ハナザ村 2
男爵という思っていもみない言葉に、メイは言葉の意味を測りかねているようだった。何かの罠ではないかというような警戒した目でエルザを見る。
リンの母、ロゼッタが今まで何も言っていなければ、まさかリンの父親が貴族であったなどと思うはずもない。
「叔母さん、お母さんに会いたい」
「え、ああ、そうね」
リンの言葉で我に返ったメイは、家の扉を開いた。
「どうぞ」
「エルザさん、こっちよ」
リンに案内されて、エルザはメイに軽く頭を下げてから中に入った。
そもそも、リンとエルザの関係も説明が難しい。メイの怪訝な顔もやむを得ないところがある。
扉を入ってすぐは、広い土間があり台所を兼ねていた。テーブルと椅子もおかれているので、どうやら食堂も兼ねているらしい。居住空間はその奥だ。
一つはロゼッタの寝室、もう一つはリンの寝室になっているらしい。
「お母さん、私よ。入るわね」
リンが声をかけると、「リン?」という弱弱しい返事があった。
リンはそのまま扉を開く。薄暗い部屋には、ろうそくが灯してあった。おそらくメイが灯したものであろう。
窓際のみすぼらしいベッド。サイドテーブルには水差しとコップ。小さな衣装だなはあるものの、全体的にはガランとした部屋だ。
「お母さん」
リンが駆け寄ると、ロゼッタはゆっくりと身を起こしてリンの身体を抱き留めた。
「メイから聞いたわ。何もわからない帝都に一人で行くなんて、なんて無茶なことを」
「ごめんなさい。でも、私もお父さんに会いたかったの」
リンは母親の身体を支えながら微笑む。
エルザは二人の邪魔をしないように、そっと母親の様子を観察する。
年を取りやつれているけれど、魔道映像機の女性に間違いない。フィリップ・カーナルと一緒に映っていたのは間違いなく彼女だろう。
メイは戸口で、リンとエルザを見ている。
「私がんばったの。どうしたらいいかわからない時にいろいろな人に助けてもらって。でも、お父さんには会えなかった」
リンの目に涙が浮かぶ。
「リン……帝都は広いのよ? 見つかるわけないわ」
やせ細ったか細い腕で、ロゼッタはリンを抱きしめた。
「ううん。違うの。お母さん。お父さんには、もう二度と会えないの」
リンは首を振った。
「お父さん、フィリップ・カーナルっていう人は、十四年前に事故で亡くなったそうなの」
「え?」
リンの言葉にロゼッタは絶句した。
それは思ってもみなかった言葉のようだった。
身を引いたロゼッタは、フィリップは既に家庭を持って幸せに暮らしていると信じていたに違いない。過去を謝罪したいというのは本当だろうけれど、それですべてが元に戻ると思っていたわけではないだろう。
謝罪をすることすら、もはや不可能な事態は考えたこともなかったに違いない。
「ブルン村の近くで事故に遭われたそうです。カーナル男爵、フィリップさまの弟さんからお話をお伺いいたしました」
エルザはそっと口を開いた。
「亡くなって?」
ロゼッタは目を見開いた。
「カーナル男爵のご両親が、お二人を引き裂いたと知って、フィリップさまはあなたを探されていたと伺っております」
「ブルン村……」
ブルン村はハナザ村から近い。
「ああっ」
ロゼッタは声をあげて泣きだした。
「私の……私のせいでっ」
「お母さん、お母さん」
リンとロゼッタは泣きながら抱き合う。失われたモノは二度と戻らないのだ。
「カーナル男爵は、ロゼッタさんを帝都の医者に診せたいとお考えです。私はそのために、リンとこちらに参りました」
「あなたは、男爵さまの関係者のかたですか?」
ロゼッタがエルザの方を見る。貴族には見えないエルザが何者か測りかねるのは当然だろう。
エルザとしても、ここに来たのは本当に成り行きで、自分はカーナル男爵の身内でもなんでもない。
「違うよ。エルザさんは、帝都で倒れそうになった私を助けてくれた人なの」
リンは涙を拭いて、母から身体を離した。
「私はカーナル男爵から、あなたとフィリップさまが映った魔道映像機をたまたま修理をした錬金術師です」
「魔道映像機……」
ロゼッタは心当たりがあるらしい。
「リンが、貴族さまのお子だったなんて」
メイは驚いた声を出す。
「……それで、姉さんは誰にもそのひとのことを話さなかったのね」
長年の疑問が解けたというように、メイは頷いた。
フィリップが亡くなったことにショックを受けたのか、ロゼッタの顔はやや青ざめている。病人であるのに、少々きつい話だったかもしれない。ただ、きちんと話さなければ、帝都に連れて行くこともできないし、遅かれ早かれ知ることではある。
リンはロゼッタの身体をベッドに寝かせ、母親の頬をなでた。
「ごめんね。リン。あなたにお父さんのことを何も話してあげなくて」
ロゼッタは哀し気に目を伏せた。
「母さんね、あなたがいればそれで良かったの。フィリップさまにはもっとふさわしい人がいると思ったから」
「リンがお腹にいることは気づいていらっしゃったのですか?」
余計なこととは思ったが、エルザは訊ねた。
「ええ。でも、フィリップさまもフィリップさまのご両親もご存じなかった。知られたらリンを取り上げられてしまうと思ったの」
リンはカーナル家にとっては血縁である。フィリップが結婚し子が生まれれば別だが、そうなるまではカーナル家にとっては、大事な子供だ。
「もちろん、今思えば、その方がリンは幸せだったかもしれない」
「お母さん!」
「過ぎたことを悔やまれているとお体に触ります。リンはとてもいい娘さんです。あなたと一緒にいたからこそ、健やかに育っていると思いますよ」
エルザの言葉に、リンは恥ずかしそうにうつむいた。
「ロゼッタさん、私は医者ではありませんが、薬を扱うことは得意です。いつも飲んでいるお薬、病気の症状や、お医者様のお話などを話してくださませんか?」
エルザは、かばんからノートとペンを取り出した。
「エルザさん?」
リンが驚いた顔をする。
「リン、私がここに来たのはあなたの付き添いではなくて、ロゼッタさんの付き添いなの。錬金術師として、私は役に立つわ」
エルザは微笑する。
「錬金術師って、そんなこともできるんですね」
リンは目を丸くした。
「薬は錬金術師の一番の収入源なの。とはいえ、一番売れるのは傷薬とかだけれど」
「騎士さまはそこからなんですね」
くすくすとリンが笑いだす。
「……今、アレックスは関係ないと思うわ」
「私、
「大人をからかってはダメよ」
エルザはリンを注意する。
ただ顔が赤らむのを止めることは出来なくて、アレックスを知らぬロゼッタとメイにまで、エルザの心を教えてしまった。
「さあ、始めますよ」
エルザは首を振り、仕事を始めることにした。
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