麒麟の神巫

「え、キリン?大丈夫かお前、別に動物の名前なんて聞いてねーぞ?」

「大丈夫じゃないのは君の頭の方だよー。」


 スパンと、爽快に愁の頭をはたく黒羽。


(コイツ、もう脳筋どころか馬鹿確定だろ。) 


 いなりの中で愁の品定めが終了した瞬間である。これはもう、天然物の馬鹿である。


「愁、麒麟〇酒キリン○ールをご存知ですか?いえ、知らないとは言わせませんよ。」

「ああ!あれか!あの麒麟!!」


 思い出したようにポンッと手を打つ愁。いなりは大きなため息をついた。

 愁の頭にはそもそも筋肉すら詰まっていないのかもしれない。


「その頭、いっかい叩き割ってみましょうか?もしかしたらなにか出てくるかもしれませんよ。」

「やめろそれ!出てこなかったら元も子もないから!!」


 すっと手刀をおろそうとするいなりに、愁は慌てて自分の頭を押さえる。

 北斗と狛犬たちは、呆然とした様子でそれを見ていた。


「これは・・・何かツッコミを入れたほうがいいのか?」

「いやいいよー。むしろ逆に混乱するー。」


 何かフォローしようと言葉を考え始める北斗。

 そこまで気遣う必要はないと思いながら、いなりは愁の首を締め上げた。

 かなり真面目な話をしていたにもかかわらず、見事に雰囲気を壊した責任である。確かに緊張感は緩んだが、話は斜め右へそれてしまった。

 いなりは腕を愁の首に回し、頸動脈を圧迫する一般的な絞め技をかける。普通ならば速攻でおちているはずだろうが、頑丈な鬼の体を持つ愁は「ギブ!ギブ!」と声をあげながらもがいている。

 ペチペチと腕をたたいて降参する手を無視し、いなりはふと考えた。


(それにしても、まさか<四霊しれい>とは・・・。)


―――四霊

 それは、世界に何柱か存在する神獣の中でも、特に力をもった四柱の神獣の総称。

 麒麟はその一柱であり、君子が誕生した時や王が善政を行っている時に空を駆けると言われる瑞獣ずいじゅうだ。

 そんな大物を宿した青年が、こんな風にホイホイ歩いていたらそれはもう格好の餌だろう。狛犬たちがここまで警戒するのもよくわかる。


「でも、麒麟というと日本にいるイメージがあまりないですね。」


 今までの話を総じて、神獣は非常に珍しいモノだ。

 その所以ゆえんは、神獣は古代中国の時代から存在するため、海を隔てた小さい島国には滅多に来ないからである。長い間生きている妖怪でさえ、ほんの一瞬影を見たことがあるかないか程度。いなりも本物を拝んだことはなく、日本橋の麒麟像の翼をもいだイメージしか持ってない。


「俺もそう思っていたんだかな。」

「日本の妖怪でも中国から渡ってきた奴は多いしねー。神獣もおんなじだよー。というか、むしろ神獣からしたら人間の作った国の区分なんてどうでもいいと思うけどねー。」

「そういうものか。」

「そういうもんだよー。」


 いなりの母、九尾の狐も、海を渡って日本にやってきた妖怪の一柱だ。昔は中国にいたらしいが、なんやかんやあって日本に渡ってきたそう。

 この、なんやかんやというのは毎度みずめの話が違うのでよくわからない。ある時は中国の皇帝をたぶらかしたついでに日本の天皇をおとしたかった、またある時は住処焼き払われて逃げてきた、といった具合だ。いつもこのようにのらりくらりとはぐらかされてしまうので、何が本当の理由なのかは不明である。

 とにかく、みずめが何かしらのきっかけがあって日本に来たように、麒麟も訳あって日本に来ていたのかもしれない。

 三人でうなづき合いながらいなりは思考を整理する。


「まあ、麒麟がどうのこうのは置いといて・・・」


 黒羽は玩具屋おもちゃやの商品を覗き込む子供のように、ぐっと体を前のめりにさせる。そして、口を開いた。


「君、このままだと死ぬよ?」


 いつもの飄々ひょうひょうとした口調のまま、そう言い切った。にこにこと笑ったまま、今日の夕飯でも尋ねるかのように。

 悪意のない、むしろ無邪気。それだけに、あまりにも素直にその言葉を受け取ることができてしまった。

 その言葉の重みを感じたのは、何度か頭でそれを反芻はんすうした後である。しかし、その時にはすでに黒羽は別の話題に移っていた。


「いなり、覚えてるー?花粉症で通り魔になりかけた鎌鼬かまいたち。」


 的確すぎる表現に、いなりはすぐに小太刀こだちのことを思い出した。

 小太刀は花粉症をこじらせており、そのせいで無意識に妖術を発動させてしまう鎌鼬である。以前、愁の胴と首を仲たがいさせようとした妖怪だ。今はガスマスクの装着によって無差別攻撃は防げているようだが、何故ここで小太刀の名が出てくるのだろう。


