体育祭、そして


『さー、いよいよ体育祭のスタートです!どの組も全身全霊で――』


 メガホンのひどい音が、校長のだみ声をさらにひどくさせてグランド中に響く。

 校長の声を張る先には赤・青・黄の三色に分かれた生徒の集団。そのさらに後方には、それぞれの色を司る立て看板が、互いを威嚇するがごとく建てられていた。


 ついに始まってしまった体育祭。

 色ごとにそろえた体育祭Tシャツは、各色の立て看板に描かれた動物をモチーフにしている。赤組である三人は、炎を纏う獅子が背中で吠えていた。

 しかし、迫力ある獅子とは反対に、正面に立っているいなりの表情は死んでいた。

 もともと人ごみはあまり得意ではないいなり。アドレナリンによる異常な熱気と興奮に包まれた集団に放り込まれるのは半ば拷問に近い。

 いなりは熱狂の中心である応援合戦に濁った眼差しを向けた。


「愁は元気だねー。」

「だって、今日は一日勉強しないで済むだろ?」

「そこですか?」


 どこかズレた発言をする愁を、いなりは思わず半眼で見つめた。

 勉強しなければ何でもいいのか。

 薄々感づいていたが、この男、世にいう脳筋なんじゃないかと思う。何というか、運動能力に能力パラメーターを全振りしている。


「おうよ。ずっと席に座ってなきゃいけない授業よりも断然マシだし、楽しいからな。」

「単純だねー。」


 黒羽の言葉にいなりは無言でうなづいた。




◇◆◇




 応援合戦、徒競走、借り人競争、背中わたり・・・約一か月間練習してきたものがこの一日ですべて終わる。

 体育祭というのは、走馬灯に似ている。縁起が悪い表現だが、いなりには一番それがしっくりきた。

やる気のない生徒の発言だから、致し方ない。いなりは青春に燃えるJKではないのだ。

 時計の針が十二を回るころ。ようやく種目も残すところあと三つ。

 男子の騎馬戦、部活対抗リレー、色別対抗リレーの体育祭の花形ともいえる三種である。


「あと二十点か・・・。」


 得点版を見て、愁は応援席でうなる。

 現在得点のトップは青組であり、赤組はその後を追う展開である。


「追いつけそうで、追い付けない点差ですね。」

「団長がピリピリしてるのも分かるねー。」


 微妙な点差の中でやってきた、勝てば大量得点の種目たち。その到来は両団に手に汗握る緊張と、興奮をもたらしていた。

 特に、団体種目である騎馬戦は絶好の機会。これを逃すわけにはいかないだろう。


「おっし、ここで勝つ!」

「意気込むのはいいですけど、お二人はリレーが後に控えてるので、戦闘不能になって帰って来ないでください。」


 愁と黒羽はどちらも騎手だった。

 通常、騎馬戦は上に乗る騎手の紅白帽子、またはハチマキを奪いあうというのがルールである。しかし、全校生徒の運動能力が高い八坂高校の騎馬戦はそんなにぬるくない。

 ハチマキの奪い合いではなく、騎馬同士がぶつかりあう。

 道具、足技の使用、ひっかく以外、何やってもOK。とにかく相手の騎馬を少しでも崩した方が勝ち。

 大変危険なように思えるが、そこのところは教師陣と実行委員会が目を光らせている。少しでもルール違反しようものなら即、笛が鳴る仕組みだ。

 とはいっても、それでも上裸で取っ組み合うため、軽い負傷者は出てしまう。そのため、保険委員は全員手当のためにかり出される。


「分かってるって。雑魚なんか蹴散らしてやるよ!」

「全然わかってないですよね。」


 歯を見せ、親指を立てる愁。この時、いなりの中で愁が脳筋であることが確定した。


「あー、もう入場門に集まってるー。僕らそろそろ行くよー。」


 応援席の両脇に立てられたポール。これが入場門だ。中央が青組、校舎側から見て右が赤組、左が黄組の応援席であり、赤組のすぐ隣に入場門がある。紅白のテープを螺旋状に巻かれたポールの間には、上裸の男子生徒が何人かちらほら見える。黒羽は愁の首根っこを掴み、引きずりながら向かっていった。


 そんな具合にふわっと始まってしまった騎馬戦だが、出場する男子の士気は高い。ここで点差を盛り返すと、特に紅組は息巻いていた。


 スタートの合図である笛の音が鳴り響いた途端、砂煙を巻き上げて紅組の騎馬が猛突進する。

 まさに戦国の合戦。そんな光景が高校のグラウンドで繰り広げられていた。


(しかし・・・これは観客の目に毒だ。)


 愁と黒羽は俗にいう美形、すなわちイケメンに分類される。

 愁は顔だけなら典型的な爽やかイケメンであり、ガタイもいい。どうやら彼はあまたある部活の中でも剣道部に入部したらしいが、柔道部が歯ぎしりをするくらい見事に割れた腹筋を持っていた。

