第3話 独白

 小さなころ人の感情が分かると言うと、いつも多くの人から笑われた。


 私には昔からその人の顔を見れば、その人が自分に対してどんな感情を抱いているのかがおぼろげに分かったのだ。


 例えば幼稚園の先生から向けられていた優しさと、暖かさ。だが、それと同時に園児のことを疎ましく思っているような先生。


 そういうのが、分かった。

 私にはそれが当り前だった。


 だけど、それは当り前では無かった。

 次第に私は『不思議ちゃん』と呼ばれてみんなから避けられるようになった。


 だからいつの日からか、そう言うことは無くなった。

 ただ、周りと同じように振る舞って同じように取りつくろった。

 

 けれど、どれだけ願っても、どれだけ祈っても。人の顔を見れば、その人が自分にどのような感情を抱いているのかが分からなくなることは無かった。


 小学生の高学年になると、自分に対して突き刺さるような嫌な感情で見られることが増えてきた。それが、下心だと気が付くのにそう時間はかからなかった。


 だから、友人を作れなかった。

 近寄ってくる人の中に、純粋な気持ちで来た人なんていなかった。


 私を利用しようとするか、それとも私に何かのを求めている人たちしかいなかった。


「……秋月君は、不思議な人」


 頂いた一番風呂に身体を預けながら、私はぽつりと呟いた。


「優しい人、なんだろうな」


 公園で私に提案する前に、彼が抱いていた感情は疑問と警戒だった。


 どうしてここに?

 というのが、彼の心境を表す言葉として、ぴったりだと思う。


 その後の提案……「ウチに来ないか?」という提案には何一つの劣情が含まれていなかった。


 あんなに、純粋な気持ちで好意を向けられたのはいつぶりだっただろう?

 それは子供のように純粋な「心配」だった。


「全然、似てなかったな」


 ぽつり、と呟く。


 彼のことを自分と似ていると思ったのは、音楽の授業で初めて顔を見た時だった。


 挨拶を行った時にいつものように晒される興味・嫉妬・劣情の視線の中で、ただ空っぽの視線があった。その視線の主が、秋月君だった。


 それに、少しだけ似ていると思ってしまった。

 その空っぽな視線が。


 きっと、彼も何かが上手く行ってないんだと思った。

 親か、友人関係か、それとも恋人か。


 自分のことで手いっぱいになっている時は、誰かに興味を持つことなどできない。だから、私と同じで秋月君も困っているものだと思っていた。


「秋月君の方が、大変なのに」


 家出したことが、なんだか馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 ひどく子供っぽいことのように思えてきて、恥ずかしくなった。


 秋月君は両親がいなくて生活費も自分で稼がないといけないのに、そのことをおくびにも出さず学校生活を送っていた。


「凄い……な」


 自分には、絶対に真似できないと思ってしまう。


 そして、しばらくお風呂場の天井を眺めていたが、


「早く出ないと」


 とめどなく溢れる考えを打ち切って、私は立ち上がった。

 秋月君がまだお風呂に入っていないからだ。


 タオルで身体を拭いて秋月君の古いジャージに身体を通すと、髪の毛の水気を取って脱衣室から出た。


「秋月君。お風呂いただきました」


 しかし、返事がない。


「秋月君?」


 リビングに向かうと、秋月君がソファーに横になっているのが見えた。全然反応しないので、もしかして……と、思いながら近寄ると、秋月君は眠ってしまっていた。


 地面に落ちたスマホからは、連続再生の動画が垂れ流しになっている。


 私はスマホをスリープモードにすると、秋月君の耳につけられたままのイヤホンを外した。


「秋月君? お風呂、どうしますか?」

「…………」


 返事はない。

 秋月君はすっかり眠っているらしく、私は困ってしまった。


「どうしよう……」


 暖房が入っているとはいえ、まだ肌寒いこの季節に何もかけずに寝てしまえば風邪をひいてしまう。


「あっ」


 ソファーの端のほうにブランケットが畳まれていたので、私はそれを拾うとそっと秋月君にかけた。


「おやすみなさい」


 秋月君は何も言わずに、ソファーの上でもぞりと動いた。


□□□□□□□□□


「……やべ、寝落ちした」


 俺は目を覚ますなり、寝落ちしたことに気が付いた。

 そして、自分の上にかけた覚えのないブランケットが載っていることも。


 七城さんがかけてくれたんだな、と寝ぼけた頭で考えながら立ち上がる。


「すぅ……。すぅ……」


 ふと、隣をみるとラグの上に横になって眠っている七城さんがいた。


「何をやってるんだ。俺は……」


 来客にちゃんとした寝床も提供せずに、バイト帰りで疲れていたからとはいえ寝落ちしてしまうとは。


「シャワーでも浴びるか……」


 せっかく張ったお湯も、もう冷めてしまっているだろう。

 だが、それよりも先に七城さんを、ちゃんとした寝床に連れていく方が先だった。


「七城さん、起きて」

「……もう、朝?」


 敬語じゃない七城さんにちょっとだけドキっとした。


「朝じゃないけど、ごめん。ちゃんとベッドに案内するから」

「ベッド……? あっ」


 その時、七城さんは自分がどこにいるのかを思い出したらしい。

 がばっと勢いよく起き上がった。


「ご、ごめんなさい! 勝手に寝ちゃって……」

「いや、俺が悪かったよ」


 俺は謝りながら立ち上がると、七城さんを二階に連れて上がる。


「ここのベッドを使って良いから」

「秋月君はどうするんですか?」


 連れて来たのは、亡き母の部屋だった。


 とはいっても、母親が死んでから遺品整理やら何やらで部屋の姿はかなり変わっており、今では来客用の部屋になっている。


 来客とは言っても来るのは岳くらいだし、岳が泊まるときはそこら辺で雑魚寝なので、このベッドを使う者はいない。


「俺は俺のベッドがあるから、大丈夫だよ」

「では、お言葉に甘えて。おやすみなさい」

「お休み」


 七城さんは眠そうにあくびを噛み殺すと、部屋の奥に入っていった。


「さっさとシャワーを浴びよ」


 一階に降りて、スマホで時間を確認するとまだ朝の2時だった。


 岳から『マジで宿題見せて』と土下座の絵文字入りで追撃のメッセージが入っていた。


 仕方ないので、この間撮った岳の変顔写真を送ると、すぐに『消せ』というメッセージが返ってきたので、まだ起きてるのか……と、思いながらその返信を無視してシャワーを浴びた。

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