「普通、花粉症の悪化なんかで妖術が発動したりなんてしないんだよ。たぶん、神巫クンが垂れ流しにしている麒麟の霊力にあてられたせいかなー。神獣とか四神の霊力って、浴びたり、取り込むだけでかなり妖力が強くなるんだよねー。」


 黒羽は組んだ手の上に顎をつき、北斗の顔を覗き込む。

 つまり、彼が言いたいのは、北斗の霊力が意識せずとも妖怪に影響を与えるほど大きくなっている、ということである。神をその身に隠す、神巫本来の役割がうまく果てせていないと言いたいのだ。


「今まではその狛犬達がいたから生き残ってこれたんだろうけど、霊力駄々洩れ状態でいつまでもつのやら。正直言って、もってあと」『貴様!口を慎め!!』 


 影月が飛び掛かり、黒羽の言葉を遮った。


「黒羽!」

「影月やめろ!」


 影月によって黒羽はそのまま押し倒され、胸に前足を置かれている。少しでも動けば、鋭い爪が喉にたてられる状態だ。

 影月の目は血走り、黒羽を睨み据えている。


「嫌だなー。僕は事実を言っているだけだよー。それに、なにも僕は君たちのご主人を取って喰おうだなんて思っていないしねー。」


 しかし、そんな状態にも関わらず、黒羽はやめなかった。

 黒羽の細められていた瞳が薄っすらと開き、影月を見上げる。


「協力しようじゃないか。その神巫クンの保護に。」

「『は?』」


 予想外の発言に、いなりを含めたこの場の全員の声がそろった。 


「だってさー、せっかく高校入学して早々怪奇殺人事件とか嫌だもん。いなりもそう思わないー?」


 器用に首だけ曲げてこちらをむく黒羽。

 巻き込んでくれるなと言いたいが、影月、陽光に睨みつけられてしまっては逃げることもできない。

 

(さて、どう答えるか・・・・・。)


 そもそも、神巫なんて存在は今まで聞いたことも見たこともなかった。だから、未だにこの北斗という少年のことを信じきれていない自分がいる。

 だが、もしも彼が妖怪に襲われ、喰われそうになった時。自分はそれを無視できるだろうか。

 いなりは少しだけ思案してから、口を開いた。


「敵にはならないことを誓いましょう。」


 いなりの望みは平穏な学生生活を送ること。

 神巫などというイレギュラーな存在との遭遇で、すでにその望みは崩壊しかけているが、ここで北斗を見棄てたほうが、その望みから最も遠くなるような予感がした。だから、いなりは協力することを選んだ。そもそも、神の力なんてものには興味がないし、人肉嗜食カニバリズムなんていう特異趣向は持っていない。

 いなりの返答にうんうんと満足そうにうなづき、黒羽は再び影月を見た。


「そういうわけだー。この手、どかしてくれるかな?」

「影月、俺からもだ。」


 北斗と黒羽に言われ、影月は謝罪をして前足をどける。そして、黒羽は「よっと!」と、元気よく体を起こした。


「じゃ、これから仲良くやっていこうじゃないかー。」


 何もしていないのにトントン拍子に進んでいく一連を、いなりは傍観者の気分で眺めていた。

 はからずも得てしまった北斗との協力関係。よもや喰う側である妖怪と、喰われる側である神巫が手を取り合う事態になるとは、想像もしていなかった。


(いや、こうなることを全て見越しての行動か。)

 

 そう思って黒羽をちらりと見てみるが、やはり読めない笑顔を浮かべている。

 なるほど、といなりは思った。

 黒羽は所謂いわゆる、食えない人なのである。


「ところで―――」


 北斗の指が宙を泳ぐ。

 そして、ある一点を指して止まった。


「お前、そいつ大丈夫か?」

「あ。」


 泡を吹いて痙攣けいれんする愁が、いなりの腕の中にいた。

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