 一方、黒羽は愁とは対照的である。ミステリアスな雰囲気と線の細さが絶妙にマッチし、変なフェロモンを周囲に撒き散らしている。勿論、本人はきっと意識していない。

 そんな二人が上裸で騎馬戦なぞやったらどうなるだろうか。

 グラウンドが戦国時代の一方で、観客席には女性陣の阿鼻叫喚地獄の完成である。黄色い声どころか、半ば悲鳴ともとれる奇声があっちこっちで聞こえてきた。

 いなりは耳を両手でふさぎながら二人の奮闘を冷めた目で見守った。




◇◆◇




「快勝快勝~!!」


 別の意味でたくさんの敵を作ったであろう二人だったが、無傷どころか鼻歌交じりで愁は帰ってきた。その両手には大量の青と黄色のハチマキが垂れさがっている。

 結果はもう見えていたというべきか、何十騎崩しを果たした愁の功績により、騎馬戦では圧倒的な大差をつけて赤組が勝った。


「お疲れ様です。」

「ありがとー。でも、愁のおかげで全然疲れてないけどねー。」


 ねぎらいの言葉をかけながらTシャツを渡してやると、黒羽が苦笑しながら答える。

 群がる女性たちで愁の奮闘ぶりはあまり見れなかったが、間近で見ていた黒羽が言うのだから、相当強かったのだろう。


「あとリレーだけだっけか?」

「そうですね。」


 プログラムと時計を見比べると、ちょうど招集時間だ。

 そろそろ行っても大丈夫だろう。

 他の種目と違い、体育祭の花形である色別リレーは入場を入場門から行わない。この学校は校舎の隣に体育館、道路を挟んで武道館がある。その中央の道路を横断するとグラウンドに出るわけなのだが、今回の入場はここからとなる。一番盛り上がるオオトリは入場から派手に、ということだろう。


 三人は武道館わきへと向かった。

 余裕をもって来たせいか、まだ他の人は来ていないようだ。武道館の傍に生えている金木犀が、影を落としている。じりじりと焼けるコンクリートから逃げるよう、三人はその影中へと入った。


「そういや、戸谷いなくね?」

つばさは用具係なので、部活対抗リレーの準備が終わってからくると思いま

すよ。」


 対抗リレーの前は三年生男子による借り人障害物競争だ。そのため、用具係は物の準備に忙しい。

 戸谷を待ちがてら、三人でしゃべりながら休憩を取ることにした。


「ねえ、なんか視線感じないー?」

「「え?」」


 ふいに呟かれた、黒羽の言葉に愁といなりは声をそろえた。

 警戒するように視線を巡らせる黒羽だが、周りには誰もいない。ただ、金木犀が三人を見下ろしている。

 しかし、その刹那。風もなく、足元の影が揺らいだ。


「ここかあ!!」


 愁の拳が電気を帯び、真下に向けて振り下ろされた。

 コンクリートと拳がぶつかり合い、放射状に地面に亀裂が走る。そして、閃光のごとく電撃が影を照らし、何か白いものが飛び出した。


『やはり。貴様ら、人の子に化けたあやかしか。』


 低く、はっきりとした声が頭に直接響いてくる。

 影から現れたのは、大きな白い犬だった。

 犬と表現したが、サイズは猪ほど大きい。つまり、どう考えても愛玩動物ペットとしての犬ではない。

 妖犬ようけんだ。


 ――――――怖いお犬さん


 いなりは、ふと家鳴の言葉を思い出した。


『こそこそと隠れて我らのぬしを狙うなど、卑しい者どもめ。』

「うん?待て待て!お前なんか勘違いしてねーか!?」

『問答無用!!』


 おおんという地を揺さぶるような咆哮を一つ、妖犬が愁に飛び掛かる。

 が、それを遮るよう、車輪のように旋回する風が両者の間を割って入った。


「ちょーっと二人とも、落ち着こうかー。」


 場違いなほど、飄々とした口調。

 声の主である黒羽の両脇には、風で木の葉が回っている。


 風術ふうじゅつ―――風車かざぐるま


 妖術でおこした気流を操る風術の一種。一見ただの旋風つむじかぜのように見えるが、その正体は超高速で回転する風の刃。かつて小太刀がくしゃみで生み出してしまった術とは比べ物にならないほど、鋭利で金属質な風が吹く。


「さすがにここで死者は出したくないんだよねー。」


 口元がうっすら弧を描くが、その切れ長の瞳は笑っていない。


『主を喰おうとする妖怪は、全て我が嚙み殺す。』

「聞く耳もたんってか。」

「こうなったら、力ずくで抑えるしかないですね。」


 にらみ合う三人と一匹。

 しばしの硬直状態の後のち、妖犬が先に動き出した。

 その時。


「よせ、陽光ようこう!」


 鋭い声が、妖犬を制した。

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