職者の声が聖堂に響く。靴音を響かせて数歩アデッサに近寄ると、次第にその容姿が明らかになってゆく。赤毛のウルフカット。鋭い眼光。キリリとした顔立ちの女性。大きく張った胸元。年の頃は、二十代か。


「――!? あなたは!」


 ――クソッ、ダフォの言うとおりじゃないか。チョイトへの近道だといってこの森へ誘い込んだのはコイツだ。ダンチョネ教、リンドウの仲間かッ!


 アデッサは聖職者をにらみつけた。

 だが、疲れ切った目の焦点は合わず、視界がにじむ。


「フッ。カトレア様が目にかけている『瞬殺姫』とやらがどれだけのものなのか、試させてもらったが……他愛たあいもない。あの魔王をほふった【瞬殺の紋章】といえども無敵ではあるまいとは思っていたのだが、こうも簡単につぶせるとはな」


「カトレア……ダンチョネ教の女教皇か」


「いかにも! 我はダンチョネ教僧兵長サザンカ。サザンカ・ズンドコソレソレ!」


 アデッサはサザンカの名乗りを受け、立ち上がる。


 ――腕が重い。足が動かない。意識が……遠い。


「我が名は瞬殺姫、アデッサ・ヤーレンコリャコリャ! サザンカ、その力――、霊界の扉を開き死者を自在に操る【審判の紋章】と見たッ!」


 アデッサは震える手で、サザンカに向けて剣を構え、名乗った。


「ほう。王女の命乞いでも見れると思ったが……死を選ぶか。それでいい。死んでしまえば貴様の死体はこの私の思うがままに操れる。その死体がちるまでたっぷり使ってやるぞ」


「この【瞬殺の紋章】が狙いかッ! 【神の紋章】を使い世に害を為す悪辣あくらつめ! 女神の名のもとに、我が紋章に裁かれよ!」


 サザンカはアデッサの問いかけにはまるで動じずに言い放った。


「世に害? 世に害を為しているのは貴様だ、瞬殺姫! 我々ダンチョネ教の望みはただひとつ、世界の幸せ!」


「世界の……幸せ!?」


 ――なんだ、と?


 意外過ぎる言葉にアデッサの思考が空転する。

 なぜ、世界の幸せを望む者が、自分を罠にかけなければならないのか。

 理由がまったく見当たらない。


「カトレア様の望み! それは世界の幸せ! アデッサ、瞬殺姫よ。その曇った目を開いて世界を見てみろ。貴様が魔王を倒したそのあと、愚かな人類が取った行動はなんだ?」


 サザンカの言葉に熱が入る。


「魔王なきいま、『世界の幸せ』を求める心さえあれば、

 平和な暮らしは、慈愛じあいに満ちた暮らしは、

 いつでも手に入るはずなのだ!


 だが……実際はどうだ?


 人類はそれを求めようとはしなかった。

 愚かな人類どもは魔王へ向けていた剣を、

 こんどは愛すべき隣国へ向けようとしているのだ!

 たかだか経済のために、飽食の欲望のためにッ!」


 アデッサは呆然ぼうぜんとサザンカの言葉を聞いていた。


 ――なんだ……いい人、じゃないか。


 いい人が、私を退治しにきた、ということなのか?

 私は……私はそんなに、悪いのだろうか。


 これでは……私が魔王のようではないか。


 ……そうなかもしれない。


 ソイヤも、そんなことをいっていたような気がする。

 警備隊長も、そんなことをいっていた気がする。

 街のひとびとも、領主も、そんなことをいっていたような……。


 そうか……。


 私が居なければ、私さえ居なければ、世界は幸せに……。


 ……本当だろうか。


 けど、皆がいうならば……そうなのかもしれない。


 薄れゆく意識のなかで、辛うじて剣をかかげるアデッサの心にひとつの答えが浮かぶ。


 ――私がこの人に殺されれば、世界が幸せになるのなら、よかった……。


 アデッサの心の中に残されていた、敵へあらがとげが溶けてゆく。


 ――けど……まだ溶けずに残っているこの塊は……なんだったっけ?


