第50話
どこか心ここにあらずの状態で、晴那はステージ上で音色を奏でている軽音部の姿をぼんやりと眺めていた。
時間が経つのはあっという間で、いまは後夜祭真っ最中だ。
隣には由羅が立っており、軽音部の演奏に楽し気に体を揺らしている。
後夜祭は自由参加だというのに、人はかなり多い。恐らく、ほとんどの生徒が残って後の祭りを楽しんでいるのだ。
『軽音部の皆さんありがとうございましたー』
演奏が終わるタイミングで、司会である男子生徒の言葉がアナウンスされる。
『じゃあ次はお待ちかねの、俺、私が伝える!なにか言いたいことがある生徒の告白タイムです』
ざわざわと、周囲が騒めき出す。
後夜祭の目玉であるイベントらしく、自分の思いの丈を壇上に立って伝えるのだ。
性別は問わず、告白する内容も何でもいい。
男女間の告白は勿論、ずっと仲違いしていた友人への謝罪でも、お題は自由だそうだ。
『俺、いいですか』
壇上に上がって、中央に置いてあったマイクを使って体育館内に声を響かせたのは、かつてひまりに想いを伝えた小森だった。
人気者であるサッカー部の登場に、当たりから色めきだった声が上がり始める。
飛ばされるヤジを他所に、小森はハッキリと、あの子の名前を口にしていた。
『2年の瀬谷ひまりさん』
人気者であるひまりの名前に、場が割れんばかりの歓声が起きる。
友人に背中を押されながら、ひまりも壇上へと上がらされていた。
遠くから、そんな二人の横顔を眺めることしかできない。
『まじで世界で1番好きです』
大胆な告白に、周囲がリアクションをするよりも早く。
小森はひまりを抱き寄せて、そのまま彼女の唇にキスを落としていた。
何かが、ガラガラと音を立てて崩れるように、晴那は心の均衡を保てなくなる。
その姿が脳裏に焼き付いて、少しでも気を抜けば倒れ込んでしまいそうだ。
絶叫のような歓声に包まれる体育館を後目に、晴那は思わずその場を飛び出してしまっていた。
視界はフラフラと正気を保てていないというのに、思いのほか足どりはしっかりしていた。
ゆく当てもなく人気のない廊下を歩いていれば、腕を強く掴まれる。
「待って、晴那ちゃん」
頭二つ分高い位置から声を掛けられて、がむしゃらに動かしていた足を止める。
情けないことに、しゃくりを上げながら泣いているところなんて、誰にも見られたくなかった。
由羅が中指と薬指で必死に拭ってくれるが、とめどなく零れてくるために到底拭いきれそうもない。
「……泣かないで」
「苦しいんです…ダメって分かってるのに…叶わないって分かってるのに…諦められない」
声は震えて、しゃくり上がって。
まるで子供のように、自分の感情を抑え込むことが出来ない。
「早く忘れなきゃダメなのに…どんどん好きになって……」
すべてを言い終えるより先に、体は温もりに包まれていた。
黒色のクラスTシャツがすぐ目の前にあって、離さないとばかりに抱きしめてくれる力は強い。
「私なら、晴那ちゃんを泣かせない」
「由羅さん……」
「誰よりも晴那ちゃんを大切にできるし、幸せにしてあげられる…こんな風に、辛くて泣かせたりしないよ」
そう言う彼女の声もまた、苦しそうだった。
片思いの苦しさに、胸を痛め続けているのは二人とも同じなのだ。
「…晴那ちゃんが、好きなの…誰よりも1番」
「……ッ」
「私を、選んでよ」
背中を撫でてくれるその手つきは、ひどく優しい。
このまま、由羅を好きになれたら、どれだけ楽だったろう。
ひまりのことなんて忘れて、何食わぬ顔で由羅と一緒になる。
グッと、下唇を噛みしめる。
そうすればすべてが上手く収まることは分かっている。
だけど、恋というのは理屈ではどうにもならないものなのだ。
「……ごめんなさい」
それがどれだけ失礼なことか、晴那だって分かっている。
過去の由羅の恋人のように、ひまりの代わりとして扱うことなんて出来なかった。
由羅を酷く尊敬しているからこそ、彼女の好意を利用したくないのだ。
そっと、腕にこめられていた力が緩む。
こちらを見下ろす由羅は、見たことがないくらい悲しそうな顔していた。
瞳には涙を浮かべて、唇を震わせている。
「…そんなに、ひまりがいいの?」
誤魔化さずに、力強く首を縦に振れば、そっと頭を撫でられた。
あの日、転校してきたばかりの四月のこと。
桜の木の下で、慰めてくれたかつてのように、その手つきは優しい。
出会ってからずっと、由羅は本当に優しく、魅力的な女性だったのだ。
「振り向いてくれなくても?」
「……いつか、思い出しても何も感じなくなるまでは、ひまりのことを好きでいたいんです」
目元を隠しながら、由羅はか細い声で「分かった」と零した。
薄暗い夜の学校で、二人で涙を零す。
好きな相手のことを想って、苦しさから勝手にこみ上げてきてしまうそれを、互いが隠すことなく溢れさせていた。
好きな人が、同じように自分のことを好いてくれる。
それが当たり前ではないことを、この恋を通して初めて知った。
初恋は報われず、苦い思いばかりしてきたけれど、後悔はしていない。
こんなにも誰かを好きになれたことを、誇りに思いたいのだ。
後悔は、していない。
だけど、この恋を断ち切れたと、いまだに胸を張って言うこともできない。
失恋の傷は思ったよりも深く、涙腺を崩壊させてしまう程度には、晴那の心を酷く傷つけてしまっていたのだ。
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