夕食 2

 食堂のテーブルから離れたところにリンは立っていた。

 知らない人間の知らない家で世話になっているのに加えて、さらに知らない人間の来訪でどうしたらいいかわからないのかもしれない。

「アレックス、ハナザ村のリンよ。リン、このひとが騎士隊のアレックス・ライアス」

 エルザは二人をそれぞれ紹介する。

「とりあえず、冷めてしまわないうちに先にいただきましょう? 二人とも自己紹介は後にして、座ってくれますか?」

「ああ」

 エルザに促され、アレックスが席に着くと、リンも遠慮がちに椅子に腰かけた。テーブルの上には焼き立てのパイと、温かいスープ、そしてサラダがのせられている。

「切りますね」

 エルザはテーブルの中央に置いてあったパイに包丁を入れる。

 パイはサクリと音を立てた。

 丸いパイを六等分に切り分けて、皿にひとり、ひと切れずつ取り分ける。

「うわっ。うまそうだ」

 アレックスがうれしそうに声をあげた。

「いただきます」

 リンも頭をさげ、ナイフとフォークを手にした。

「まだ熱いので気を付けて」

 早速口に運ぼうとしたリンとアレックスに、エルザは注意する。

「うわっ、ふっ」

 アレックスは口に入れた途端、その熱さに驚いて慌てて水を口にした。

「アツっ」

「だから、言いましたのに」

 エルザは、水差しを手にして、アレックスのコップに水を注ぐ。

「いや、だって、思ったよりも熱かったから」

「パイの中身は熱が冷めにくいんです。いい大人なんですから」

「す、すまん」

 アレックスは頭を掻いた。

「これ、美味しいです」

 丁寧にナイフを入れて口にしたリンが口を開く。

「良かった。リンが手伝ってくれたおかげだわ」

 エルザはにこやかに笑い、自分はスープを口にする。干し肉を出汁にした野菜のスープは滋味に富んだ味がした。

「私は……オーブンをじっと見ていただけです」

 リンは首を振る。

「味付けはみんなエルザさんがなさったのですから」

「料理は調味料を入れるだけじゃないわ」

 エルザは肩をすくめた。

「いや、これ、すごく美味しい」

 アレックスが満足げにパイを平らげる。

「この前のも美味かったけど、温かいと格別だ」

「嬉しいですけど、褒めすぎですよ。そこまでおっしゃると、騎士さまなのに、普段何食べているのかと、思われます」

「俺は外食が多い。料理人を雇えばいいという話もあるが、もともとが気ままな日雇いだったからな。自分の家ってやつに、まだ慣れていない」

 アレックスは苦笑する。

 騎士となって家を構え、今では使用人を雇うようにまでになった。だが、もともとは安宿でその日暮らしだった男だ。『騎士さま』の生活を窮屈だと感じているのかもしれない。

「もう騎士さまなのですから、風来坊のようなことはお辞めになった方がよいのでは?」

「うん。まあ、そうだな」

 アレックスは頷きながら、食事を続ける。山盛りのサラダもあっという間になくなってしまった。

「あら、お酒を出すのを忘れていました」

「酒はいらん」

 立ち上がろうとしたエルザをアレックスは引き留めた。

「なんか、相談事があるという話なんだろう? 酒が入ると、話に責任が持てなくなる」

 アレックスはリンの方に目をやってから微笑する。

「ごめんなさい。いつも甘えてしまって」

 ここのところ、アレックスの好意に甘えてばかりだ。休暇中に護衛を頼んだだけでも、かなり厚かましいことだと感じている。

「そう思うなら、おかわりをもらってもいいかな?」

 アレックスはテーブルの中央に置かれた、パイの残りをさした。



 パイはあっという間になくなった。

 育ち盛りのリンも、アレックスの旺盛な食欲に驚きを隠せないでいる。

 パイだけでなく、残っていたスープも鍋の底まで飲みきってしまった。

「……足りませんでしたか?」

「いや、十分。というか、ちょっとさすがに食いすぎたかな」

 アレックスは、腹をなでて息を吐く。

「無理して食べなくても」

「無理はしていない。ただ、十年若かったら、もっと食べたな」

「……それは、もうお店で食べてください」

 エルザは苦笑した。

 食事の皿を三人で片づけてから、フルーツティを入れる。

 当初の予定では酒を飲むつもりだったのだけれど、未成年もいるし、相談事があるのだから仕方がない。

 お茶うけには、パイの切れ端で作った、リーフパイ。

 サクサクの生地に、パウダーシュガーをまぶしたもの。

 残り物を使ったリメイクお菓子の部類だが、素朴で美味しい。

「それで、相談って何なんだ?」

「はい。それなんですが」

 いつまでも食べたり飲んだりしていては、話が進まない。

 エルザは、リンの母親が病であることと、リンの父親を捜していることを説明した。

「ナオス商会っていうお店で働いていたみたいなんだけど」

「うーん。聞いたことはある。よくは知らんが」

 アレックスは顎に手を当てて考え込んだ。

「たぶん、交易で利益を得ているところだろう。割と大きいとこじゃないかな。悪いなあ。俺、商売系にはとんと疎くて。二、三日待ってくれれば、わかると思う」

「本当ですか!」

 リンが思わず身を乗り出した。

「ああ。ただ、あまり過剰な期待はしない方がいい。その話を聞くと父親は必ずしも商会の人間じゃない可能性もあるわけだよな? 商会に話を聞きに行って、当時を知っているひとがいればいいんだが」

 アレックスの言葉は苦い。

 確かにそうだ。リンの父親というならば。母が身ごもってすぐ姿を消したとすれば、十五年以上前ということになる。勤め人の入れ替わりもあるだろう。

 リンの母親を知っているものも、いなくなっている可能性だってないわけではない。

「せめて父親の家名だけでもわかればいいんだが」

「……すみません」

 リンは視線を膝に落とす。

「とりあえず、わかっていることから調べていきましょう? 行き詰まったら、それはその時考えればいいわ」

 エルザはリンの肩に手をのせる。本当は彼女が一番父のことを知りたいに違いない。

「ナオス商会のことがわかるまで、うちにいるといいわ。ハナザ村は遠いから、一度帰って、また来るのは難しいと思うもの」

「ありがとうございます」

 リンの肩が震える。

「……よろしくお願いいたします」

 リンはアレックスに頭を下げる。父は見つからないかもしれない。でも、それは、やってみなければわからないのだ。

「わかった」

 か細いリンの声に、アレックスは大きく頷く。

「商会っていうからには、税金は納めている。事務所の場所はすぐわかるだろう。だが、その先は大変だとは思う。それだけは覚悟しておいた方がいい」

「はい」

 リンは頷く。十五年以上前の母の勤め先が分かったところで、必ずしも父親は見つからないかもしれない。アレックスの言葉は冷たいかもしれないが、過度に期待を持たせるのもよくはない。

 リンの求めているものは、藁をつかむようなもので、本人や他人の努力というより運の力がなければかなわないのだ。

「ありがとうございます」

 エルザはアレックスに頭を下げる。面倒事にも真摯に向き合ってくれる姿に、胸が熱くなった。

「礼はまだ早い」

 アレックスは、肩をすくめて、フルーツティを口にする。

 その顔は、少し険しかった。

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