 心の中の諦めとともに下がりはじめていた【王家の剣】の切っ先がぴたりと止まった。



 サザンカはなおも続ける。


「だからこそ!

 我らダンチョネ教は麻薬で国力を奪い、戦争を加速させ、

 愚かな人類ども同士を殺し合わせ、殺し、殺し、殺しまくるのだ!

 そして汚れた者どもを始末したのちに、

 清純な心を持つ子供たちだけが生きる世界を創る……」


 サザンカはうっとりとした表情で宙を仰ぎ見た。


「これぞ、カトレア様の【人類半殺し計画】! 我々はこの世にはびこる愚かな人間どもを皆殺しにし、世界を浄化リセットするのだッ! フフフ……ハハハハハ!」


「……」


「貴様にはカトレア様の偉大な計画をとどこおらせた罪がある。苦しみながら死ね、アデッサ!」


「……あんぽんたん」


「なんだと?」


 アデッサはぴんと背筋を伸ばし、切っ先をサザンカの目へ向ける。

 ヤーレン王家に伝わる決闘の構えだ。


 もうその手は震えていない。瞳は異様な輝きを取り戻し、表情は無慈悲な獣のように隙がない、体は触れれば切れるほどの気迫に満ちていた。右腕の【瞬殺の紋章】から赤いルーン文字の帯が噴き出し、宙を舞う。


 気圧けおされたサザンカが半歩後ずさった。


「そんな悪だくみを聞いて、おちおち死んでられるかアホ聖者ッ! 【賢者の麻薬】を作ってたのは貴様らだな! ソイヤのかたきだ! 今すぐ瞬殺してやるッ!」


 アデッサは声の限り叫んだ。

 だが、体力は既に底をついている。


 ――奴に触れられれば、髪一本でも触れられれば、私は奴を瞬殺できる。だが……。


「フッ。言い残すことはそれだけかッ!」


 サザンカはニヤリと笑うと修道着の胸元を大きく開いた。


 あらわとなった豊満な乳房の谷間に刻まれた【審判の紋章】から黒い古代文字の帯が噴き出し、宙に魔法陣を描く。魔法陣に囲まれた空間が闇に染まる。これが【冥界めいかいの扉】。無数のアンデッドはこの闇から召喚され、サザンカに従ってアデッサを攻撃していたのだ。


 啖呵たんかは切ったものの、アデッサにはもう一度アンデッドの群れと戦うだけの力は残されていない。視界が白くかすんでゆく。


 ――これまでか。ごめんよ、ソイヤ。私には幸せな世界はつくれなかった。


 アデッサが心の中でつぶやいた。

 すると……背後から何かが駆け寄ってくる音が聞こえた。

 振り返る気力は、すでにない。


 ――後ろから、新たな敵か? もう、ゴースト一体を相手にする力さえ残っていないのに。踏んだり蹴ったりじゃないか。


 アデッサの瞳がふたたび輝きを失う。

 体がぐらりと揺れ、天井が見えた。

 一歩踏み出して、辛うじて体をささえる。


 もう、これで最後。

 そう思った瞬間――


「ダフォディル……」


 口からこぼれ出たのは、大好きなその名前。

 まぶたに浮かんだのは、大好きなその笑顔。


 やっと気づいた。

 これが、心の中で、溶けてしまわずに残っていたもの……。


「ダフォディル……」


 アデッサはもう一度そう呟くと、目の前に浮かんだダフォディルのまぼろしへ手を伸ばした。


「……ぁぁぁ」


 背後から迫る足音に、何かの鳴き声が混じる。

 いや、これは鳴き声ではない。

 悲鳴だ。


「ぎやああああああああああああああああ!」


 バタバタという足音をたてながら近づく悲鳴。

 アデッサが反射的に振り返ると、そこに居たのは――


 涙をちょちょ切らせ悲鳴を上げながら走ってくる、ダフォディル。

 ……と、ダフォディルを追いかける爺さんと、村人たち!?


「ダフォディル!?」

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