乱闘
「エルザさん」
「黙って。もう少し下がりましょう」
心配げなリンを制して、エルザは地に身を伏せたまま川から離れる。
舟の光はもうすぐそこまで来ていて、今、立ち上がるのは危険な気がした。
エルザはそっとリンの身体を抱き寄せる。
ケストナーがこの明かりのことを知っている以上、多少、時間がかかっても、必ずここに戻ってくるはずだ。心配はいらない。
二隻の船は、エルザたちのすぐそばで止まった。
舟はどちらも、それほど大きいものではない。
乗船しているのは、それぞれ船頭と男の二人。
川下からやってきた船には、檻のようなものがあり、中に何かが入っているようだ。
むろん、檻で運ぶ何かが、違法なものとは限らない。
今の川港を使わないというのは、普通ではないが、だからと言って、それがいけないことでもない。
「今日は波が荒い」
「風は山から」
低い男たちの声。合言葉だろうか?
「よし」
男たちは、舟の上でそんな会話を交わした後、ランプを掲げた。その時、檻の中が見えた。人間の子供のようだ。三人くらいだろうか。それぞれが猿ぐつわをかまされ縛られた状態で檻の中に閉じ込められていた。
人買いだ。
子供たちが望んでそうしているとは思えない。借金の
男たちは、川岸に上陸をしようとしている。
エルザは耳を澄ます。
まだ、蹄の音は聞こえない。
ケストナーたちは間に合うだろうか。間に合わなかった場合、陸から舟を追うのは難しいのではないか。
そうなってしまっては、子供たちを救うことは出来ない。
無論、今日のエルザは何の準備もしていないから、やれることは限られているのだけれど、だからといって、何もせずにここで待つ気にはなれなかった。
「リン」
エルザは小さく呟く。
「ゆっくりと逃げて。絶対に後ろを振り返ってはダメ。きっとすぐに蹄の音が聞こえてくるから、そうしたら、大声をあげてそちらに逃げなさい」
「え?」
リンの返事を待たず、エルザは、姿勢を低くしたまま、川下側に回り込んで、川の方へと向かい始めた。
リンが気にならないわけではないが、エルザが積極的に動いて目立てば、リンは安全になる。
「騎士隊が動いている。早々にすませたほうがいい」
「そうだな」
書類を取引しているのは二人だけで、あとの二人は辺りを見回していた。どうやら、周囲を警戒しているらしい。
船頭が、舟から降りているのはエルザには好都合だった。
かなり下手から川岸に降りる。
「誰だ?」
気配に気づいた男の一人が、エルザの方を見た。
エルザは迷わなかった。
「光よ!」
エルザは男のすぐそばに光の玉を呼ぶ。突然の光に男たちが驚きの声を上げた。
「閃光!」
すかさず、その光の玉を破裂させた。
あたりがまっしろになるほど、光が満ちる。
男の悲鳴が響いた。真正面で破裂された男は、さすがにしばらく動けないだろう。
エルザは走って、檻の乗っている舟に乗り込んだ。
「おいっ」
制止を無視して、舟のもやい綱をほどく。エルザは苦労して、舟を港から出そうとした。
「待て!」
一人の男が強引にエルザの乗る舟に飛び乗ってきた。
あまりの衝撃に舟がゆれる。
これは想定外だった。
「こいつ、何をする気だ!」
エルザは思わずよろめいて、舟の上に倒れこんでしまった。
男はエルザにのしかかり、片手で口を押え、反対の手で首を絞め始める。
エルザは必死で手を振りほどこうとするが、息が苦しくて、うまくいかない。
魔術は、呪文を唱えなければ使えない。男はそれを知っていて、エルザの口をふさいでいるのだろう。
「炎よ」
エルザはかすれる声で、ようやく呪文をとなえた。
「うわっ、なんだっ」
エルザの魔術はそれほど強力ではないが、対象の衣服に着火するくらいの威力はある。
男はエルザから離れたものの、息苦しさでエルザは動けない。思った以上のダメージを受けたようだ。
「くそっ、なんだ、この火はっ」
エルザの炎魔術は、はたけば消えるほどの力しかなく、意表を突く以上の効果はない。
今のうちに何とかしなくてはと思うが、暗闇で、さらに視界がぼやけて相手が何をしているのかわからない。そして、身体が信じられないほど重かった。
「エルザ!」
蹄の音が近づいてきて、大きな水音がした。
「騎士隊?!」
男が叫んだ。
次の瞬間、大きく舟が揺れる。
起き上がろうとしていたエルザは、船底で頭を打つ。
痛みにかすんだエルザの目に、白刃が闇を切り裂くのが見えた。
「ひっ!」
男の悲鳴が上がる。
「エルザ! しっかりしろ!」
ーーアレックス?
よく知ったその声の主に抱き上げられたのを感じて。
ホッとしたエルザは、意識を手放した。
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