手がかり

 日は傾き始めているが、人通りはまだ多い。

 騎馬が珍しいわけではないが、家に近づくにつれ、エルザは気が気ではなくなってきた。

 近所の人間は、アレックスの顔も知っているから、騎馬に二人乗りの状況を目撃されたら、あっという間に噂になってしまうだろう。

 エルザもアレックスもそれなりの年齢なので、揶揄してからかわれることはもうないかもしれないけれどエルザはともかく、アレックスは騎士だ。そんな噂を立てられたら、困るのはアレックスの方だと思う。

 そうは思っても、恋心を自覚してしまったエルザは、知らぬ顔をできる自信が無い。何か聞かれた時、口で否定しても、顔には出てしまう気がする。

 アレックスには申し訳ないけれど、『お似合いだった』などと言われたら、それが本音でないとわかっていても、嬉しく思ってしまうだろう。

 とはいえ。騎馬に二人乗りすることになったのは、エルザの意志ではなく、アレックスの意志だ。

 エルザとならば、噂になることもないとアレックスは思っているのかもしれない。            冒険者だった頃ならともかく、現在のアレックスは騎士で、エルザと釣り合う身分ではない。噂になるかもしれないなどと思うのは、エルザの自意識過剰と言われればその通りだ。

 そう思うと胸が痛い。

 気持ちを意識したからと言って、アレックスとの仲を一歩先に進める勇気はエルザにはない。

 少なくともエルザがこの想いを隠している間は、今までと同じのはずだ。エルザにとって、大切だからこそ、現在の距離を保ちたいと思う。近くなれば近くなるほど、自分に余裕がなくなってしまうのが、目に見えている。

 気持ちを意識する前から、エルザはアレックスに翻弄されていた。

 仕事だけの人生だったエルザに恋の駆け引きなどできる訳はなく、突っ走ったら最後、アレックスに退かれてしまう未来しか見えない。

 失恋が怖いというより、その後、アレックスとの交流が途絶えてしまうことをエルザは恐れている。

 アレックスは大人だから、たとえエルザの気持ちを受け入れられなくても、距離を保って付き合ってくれるかもしれないと思うが、今のように接してくれることはなくなるような気がする。そう思うとようやくに気が付いた恋心は、そのまま土に埋めてふたをしておいた方が良いように思える。

「ついたぞ」

 アレックスがゆっくりと走らせていた馬を止めた。

 思ったより家の近所に人がいなくて、エルザはほっとする。

「ちょっとだけ、じっとしていて」

 馬を家の前に寄せると、アレックスは先に馬から降りた。

 そしてまるで姫君でも相手にしているかのように、丁寧にエルザを馬から降ろす。あまりにも自然なその行為に、エルザの鼓動は早くなった。

「大丈夫か?」

「はい。ありがとうございます」

 エルザは礼を述べる。動揺を悟られないように意識しながら微笑んだ。

「頼むから今日は仕事をするなよ」

 アレックスの顔に苦笑が浮かぶ。言っても聞かないだろう、と思っているのが丸わかりだ。アレックスの中のエルザはどうしようもない仕事人間なのだろう。もっとも、そのイメージはある意味正しいことは、エルザも自覚している。

「わかっています。もう夕方ですから、さすがに仕事はしませんよ」

 エルザは笑う。ここまで心配してもらっているのだから、さすがに無理はできないと思う。それに、店はもう閉店の時間だ。

「どうだかなあ。エルザは、仕事人間だから」

 アレックスは肩をすくめる。その目に浮かぶ光がとても優しいことに気づいて、エルザは慌てて視線を落とした。

 たったそれだけのことで胸が騒ぐ。普通にしなければと思えば思うほど、身体に熱が集まってくる。

「そんなことはないと思います」

「まあ、今日は信じるよ」

 頷いたアレックスは、小さな紙きれを取り出してエルザに差し出した。

「……これは?」

「リンの言ってた、ナオス商会の住所」

「ありがとうございます」

 エルザはもう一度頭を下げた。何の得にもならないことなのに、きちんと覚えていてくれて、調べてくれたことが、何よりもうれしかった。

「ナオス商会は、カーナル男爵が経営している商会だ。かなり格式が高いと思うから、エルザが気を付けてやってくれよ」

「カーナル男爵?」

 思ってもみない人物に、エルザは目を丸くする。

 そういえば、何か商売をやっているような話は聞いていた。魔道映像機の修理に一万Gをポンと出せる男爵だ。ということは、ナオス商会というのは、かなり大きな商会なのだろう。

「知っているのか?」

「ええ、少し」

 エルザが頷くと、アレックスは驚いたようだった。

「エルザは俺が思っているより、交友範囲が広いんだな」

「……ただのお客さまですよ」

 答えながら。今さらながら、ワーナー夫人の話を思い出す。

 カーナル男爵自身から直接言われたわけではないので、はっきりとした話ではないが、エルザに興味があるという話だった。

 とはいえ、今、わざわざアレックスに伝えるべき情報でもない。

「まあ、でも少しでも顔が効くのであれば、リンに無茶をさせずに、父親の話が聞けるかもな」

「そうね」

 エルザは頷く。

 カーナル男爵が実際にエルザをどう思っているにせよ、リンの父捜しのために商会で話を聞く許可をもらうくらいのことはできるだろう。

 直接アポもとらずに出かけるよりは、ゆっくりと話ができるはずだ。

 とはいえ。エルザとしては、カーナル男爵が自分をどう思っているのか少なからず気にはなっているので、あまり借りを作るようなことはしたくないとは、思う。

「どうかしたのか?」

「なんでもないです。どうやってお願いしようかなって考えていただけです」

 話を聞く許可をもらうだけなら、それほど無理難題ということではないと思う。

「なんか困ることがあったら、教えろよ」

 アレックスは馬に手をかけた。

「アレックス」

 馬の上に再びまたがったアレックスをエルザは見上げる。

「本当にありがとうございます。今回のことも含めて、何かお礼をしたいのですが」

 リンのこと、自分のこと。きちんとお礼をしないと、ずるずる甘えるばかりになってしまう。

「そうだな、だったら、そのうちまた飯を作ってくれ」

「食事ですか?」

「ああ。エルザの焼くパイは最高に美味いから」

 アレックスは眩しい笑顔で答え、片手をあげてから、馬に合図する。

ーーそんなことを言われたら期待してしまうから、やめてほしいのに。

 去っていくアレックスを見送りながら、エルザは小さくため息をついた。 

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